Netflix大炎上映画「キューティーズ!」の真のテーマとは?「フェミニズムから国民を守る党」
よいこのみんなー!よいこのみんなはかめんライダーやプリキュアとかみんなのためにあくとたたかうせいぎのヒーローやヒロインがだいすきだよね。フェミニストはみんなをきずつけたりこまらせてばっかりいるとってもわるいひとたちなんだ。よいこのみんなもおとなになったらいっしょにせいぎのためにあくのてさきフェミニストをやっつけてフェミニズムをほろぼそうね。やくそくだよ。さー!みんないっしょに!フェミニズムをー!ぶっこわすー!!!!!はーい!よくできましたー!ここからはちょっとせいてきなはなしになるからよいこのみんなとはここまでだよ。まったねー!
初見の方は名刺代わりにこちらをご覧ください。
というわけでですね。何で子供向けな感じで始まるかと言いますとNetflixで配信されたフランス映画「キューティーズ!」が米国で「まるで児童ポルノだ!!」と大炎上。Netflix解約運動に発展し監督への殺害予告にまで発展する事態になってしまっているそうです。ちなみに監督はセネガル系フランス人の女性監督であるマイムナ・ドゥクレです。セネガル系ということは黒人女性ということですね。
問題になったのはこのシーン。
クライマックスのシーンですがあどけない11歳の少女達が過剰までに性的なダンスを踊るシーンが問題視されてしまいました。Netflixというのは入会したユーザーしか観られないので一部のシーンばかりが切り取られ拡散してしまい大炎上してしまいました。
本作の筋としてが保守的な文化圏のセネガル系イスラム系の黒人の少女がセクシーなダンスに魅入られダンス大会に出場しダンスを披露するというものです。ああ、はい、フェミ信者が「女性のエンパワメント!」とかいかにも喜びそうな内容ですね。ちなみにフェミ信者というのは表向きはアンチポリコレ、アンチフェミの振りをしながらそれらを盲信してやまない人らのことを言います。
早速この案件を嗅ぎつけたフェミ信者がこれは抑圧だの何のお決まりのパターンの議論をしているのを眺めておりましたが芸術家の会田誠氏が「これフランスの作品てことは何らかの批評性が込められているんじゃない?」との発言には思わず感心しました。この辺のカンの鋭さは流石アーティストだけあります。あのフレンチが一筋縄でいく作品など作るわけがありません。
保守的で閉塞的なセネガル系のイスラム系の少女が学校でアメリカナイズされた派手な格好に身を包んだ不良少女達と出会い地元の公園でのティーンのダンス大会に出場する。一見するとラブライブのような女子のエンパワメントみたいなフェミ信者が喜びそうな話ですがしっかりと視聴するとそんな単純な話ではなく実は複雑な批評性がこめられていることがわかります。
イスラムの女性達が教義を唱える集会で退屈そうな表情を浮かべるアミ。彼女が本作のヒロインとなります。円らで大きな目が印象的な黒人少女です。イスラム圏では女は適齢になれば嫁に行き良き妻、良き母になるのが運命です。
厳格なイスラムのアミの家では第二夫人を迎えることが決まっておりその式が近づいている設定です。「ちゃんと携帯電話で自分で身内に婚姻の事を報告するのよ。大人の女になりなさい」と一族の大女将として君臨する伯母はアミの母親に容赦無く告げます。
閉塞的な地元のイスラムに嫌気がさしていたアミは学校でアメリカナイズされたような派手な格好をした明らかに周りと異質で浮いている不良少女たちと出会います。彼女たちはダンスグループを組み地元のダンス大会に出場するのを目標にしていると言います。アミも彼女達とともにダンスの練習をし大会に出場する事を目標にします。
夜、ベッドでスマホを手にインスタグラムで出会った不良少女達がインスタグラムに写真をアップしているのを見てさっそく自分でも自撮りを加工を加えアップするアミ。瞬く間にいいねが付き思わず嬉しさのあまり笑みを浮かべます。
私は主にTwitterに生息する陰キャなのでInstagramは登録などしておりませんがInstagramといいTwitterといいある程度のルックスの女性が自撮りをアップすればたちまちいいねとフォローが雨あられのよう降り注ぎます。それはおそらく麻薬的なものでしょう。実際Instagramはモデルが女優がいかに自らがセクシーかを誇示する場となっています。いわゆる良妻賢母たるべき規範から解き放された現代とは女性が永久にセクシーであらねばいかない世界です。しかし寄る年波には勝てず若い世代の女子には勝てなくなってるくるとまあ小島K子みたく若さを求められるのは呪いとか抜かすわけですが。
スマホのネットでセクシーなガールズユニットが激しくヒップを揺らしながら踊るPVに憧れダンスに勤しむ少女たち。監督のマイムナ・ドゥクレは「ソーシャルメディアの時代、少女たちは『セクシーに見えている女性ほど成功している』と思っており、安易に真似てしまっている。それは危険なことだ」と語っています。家父長制から解き放たれた女性たちが包括されたのは資本主義とSNSです。
WAP
まずはこちらのMVをご覧ください。
WAP(Wet Ass Pussy)とはどう意味かというと濡れたケツとオマンコという意味です。いや、これ私の誇張でもなんでもなく本当にそういう歌です。
まあ男性ラッパーの歌も俺のムスコを吸いなとかそういう歌だったりするわけですが。。
音楽界はもはやロックよりもきわめて即物的なヒップホップに取って代わるようになってしまいました。
エルビス・プレスリー、ビートルズの世界的流行により一気に花開いたポップミュージックの世界がまさかちんぽこおめこの世界になるとは夢にも思いませんました。いや、大変下品な表現で恐縮でありますが。
この曲に関しては全米TOP1を飾り共和党系の保守派が難色を示すなど物議を醸しております。
TikTokでは流石に性的なワードが編集されたバージョンのPVが公開されているようですがティーンエイジャーの少女達がダンスを真似た動画を公開するのが後をたちません。
ティーンエイジャーの少女達がアーティストのセクシーなMVに憧れて真似をするというのは現在進行形で現実に起きていることなのであり本作はそういう意味で現代を鋭く描き出した作品なのです。
もはや資本主義のアメリカナイズされた現代において恋愛は精神性も何もなくただひたすらセックスのみとなってしまった。恋愛は死んだと嘆いたのは作家の本田透ですが現在はさらにそれが進行してしまっているようです。
ダンス活動にのめり込みすぎ厳格な伯母から叱責を受けるアミ。ふと彼女のジーンズの股から赤い沁みが滲み出ているのを見て伯母は嬉しそうに笑みを浮かべこう言います。「何も心配ないわ。女ならみんな経験することよ。お前の年頃で私は婚約してた。数年後 体を洗われ服を着せられ白い布で全身をすっぽり覆われた。頭から足の先までね。そして夫の所へ行って結婚した。彼がその白い布を持ち上げて友人や招待客に私を紹介したの。家族のみんなにもね。壮大な結婚式だった。同じ幸運を授かるようにお前のために神に祈るわ」
古典的な良妻賢母たれという規範から女たちは解き放たれたがそれは永久にセクシーであらねばならない社会であり現代のセクシー文化はもはや常軌を逸したものではないか。そしてそれは純粋な少女たちにも深く浸透していくのだというのが本作の問いかけでありテーマです。
父親のスマホを勝手に使っていたことを父親に知られてしまうアミ。父親に返すよう激しく問い詰められますが洗濯室にこもったアミはスマホで自らの剥き出しの股間を撮影しネットにアップします。あたしはもう小娘ではない。女なのだと宣言するように。翌日、学校でもそのことが話題になりダンス大会をともに目指していた少女達からもあんたはやり過ぎよと絶縁されてしまうアミ。
第二夫人を迎える婚姻の式の当日の朝、目覚めたアミは全身を白い花嫁衣装に身を包んだ第二夫人と遭遇します。ここでアミの着ている服の色に注目すると彼女も同じく白色の寝巻きを着ていることからこれは彼女がこれから待ち受ける未来ともろに向き合う場面なのです。血相を変えて飛び出すアミ。線路の橋に隠したダンス用の衣装を手に取るとダンス大会に向かいます。「私も参加させて!」とメンバーの不良少女たちに訴えるアミ。ここから例の問題となったダンスシーンが始まります。
本作のクライマックスで年端の行かない少女達がきわめて性的なダンスを踊るシーンにまつわるある種の痛々しさとは本人達がそれがきわめて性的なことをよくわからず(少なくとも主人公のアミはよくわかっていません)ただ単にカッコいいと思ってやっているが観客含め審査員の大人たちはそれがわかるので思わず困惑の表情を見せる。そのズレからくるものだと思われます。
不良少女の帰還
ダンス途中にふと家族のことを思い出し立ち尽くし涙するアミ。そのまま我が家に向かって走り出します。「何なの!その格好は!まるで売春婦じゃない!」ダンスの衣装のまま帰ってきたアミを見て血相を変える叔母。アミの母親は優しく「いいのよ。式には出なくていい」と抱きしめます。
着替えて式の様子を眺めるアミの向こうでは色鮮やかで美しい民族衣装に身を包んだ女性たちが踊っているのが見え閉鎖的で退屈と思われていたセネガル系イスラムの文化にも豊かな部分があるのではないかということが示唆されています。
最後はイスラムの少女たちが縄跳びの縄を回しているところに入り跳ねながら映画後半からはずっと硬直した表情だったアミがやっと子供らしい笑顔を取り戻すところで映画は終わります。
フェミニズム的SF映画とされているエイリアンシリーズ。ヒロイン、リプリーを主人公としたシリーズとしては完結編のエイリアン4のラストは劇場公開版では危機を乗り越えて宇宙船で地球の大気圏を突き抜け飛来し希望を感じさせるラストですがカットされた本来のラストでは荒廃した地球の地でシガニー・ウィーバーとウィノナ・ウィダー演じるWヒロインが「これから私たちどこへ行けば良いの?」「さあ・・・」と半ば呆然と語りその背景の地球の光景はエッフェル塔が無残に折れており明らかに廃墟と化しているのが見えます。そこは奇しくも女性解放運動が始まった地であるフランスなのです(ちなみに監督はフランス人監督のジャン・ピエール・ジュネ)。女性解放運動は少なくとも先進国ではその存在意義を失い破綻してしまっている。そう私は思います。これ以上行くと女性はもはや「人間」ですらなくなってしまう(本作のWヒロインのシガニー・ウィーバーはエイリアンとのハイブリッドクローンでウィノナ・ライダーはアンドロイドなのでどちらも人間ではない)。
夢の中へ
こういうことを言うと彼らフェミ信者は「女はとっとと嫁に行けというのか!」とか「女子教育を否定するつもりか!」とか「女性の社会進出を認めないというのか!」とか「女性の人権を認めないというのか!」とか言い出して全くもって繊細な感受性が欠落した粗雑な感性の持ち主だなあと毎回思わずにはいられませんがまあ、最後に井上陽水の名曲「夢の中へ」でもお聞きください。
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