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私と「ポケモン」シリーズの思い出について

皆さんこんにちは。クソ腐女子のアンタレスです。

今月、この記事含めてもう3記事も投稿できてますね。半年に一度とかの更新だった頃から比べると進歩したように感じますが、そもそものレベルが低すぎるのでもっと努力が必要だと思っています。

さて、今回は、noteのお題を借りた話題になります。そのお題こそ、「心に残ったゲーム」。

私もオタクの端くれとして、ゲームというものはいくつもプレイしてきました。据え置き型のテレビゲームを弟と一緒に遊んだり、携帯型のゲーム機を友達の家に持ち寄って通信対戦をしたり、そして今は、スマホで色々なゲームをやっています。

しかし、ゲーマーの弟に比べると、私のプレイしてきたゲームの数はそう多くありません。もともと、一つのことにのめり込むとそれ以外のことが見えなくなるタチの私は、色々なゲームを同時進行させるのが苦手なのです。だから、一つゲームをプレイし始めると、そのゲームに飽きるまでは他のゲームができません。よって、プレイしたゲームの数が少ないのです。

今では大分その癖もマシになりましたが、それでもスマホゲーム3~4本を同時進行させるだけで精一杯です。色んなゲームを掛け持ちできる人はすごいと思います。

まあ、それはさておき。

ゲームに対して不器用な私にも、「心に残ったゲーム」というものは存在します。

それは、「ポケットモンスターシリーズ」です。

オタクなら、というか、日本人なら誰でも知っているレベルのゲームです。最新作の「ソード・シールド」は、発売されるや否や大ヒットを飛ばし、今年の冬には、シリーズ第4作目「ダイヤモンド・パール」のリメイク版である「ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール」の発売も決まっています。

そんな、国民的ジャンルの「ポケモン」は、私の人生にも大きな影響を与えてきました。

私が「ポケモン」を始めてプレイしたのは、幼稚園児の頃です。発売されたばかりの「金・銀」となぜか「ピカチュウ」バージョン、3本のソフトとゲームボーイカラーがクリスマスツリーの下に置かれていたのが始まりでした。何故3本も置かれていたかというと、2つ下の弟と一緒に遊べるように両親が配慮したからでした。

その頃の私は、アニメでしかポケモンを知らなかったのですが、クリスマスプレゼントとして貰った3本のソフトを、弟と共に夢中になって遊びました。父方の従兄が、ポケモンを譲ってくれたこともありました。

幼稚園児なので、ゲームのシステムやルールが理解できないところもありましたが、それでも、私が生まれて初めてプレイした、思い出深いゲームです。ただ、数年後にはセーブデータが吹っ飛んだのですが。閑話休題。

「金・銀」の発売から時間が流れ、私は小学二年生になりました。そしてその年に発売されたのが、「ルビー・サファイア」でした。

私の誕生日は11月上旬で、「ルビサファ」の発売日は11月下旬だったので、私はまず、誕生日プレゼントとしてゲームボーイアドバンスを買ってもらいました。買ってくれたのは、今は亡き母方の祖父母です。機体の色はゴールドを選びました。

そして、その年のクリスマス、サンタクロースからのプレゼントという体で、私は「ルビー」、弟は「サファイア」を手に入れました。

それからは「金・銀」の時と一緒で、私はゲームに夢中になりました。最初のポケモンは、一番可愛いからという理由で選んだアチャモでした。最初に挑戦するジムはアチャモには不利なタイプで、彼(私のアチャモは♂だった)以外をまともに育成していなかった私はかなり苦戦しました。頑張ってアチャモを育てていたらいきなりワカシャモに進化して、彼の「にどげり」でジムをあっさりクリアできた時の衝撃は忘れられません。

ゲームを続けているうちに、ワカシャモが進化の時を迎えました。進化の演出が終わった後、そこにいたのはバシャーモでした。私はめちゃくちゃ驚きました。実は、バシャーモだけは、アニメに先行登場していたので、存在を知っていたのです。「ああ、この子だったんだ」と思いました。あの時の感動は今でも色褪せません。

その後も、バシャーモ頼りでゲームを進めていき、ついにはストーリーをクリアしました。生まれて初めて、自力でゲームをクリアした瞬間でした。本当に嬉しかったです。今と違って攻略サイトも無いし、攻略本の存在すら知らなかったので、文字通り手探りでクリアしたのです。

また、学校でもポケモンは流行っていて、クラスの友達と通信や交換を楽しんだ記憶もあります。私は通信ケーブルを持っていたので、周りから羨ましがられたこともありました。

両親も、ポケモンに夢中になる私にぬいぐるみを買ってくれたりしました。新しいポケモンを捕まえたことを親に報告しても、嫌がらずに聞いてもらえました。

今思えば、私のオタクとしての基礎を築いたのはポケモンでしたし、私の「一度夢中になるとそれしか目に入らなくなる」という性質が覚醒したのもポケモンの影響でした。

さて、その後発売された「エメラルド」や「ファイアレッド・リーフグリーン」もプレイしましたが、これらは途中で詰みました。さらに、年齢が上がってくると、同年代の子たちはポケモンを卒業していきました。「ポケモンは子供っぽい」という認識が当たり前になり、友人も親も、ポケモンの話を聞いてくれなくなりました。

私も、別の作品にハマったこともあって、ポケモンから離れました。弟はずっとポケモンをプレイしていましたが、私はすっかり関心を失っていました。

そして私は、小学校高学年から中学卒業までに、様々な漫画やアニメに夢中になり、腐女子として完全に覚醒しました。

転機が訪れたのは、高校生の時でした。

高校で出来たオタク友達の多くが、ポケモンをプレイしていました。しかも、最新作「ブラック・ホワイト」に登場する「サブウェイマスター」という双子の兄弟のキャラクターが、腐女子の間でブームになっていました。

そういう環境の中で、私は再びポケモンに興味を持ちました。ただ、新しいソフトを買う余裕は無かったので、弟が購入した「ホワイト」を貸してもらいました。弟は、「ホワイト」をクリアした後ポケモンに飽きていたので、すんなり貸してくれました。

弟の許可を得てデータを初期化し、私は「ホワイト」をプレイしました。そして、見事にサブマス沼に沈みました。

毎日のように友達とポケモントークで盛り上がり、学業そっちのけでゲームや二次創作漁りに精を出しました。

最初は人間キャラばかりに目が行っていたのに、いつの間にか手持ちのポケモンたちにも愛着が湧いていました。

また、「サブマス」繋がりで、他校にも友達ができました。この時にできた他校の友人とは、今でも付き合いがあります。

そんなわけでポケモンに完全に出戻りした私は、プレイしていなかった過去作にも手を出しました。「プラチナ」バージョンをプレイした時に、ポケモン界隈でも最推しキャラ(人間キャラの中で)にも出会いました。

Twitterも始めて、ポケモン好きの同志と繋がりました。

そんなことをやっているうちに、私の中でポケモンは、「実家みたいなジャンル」になっていました。他の作品にハマったとしても、定期的に戻ってきてしまうのです。

「ホワイト」の後に出たシリーズもプレイして、今は「シールド」をプレイしています。

結局、私の人生は、いつも「ポケモン」が側にありました。楽しい思い出、大切な友達、そして、オタクとしての基礎。ポケモンは、私にたくさんのものを与えてくれました。そして、これからも、新しい人との繫がりや思い出を与えてくれるでしょう。

そして、今年の冬に出る「ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール」は、私の最推しキャラがいる地方が舞台です。

今から発売が楽しみです。発売したら、また、Twitterのフォロワーや、リアルのオタク友達と盛り上がりたいものです。

これからも、ポケモンというジャンルが一層発展していくことを願って、この記事を締めようと思う。

とりあえず、冬に向けてお金を貯めなくちゃヤバい。

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