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「スポーツ」と「身体活動(運動)」の違い

「スポーツ」とよく似た意味で「運動あるいは身体活動(Physical Activity)」という言葉があります。
この両者の違いをみなさんはどのように理解していますか?

体育科教育の学習指導要領にも「運動やスポーツに親しみ…」と両者を並列しています。また、スポーツ庁が出しているスポーツ振興基本計画の中でも「スポーツおよび身体活動の促進を…」などと別物として書かれています。

「スポーツ」と聞くと、サッカーや野球、バスケットボールなどのいわゆるオリンピック競技をイメージする人が多いと思います。それらは主に「近代スポーツ」とよばれ、より狭義なスポーツのくくりになっています。もちろんオリンピック競技以外にもたくさんのスポーツは存在します。

では、次のうちどれが「スポーツ」に含まれるでしょうか?

A:オリンピックフルマラソン42.195km
B:市民大会陸上100m
C:家の周辺をジョギング3km
D:遅刻ギリギリのサラリーマンが駅までダッシュ
E:子供が休み時間にするおにごっこ
F:体育の時間の持久走

この時点では、人によって意見が分かれると思われます。これらはすべて『走る』という共通動作が含まれます。先に言ってしまえば、上記はすべて「運動(あるいは身体活動)=Physical Activity」に含まれます。しかし、すべてが「スポーツ」ではないなということは感覚的にわかると思います。
では、「スポーツ」に含まれるのはどれなのでしょうか?「スポーツ」とはどんな定義なのでしょうか?


次の3つの要素を満たすものを「スポーツ」と呼びます。

①身体活動を伴う「ゲーム」であること
②ゲームに「勝利」することが目的であること
③主観的にその時間・空間が「非日常」であること

①について解説します。「ゲーム」とは、ある定められたルール(時間制限・空間制限・動作制限)の中で、特定の目的を達成することを目指すものと定義することができます。サッカーやバスケのようなゴールを奪い合うものはもちろん、トランプなどのカードゲームや飲み会でやるようなゲームも、すべてこの定義の中に当てはまります。ここに『走る』などの基本的な運動動作が伴うものを、スポーツの第1条件とします。

②は、そのゲームに「勝利」を目的として参加することです。この「勝利」とは、ゲーム内で達成が目指されるべき特定の行為ともいえます。サッカーでいえば「相手より多く得点を決めること」であり、ババ抜きでいえば「相手より早く手札をなくすこと」になります。相手がいないゲームもありますが、その場合は自分の中で決めた(あるいは機械に指定された)「記録」や「スコア」を出すことを目的とします。そして「成功(=勝利)」もしくは「失敗(=敗北)」を味わうのです。

よく「勝利ではなく、楽しむことが目的だ」という参加者または指導者も多く見かけますが、私はほとんどの場合それは誤解だと思っています。なぜなら「楽しむ」というのは「勝利を追求することを楽しむ」のであって、「勝利にこだわらない」という意味ではないからです。

例えばレジャーでビーチバレーを楽しむ人たちは、得点も何も意識せず、ただポンポンとボールをついているだけのように見えます。しかし彼らは、<自分の近くにボールを落とす=負け、相手がボールを落とす=勝ち>というゲームの勝利設定を理解しているから、飛んできたボールを跳ね返すことを楽しめるのです。彼らはゲームの中で無意識のうちに「勝利に近づくような行動決定」をしています。これは勝利設定の理解を前提としなければ成り立たず、勝利に向かうための行為を楽しんでいるということになるのです。一方で、たしかに彼らは「勝利すること」にこだわってはいません。でも、勝利に向かう行動をとらないと、ビーチバレーは楽しめないのです。勝利にこだわってないからといって、その姿勢を「楽しむこと優先」とするのは誤謬なのです。このように勝利に向かう行動決定をすること、すなわち勝利の追求をすることが、スポーツである第2条件となります。

③の話に移ります。スポーツは元々「遊び」をルーツにもちます。スポーツの語源であるdeportare(デポルターレ)は「遊び、気晴らし」という意味を持ち、ゲームを行うことで”非日常”を味わおうとする行為として用いられてきました。つまり、日常生活とは違う「特別な時間・空間」として独立した活動でなければなりません。これはスポーツの第3条件となります。


このような3つの条件がすべてそろったものを「スポーツ」とよびます。では、改めて先ほどの例を考えてみましょう。

A:オリンピックフルマラソン42.195km
B:市民大会陸上100m
C:家の周辺をジョギング3km
D:遅刻ギリギリのサラリーマンが駅までダッシュ
E:子供が休み時間にするおにごっこ
F:体育の時間の持久走

A・Bは同様に考えることができます。フルマラソンも100m走も「相手よりも早く走り切る」という勝利条件のゲームであり、参加者はその勝利を追求してレースに臨みます。そして、そのレースが前後の日常生活から独立しているため、3つすべての条件を満たしていると考えられます。したがって、A・Bはともに「スポーツ」です。

次にEを考えます。おにごっこは「制限時間中相手から逃げ切れば勝ち」というゲームで、子供たちはひたすら「逃げる」ことで勝利の追求をします。また、子供にとって休み時間は日常の教育活動から解放された”非日常”であり、その中で行うおにごっこはまさに「遊び、気晴らし」です。したがって、3つの条件がそろい、Eも「スポーツ」であるといえます。

Dはどうでしょうか。駅に向かってダッシュするサラリーマンは、「制限時間内(電車の発車時刻まで)に電車に乗ったら成功」という勝利条件のゲームをしているといえます。当然、その成功(=勝利)をめざしてひた走っているのです。しかし、そのゲームは仕事に遅刻しないためであり、日常から独立してはいません。つまり、「遊び、気晴らし」ではないのです。したがって、これは「身体活動」ではあっても、「スポーツ」ではありません。

判断が難しいのがC・Fです。Cは、そのジョギングの目的によって判断が分かれます。もしジョギングする理由が「健康のため・ダイエットのため」であれば、日常から独立していない身体活動となります。もし友人と一緒におしゃべりを楽しみながらのジョギングであれば「気晴らし」にはなりますが、そこにゲーム要素はありません。しかし、「今日は〇分以内に完走しよう」のような時間設定を設けてその達成を目指すのであれば、それはゲームとなります。ジョギングがゲーム化され、走っている最中のモチベーションがゲームの成功であれば、それは「スポーツ」となるのです。つまり、同じようにジョギングしても、モチベーションや意義によってスポーツになったりならなかったりするということです。

Fも同様に、体育を受ける子供たちのモチベーションに左右されます。「〇分以内」「〇位以内」「前回の自分越え」のように設定してゲーム化すれば、まず1つの条件を満たします。しかし、本人がその達成に無関心であったり、持久走そのものが「授業(=日常)」として認識されてしまったりすれば、スポーツにはならなくなります。持久走に限らず、体育はその活動が「スポーツ」なのか「身体活動」なのか、指導者が明確にイメージできていないといけません。その曖昧さは子供たちを混乱させ、結果的に活動への集中を阻害する要因となってしまいます。


今回は『走る』という例でスポーツと身体活動の線引きをしましたが、他の動作を伴う運動についても、同様の判断基準でスポーツの定義ができます。一人ひとりにそれぞれの「スポーツ」のイメージがあることは決して悪くはないのですが、その微妙な”ズレ”が問題の火種にもなりかねません。自分にとってのスポーツを自分の言葉で説明できることが必要なのだと思います。もし私の定義に共感していただけるのなら、さらにうれしいです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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