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すき、を飛び出したい。〜「写真」X「言葉」X「襖紙」展を終えて〜



翌日のわたしは、まるで煮立ちすぎたうどんのようだった。

昼まで寝て、こねられて(久しぶりにマッサージに行った)湯舟でぼーっとし、またもや、寝る。
そしてひたすら、ソファを背に足を放り出しぐでん、と。まあ、ハリもコシもないひどい有り様だ。

そして、ぐるぐると回想する。

楽しかったなあ、
もう終わっちゃったんだなあ。
慌ただしさと感情のジェットコースター。
たくさんの笑顔。
そして、心にぽっと温かく残った言葉たち。
一つ一つを、ゆっくり噛み締める。

こないだの日曜日、2ヶ月弱前から、友人と企画していた、
「写真」×「言葉」×「襖紙」展が、終わった。

〜*〜*〜*〜*〜*

目の前の光景に鼻奥がつんと疼くことって、
ないだろうか。
目の前の光景にほうとため息が出ることって
ないだろうか。

わたしは、ある。

何に心動かされ、何に心震えたのかは、きっとそのときの自分にしか感じられない。
だから目の前の景色たちは、自分の感性の一部だと、わたしは思っている。


ここ数年、自由に好きなところに行きにくくなったからこそ、
日本中の様々な景色の写真を見て想いを馳せる、せめてそんな心の中だけでも、
旅ができたらなあ、という思いをこの写真展に込めた。

コピーを考えるのも初挑戦。
すごく好きな写真、、、、!!

写真と言葉を組み合わせた写真展。
写真は、高校の同級生Yちゃんで、
言葉はわたし。

写真展、ではなく言葉も添えよう!
あ、フォトエッセイ作って、展示するのは?!

わくわくがエンジンとなり、とんとん拍子に話が進んだ。


会場は、同じく高校の同級生Hちゃんのworking holiday cafe。

縁あって、器とキッチン雑貨の「さいえ」さんのご協力も頂き、掛け軸に使われる端材の襖紙で写真や言葉を縁取った。

色、柄、光沢、手触り。
様々な味わいのある和紙、襖紙。

SDGsの観点から、新しい使い方が出来たら、という試みだ。
襖絵と写真?と最初は、ピンとこなかったものの、組み合わせてみると、写真に奥行きが出て、双方の良さが引き立てあっている気がする。

作業途中で、ぱしゃり。

どんな場になるんだろう、、、!

こんな場を企画したり、開催したりするのは、初めて。
当日を迎えるまで何だか、緊張と期待と不安と様々な気持ちが混じりあってふわふわしていた気がする。

そして迎えた当日、3月20日。

ふらっと立ち寄ってくれた人、友達の友達、高校の同級生、私の小中学校時代の友達、友達のご両親、そして私のパートナー、と
常に人でいっぱいの暖かい空間になった。


終えてみて気づいたことが、
大きく分けて3つある。


1つ目は、改めて、書くことに対する気持ち。

note以外で言葉を人前にさらし、成果物として1冊のフォトエッセイを作るにあたり、
どうしたらこの気持ちにしっくりくる言葉になるんだろう。
どうしたら伝わる言葉になるんだろう。
と、本当にたくさん悩んだ。

特に今回のフォトエッセイは、いつもnoteで、書いているエッセイと違い、冊子にするにあたり文字制限があり、かなり言葉を絞る必要があった。

エッセイというより、少し詩に近い形なのかもしれない。


これまでにそのような文章は書いたことはなく、イメージが沸きにくかったため、まずはインプットとして多くの偉人の詩や、名言、文章に触れることにした。

すごいなあ、、。
素敵な表現に唸る。

まだ出会っていなかった素晴らしい言葉や文章を、また一つまた一つ拾い集めるように、
自分のノートに書き写した。

心動かされる言葉に出会うたび、気持ちは上がる。

そして、決まって、落ちるのだ。

それは、まるでジェットコースターのように、
唐突に。


わたしには、こんな流れるような文章なんて、書けない。
わたしには、こんな彩りのある言葉、生み出せない。

たくさん言葉を出すけれど、どれもこれも
しっくりこなくて、わたしは何度も何度もひしゃげた。

友だちの素敵な写真と、釣り合うのかな。
仕事でもないし、お金になるわけでもないのに、こんなに時間をかけて、しんどい思いをするのはなんで? 
楽しく書くってなに?
わたしって、才能がないな。

様々な感情が、吹き荒れる。



書くことが好きだ。
言葉が好きだ。
好きだけど、

「好きなことを続けること それは楽しいだけじゃない。」

yoasobiの「群青」の歌詞が、これでもかというくらい、がんがんとこだまする。

しかし漂っていた言葉たちが、どうにかこうにか、ようやくまとまりをみせ始める。
友人の素敵な写真と組み合わさって、
一冊のフォトエッセイとして目の前に現れたときの、何ともいえない充足感。

この瞬間のために、あの時間はあったのか。

そして、幸せなことに、たくさんの人に写真や言葉を見てもらい、フォトエッセイを手に取ってもらうことができた。

「自分も、そんな気持ちになった。胸にずしんと迫ってきた。」

「言葉の周りに、他の言葉がたくさん見えてくるよ。」

「仕事も一生懸命がんばりながら、こうやって自分のすきを形にしているの、すごいね。」

温かい言葉を、たくさんもらった。


これまで生きてきて、私自身、たくさんの言葉に諭され、ときに背中を押され、ときに自分に向き合うきっかけをもらってきた。



楽しいだけじゃないのは、十分にわかった。

文章を書くにあたり、わたしに足りないものは、うんとある。

けれど、それでも私は、私なりに言葉と向き合うことを諦めたくないと思う。


誰かの心にすっと入るような言葉を、
何か、思わざるをえない言葉を。

「すき」だけじゃなく、きっとそこから
飛び出したいんだな、わたしは。




2つ目。誰かとつながって、化学反応が起こる、すごさ。

来てくれた高校の友人の1人、Yちゃん(別のYちゃん)が言った。

「そういえば、高校のとき、Y先生が(登場人物のYの多さよ!!)人と人との関わりは化学反応や!何か生まれるんやって熱く言ってたなあ。今回、3人を見ていて本当にそうだなぁと思ったよ」と。

Y先生はマッチョで、瞳がきれいな茶色の体育の先生。
優しいゴリラって多分こんな感じ、という印象しかなかったが、(失礼かて) 確かにそうだなぁと改めて思わされた。



今回一緒に今回写真展を行ったYちゃんとカフェでコラボしたHちゃんは高校の同級生だったが、当時めちゃくちゃ仲が良い、というわけではなかった。  

2人とも同じクラスでも同じ部活でもなく、廊下で会ったら少ししゃべったり、挨拶をしたりといった仲。

今、当時は知らなかった2人のことを、
たくさん知っている。

わたしたちは、10年の時を経て、
また出会い直したんだな。

そして、悩みながらも、自分のしたいことや目標に向けて果敢に、チャレンジしていく2人の姿にたくさんの刺激をもらっている。

今回の「写真」×「言葉」×「襖紙」展だって、きっと私一人ではすることがなかっただろう。

そして、フォトエッセイを作ってみようだなんても、思わなかったはずだ。

仲間がいることで、できることってあるんだなぁ、これが化学反応か、なんて思う。
また、つなげてくれた友達にも感謝したいとなあ、と思う。
そして、今回襖紙のコラボするにあたり初めて出会った さいえさんも、優しい雰囲気の素敵な方だった。こういった日本の伝統的なもののことを、もっと聞いてみたいな、と思う。


3つ目は、応援の尊さ。

今回開催するにあたって、インスタやTwitterを始めとしたSNSに、当日までのことを何度か載せた。

実際に足を運んで、温かい言葉をくれた友人たち。
「行けないけど、フォトエッセイ買いたい!」と名乗り出てくれた友人たち。

「なんか面白そうなこと、してるな~!がんばって!」
と声をかけてくれた友人たち。

何かをしてみる立場になって、改めて実感する。

応援は、大きなパワーとなることを。

もし、誰かが何かに挑戦する時や踏み出した時は、わたしも惜しみなく応援できる人でありたい。

心の中で「がんばれ~」って思うだけじゃなくて、その人に伝えたいし都合が合えば、応援を行動に変えたい。



実はこのnoteでも、お知らせすることを考えた。

が、今回ははじめての試みで、どんな感じになるか全くわからないし、私の心の準備が追いつかなかったので、あえて告知はしなかった。

が、もし2回目、するとしたら(多分大阪)
誰か、お知り合いのnoterさんたちも顔を出してくれたりすることもあるんだろうか。

う~んそれは、にやけすぎて爆発する。

つらつらと書き連ねてしまいましたが、
ここまで読んでいただき、ありがとうこざいました、、!!

(一応フォトエッセイは、まだ数冊あるので、一冊600円で販売しています。ご興味ある方は、ご連絡ください、、、!送る際、愛を込めたお手紙も同封しておきます(笑))





最後にお世話になったメンバーのnoteやブログ、貼っておきます。


#写真  #言葉 #襖紙
#フォトエッセイ

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