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~自分の体調との会話~

生活に仕事が混ざり始めて、数か月になる。朝起きて、会社に行って、夜に帰宅といういわゆる「普通」の生活をしている。

一方で、自分自身は別に普通と言うわけではない。口内炎はあるし、湿疹もあるし、腹痛もあるし…ではある。

ただ、普通っぽい生活が出来ている事実もあるので、何とかその状態続けていきたいと考えている。

…もちろん入院が控えているので、一時的なものになることはほぼ間違いはないのであるが。

その中でも、体調維持に重要な『運動』について、今回は少し書いていこうと思う。


▼ 運動は大事

タイトル通りではあるが、適度な運動は大切であると日々感じる。入院して寝たきりに近い状態と、現状を比較するとそれが良くわかる。

一般人にも重要と言われるぐらいなのだから、病人にとっては言わずもがなのだろう。ただ、ここまでの自分の状態を鑑みると、一概に運動に取り組むということはそんなに簡単ではないと感じることが多々ある。

一言で言うと「そんな簡単には出来ない」と言うことである。

▼ 過去の自分との乖離

運動歴でいくと、発病前は

・ランニング
・水泳
・筋トレ

といったところは日常的に行っていた。

ダンベルは片方20キロのものが家にはあるし、懸垂の器具も自宅にある。子供が生まれることに際して、幼稚園の運動会等で「若いお父さんには負けない」などと35歳の頃の自分は考えていて、年齢に抗おうとしていた跡が見える。

ただ、現実はご存じの通り悪性リンパ腫に罹患して体重は30キロ近く落ちてしまったし、オーダーして作っていたスーツは全く自分に合わないものになってしまっている。

多少の無理をしてでも、身体を動かしたいという気持ちはあるのだが、それを体が全く許してはくれない。麻痺の残る左足では、走ることはなかなか叶わない。

点滅する信号を走って渡る…体力はないレベルと言っていいだろう。渡れないであろう信号を、今日も見送る日々が当たり前となっている。

先日主治医に許可された水泳も、甘く見積もった距離の1/3も泳ぐことが出来なかった。心臓も、肺も、筋肉も全てが私に「NO!」と突き付けてきている気分だ。

そんな状態で、筋トレを試みても当然うまくいくわけがない。筋肉がつくかどうかも見えてこないし、筋肉をつけるための運動が出来ていないだから筋肉は当然つかない、体重も増えない。

運動が大事だとは言われているが、結局「運動はほとんど出来ていない」というのが現状の結論になる。

▼ 唯一出来ていること

その中で辛うじて出来ている運動が「散歩」である。

歩くことしかできていないのだが、それだけは何とか続けられている。

早起きの習慣を守り、朝の5時頃から歩き始める。はじめは30分が限界であったが、最近は1時間程度までなら歩けるようになってきた。

朝なので気温もそこまで高くなく、それほど身体にも負担は多くはない。大体10分辺り1,000歩、距離にすると700M程がベースとなり、そのペースをひたすら守っていく。

色々なサイトを参考にすると、健康な生活を送るためには1日8,000歩と算出されたので、そのくらいを目標としている。日常的に意識して歩かないと、車社会の田舎の生活では到底達成が出来ない。

ただ、まぁそれなりに歩いているのに…ではあるが、走る方はほぼ出来ていない実情を考えると「歩くと走るは別モノ」という認識が必要なのだと思っている。

▼ 装備品

スポーツには初期投資が付きものではあるが、幸い散歩にはあまりお金が掛からない。気分の上がる服装などはあるかもしれないが、せいぜい良い靴を揃えるぐらいかと思う。

自分は足に不安があるので、いろいろ調べて試着も繰り返して2足分のランニングシューズを購入した。最近の靴はとても高く、性能もよく分からない機能がたくさんある。

ウォーキングシューズ…も考えたが、いずれ走るという目標の意味も込めてランニングシューズを購入した。

散歩時はイヤホンとYouTubeで勉強しながら…という朝活をかれこれしばらく続けている。足の痛みや違和感も無きにしもではあるが、自分の中では現状できる精一杯を、何とか続けていきたいとは思っている。

長く続けることを期待してスマートウォッチも歩数計代わりに安価なものを購入したが、それなりにイイ感じなので、ちょっと高品質なものの投資も考えてもいる。

▼ 発見

靴の話の追記になるが、最近の靴は性能が良すぎて足が弱る…という話題もいくつか目にした。「裸足に近い靴」という意味で『ベアフットシューズ』『ミニマリストシューズ』なるものが、機能性を排除して販売もされていた。

何が正しいか分からないので、自分は安価なマリンシューズを購入して時々散歩している。地下足袋でもよさそうであるが、とにかく機能が少なくて底が薄いクッション性の無い靴がいい…というらしい。

実際に使用してみると高価なランニングシューズとは全く異なる感触と歩き方になるし、使われる筋肉も違う様に感じられる。自分の身体はもう常に「実験台」の様なものなので、いろいろ試してみるしかない。

『継続と実験』が当面のテーマだ。

▼ 病院でも

おそらく2ヶ月近い入院が実現してしまうが、その中でもこの『散歩』は継続したいと思う。

暇つぶしの側面もあるが、出来る限り体力も落としたくない。無理をしないことと自分の限界を追い求める二律背反の状態を、病院の中でも探っていこうと思う。

他の運動に比べて制限や負担が少ないことと、あまり目立たないことが散歩の利点ともいえる。筋トレは器具的にも場所敵も厳しいし、工夫して行っていても他人の目も自分は気になる。

リハビリももちろんあるのではあろうが、自分の期待するレベル感にはきっとない。自分で出来ることを、自分で模索していくしかない。

それは体力作りでも、病でも同じことが言える。

▼ さいごに

正解のない闘病生活にあって、この「運動」と言うカテゴリーにも正解は恐らくない。食事も、休養も、服薬も、さらには私の行うリンパ輸中にも、正解となるものはないだろう。

それは人の数だけ正解があると思うし、もしかするとそれ以上の正解があるのかもしれない。

大切なことは『過去の誰かの正解を踏襲する』のではなく『自ら経験して、自分なりの正解を作っていくこと』ではないかと、最近は思う様になってきている。

自分の状態は既に誰かを参考に出来ることレベルになく、むしろ誰かの見本になるであろうという自覚の様なもの…なのだろうか。

記録の継続が、未来の誰かに届くように。何より、自分の未来のためになるように。

…そう思っている。

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