第23回: シンガポールの代替食品戦略

2021年5月26日掲載

代替食品市場でシンガポールの存在感が増しています。同国の年金ファンドは新型コロナウイルス禍前からフードテック分野へ積極的に投資していましたが、昨今は外国企業への投資だけでなく自国企業にも同市場への参入を促しています。つい先日も世界で初めて培養肉(細胞から培養された人工的な肉)の発売を始めるなど、世界から注目されています。そこで今月は「アジアのフードテックハブ」を目指すシンガポールについて考察します。

フードテックの振興は国家戦略

面積724キロ平方メートルに570万人の人口を擁するシンガポールは食料の90%を輸入に頼っています。農地は国土の1%未満で、水すら隣国マレーシアから輸入していることは有名です。貯水池を過去50年間で3から17に増やしても、観覧車のような垂直型(国土が狭いため)の野菜工場を増やしても、農業漁業従事者を懸命に増やしても、食料自給率は10%がやっと。同国にとって自給自足を実現させることは永遠に叶わない夢のように考えられてきました。

しかしながら2019年3月、シンガポール政府は30年までに食料自給率を30%にまで引き上げる国家戦略「30バイ30」構想を打ち出しました。当時政府は「輸送路が突然絶たれたり、輸入禁止になったり、気候変動による衝撃に備えるため」としていましたが、その後起こった新型コロナの感染拡大によって食料の安定確保が喫緊の課題となったのでした。

そうした背景からか、直近一年間だけでも同国での代替食品市場は大きく動きました。代表的なところを列挙します。

●地元の代替肉メーカーであるグロースウェルグループは800万米ドル(約9億円)を調達しました。
●地元の代替肉メーカーであるネクストジェンフーズ社は1,000万米ドルを調達し、新しい代替鶏肉ブランドを立ち上げました。
●米国企業のイートジャスト社は疑似卵と培養鶏肉の開発のために、当地に1,200万米ドルの工場を建設しました。
●また同社は世界で初めて培養肉(代替鶏肉)の販売を当地でスタートしました。●地元のエビの培養肉メーカーであるシオクミーツ社は1,260万米ドルを調達しました。
●スイスのジボダン社とビューラー社は1時間あたり最大40キログラムの植物性タンパク質を生産できるAPACプロテインイノベーションセンターを当地に開設しました。

背景にあるのは糖尿病問題

こうした代替食品市場への積極投資を通じてシンガポール政府は何を実現しようとしているのでしょうか。それにはまず、同国における食品と温室効果ガスの関係に注目してみましょう。

第23回(通算64回)_図_スクショ

図はシンガポールにおける国民1人当たりの食品毎の年間消費量と温室効果ガスを示しています。最も消費されているのは葉物野菜以外の野菜ですが、温室効果ガスを最も排出しているのは豚肉です。豚肉はじめ魚、羊肉、鴨肉、牛肉は野菜や果物よりも温室効果ガスを発生させるため、政府としてはその大半を輸入に頼っているこれら食用肉を減らし、あわせて植物性食品への代替を促進させたいと考えているのです。

それには別の事情もあります。シンガポールが近年「戦争」と称している糖尿病です。国民に占める糖尿病患者の比率は約11%で、そのうち60歳以上にいたっては約30%にも上るのです(14年時点)。また同国でのある調査では、赤身の牛肉や豚肉の加工品を食べすぎると糖尿病のリスクが上昇することも判明しています。

政府は肉食を減らし、できれば野菜、せめて魚介類への置き換え、それでも無理であれば「ヘルシャーチョイス(より健康的な選択)」として油や糖分が少ないメニューを推奨してきました。それでもなお糖尿病との戦争は続いていることから代替食品市場の振興を国家戦略に据えているのです。

ハラール戦略にも似た代替食品戦略

シンガポールはムスリム(イスラム教徒)が少数派の国ながらハラール市場(イスラム教の戒律で許されたもの)でも一定の存在感を示しています。国が管轄するハラル認証は1978年から発行することで両隣のイスラム二大国であるマレーシアとインドネシアからの労働者や観光客の呼び込みを積極化させました。まず人を呼び込むために国内の飲食店を整備し、次に国内製造業の育成に努め、そして海外へと輸出を拡大させたのです。こうした一連の戦略を通じてシンガポールのハラール戦略は「イスラム協力機構非加盟国でムスリムフレンドリーな国ナンバーワン」と称されるほど大きな成果を挙げていると言えます。

代替食品については今のところ認証は議論されていませんが、自国の事情に加え世界的に拡大している市場にいち早く着目し、投資し続けている点は日本も大いに学ぶべきでしょう。日本では現在のところ国と企業でも連携が進みつつあります。しかしながらそれらの多くは勉強会や認証基準について協議されているもので、まだ国としての方向性は見出せていません。

これはかつてハラールが日本で注目されていた頃を想起させます。世界で普及していたハラール認証についてどう対応するのか。どこの国の基準に合わせればよいのか。何が異なっているのか。そもそも宗教としてのハラールと商業としてのハラル市場をどう整理するのか。さまざまな議論が巻き起こる中でハラール認証機関が乱立することとなり、増え始めていた訪日観光客の間でも対応について疑問視する声がありました。結果として国としてハラール認証を管轄することはせず、民間各社がバラバラに対応することとなり、そのためか輸出においても目立った成果は出せていません。ハラルでの教訓を代替食品で活かせるのか。シンガポールの戦略と成果を大いに参考にしたいと思います。

掲載誌面: https://www.nna.jp/news/show/2191994


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