見出し画像

映画 「Wish」感想つらつら。


今年は、ディズニーが世に誕生してちょうど100周年の年にあたるそう。

公開前から「ディズニー100年の集大成」と銘打って宣伝された、「Wish」。
駅に予告のポスターが掲示されていたり、グッズがコラボされたりしているのを見かけ、広告にもかなり力を入れている様子がうかがえた。

さあ、どんなものを出してくるんだろう、と気になっており先日ようやく観に行くことができた。



〜ここから じゃんじゃんネタバレに繋がることにも言及していきます。ご注意ください。これから観にいかれる予定の方、いったんここで戻ってまた観られてから、ご覧になってくださいねえ・・・!


この物語のヒロイン、アーシャが住む王国ロサスは、魔法使いである王、マグニフィコが創った国。ここは、願いが叶う国であり、その噂を聞いて他から住民たちがやってくるほど素敵な国だ。

ロサス王国の住民たちは、夢が何者かに壊されないように守るという王の名目のもと、王マグニフィコに自身の夢を預ける。

しかし、この物語のヒロインであるアーシャは、ひょんなことから、王は国益となるような夢は叶えるが、国にとって危険分子となるかもしれないような願いは叶えないのだと知る。
「そんなのっておかしい!」と反発するところからストーリーは展開されていく。

登場人物あれこれ。

「哀しき元善人」
そしてこの作品で最も注目すべき登場人物は「マグニフィコ王」である。公開前から、イケオジ代表、あの福山雅治が声をあてるとして話題になった。

映画を観に行く予定のない人もぜひ、youtubeなどで彼が歌っている「無礼者たちへ」を聞いてみて欲しい。
今回この役どころに本当にしっくりくる声と演技力で、彼を推した人にスタンディングオベーションを送りたい…!

ちなみに彼は予告の中でも、
ああ、この人が悪役か。
と見ただけで、判断できるような描かれ方がなされている。
彼は「最恐のヴィラン」として、予告の中でも紹介されているが、本当にそうなんだろうか。

彼は過去に戦争で故郷、家族、夢、全て失う。全て失ったところから、己の努力のみで這い上がり、一代でロサスという王国を作り上げる。

その血の滲むような行動の根底には、環境によって人々の「願い」や「夢」が壊されるような理不尽があってはいけない、
もう他の誰にも自分のような苦しさを経験させたくないという強い想いがある。

家のないものや外からやってきたものにも、平等に居場所を与えよう、という慈悲の心も持つ。

アーシャが、彼に亡くなった父の話をしたときには、
「ああ、あの哲学者の…。」
と、たくさん住民がいるにも関わらず、一国民的である人のことを知っていたため、人々に無関心なわけでもなさそうだ。

そもそも住民の「願い」を奪ったのではなく、住民たちは自らの意思で納得して王に預けている。そして冒頭の住民たちの様子を見るに彼らは幸せそうだ。
自分の力でそうして住民の幸せを保障しているのだから、彼は「自分はすごい王であり、みんなから認められてしかるべきだ」そういった想いが強い。

そこだけ見ると、ちょっとナルシストだけど、そう悪い人物でもないと思う。
過去に国が崩れた悲惨な経験をしているからこそ、そうなってしまうことに過剰な恐れを抱き、防ごうとする心理も分からなくはない。

しかし、彼は信頼されるべき国民たちに疑念の目を向けられたことで、「無礼者め!!」と逆上し、力を暴走させてしまう。そして「悪」と呼ばれるような、いわゆる「闇落ち」してしまった。

「信じていたのに」
「自分はあれだけしたのに」

尽くしたものが大きければ大きいほど、裏切られたと感じたときに、どす黒い感情に全てが持っていかれてしまう。
これまでにそんな経験をした人も少なくはないだろう。

後半のマグニフィコ王の言動や様は、残念ながら「悪」そのものへと変貌してしまった。
「自分は自分をどう見るか」ではなく「他人の評価」をきっかけに身を滅ぼすことになったなんとも哀しき人物。

普通の人が、一つのあるきっかけで悪に堕ちる、そんな危うさも訴えたかったのではないだろうか。

マグニフィコ王は、元は絶対的な悪なんかじゃなくて、善の気持ちも持っていた人間くさくて、誰でもそうなる可能性のある憎めない人物、わたしはそう思った。


「ヒロインの友人たちについて」

ディズニーのプリンセスやヒロインが動物たちと心を通わせているのは、太古の昔からのいわゆる「お約束」である。

「シンデレラ」では、話を聴いてくれるねずみたちに、「白雪姫」では一緒に歌を歌う小鳥たち。また、「ムーラン」ではコオロギのクリキー、「塔の上のラプンツェル」ではカメレオンのパスカル、そして「モアナと伝説の海」の鶏のヘイヘイ。

今回もその流れは例外ではない、動物の相棒、可愛らしい子ヤギのバレンティノが登場する。
このキャラクター、可愛らしい見た目なのに声はハスキーイケメンボイスというギャップ。
なぜならあのディズニー声優大御所である山寺さんが起用されているから・・!

ディズニーにおいて、動物は単なる動物ではなく主人公にとって、喜び、悲しみを分かち合う、気のおけない友人のような存在なのである。

今回「Wish」で新しいな、と思ったのは、このような動物の友人ではなく、人間の友人たちの存在である。

これまで「モアナと不思議な海」のマウイや、「アナと雪の女王」のクリストフや「ズートピア」のニックのように、ある種の目的達成のためにやストーリーの流れの中で仲間になるということは多かった。

「ベイマックス」では主人公のヒロとその仲間たちも、もともと、彼の兄の大学の仲間だという繋がりはあったが、元からヒロと親しかったわけではなく、とあることに向かってチームとなった。

しかし、元から友人関係だった仲間たちが目的のために協力するといった構図はわたしが考える限り、ディズニーの中で今回が初めてだったのではないか。

ちなみにアーシャの一番の理解者である、友人ダリアは杖をついていて、足が不自由な様子だった。そのことは何か過去の出来事に関係していて、掘り下げるのかもしれないと予想したが、これは特に何もなかった。
言ってしまえば、ストーリーが進む上で彼女が足が不自由である必要はなかったのだ。

しかしあえて、彼女のキャラクターを生み出すうえでそう描くことで、足が不自由だからといって、別にそのことは何ら特別なことではない、と多様性を描こうとしたのかもしれない。

また、回想シーンで幼いアーシャと一緒に木の上で星を眺める彼女の父親の姿が出てきた。
わたしはそれを見た瞬間、お、何か、重要なひらめきやアイデアの中で、父親が語りかける場面、もしくは回想から何かヒントを得る場面が出てくるんだな、と思った。
けれど、それも特になかった。

いなくなった大切な人もかけがえのない大切な人には違いないけれど、結局現在の状況を打開するのは、今時を共にしている人である、という示唆だったのかもしれない。

今回、元からの仲間と協力し合う姿を描くことで、困難に立ち向かうのには、一人の力だけではなく仲間の存在が大きいことや、手を取り合う仲間の尊さなどがメッセージとして感じられた。 


さて、そもそもテーマやタイトルにもなっている、「願い」ってなんだろう。

美しくて、尊くて、素敵なもの。
そして、貴賤も大小もなくて、誰でも持っているもの。今は叶わなくても、いつか叶うかもしれないもの。

この映画の中で、「願い」とはそんな描かれ方をしている。

誰でも「これがしたい」「ああならいいのに」など日々の中での小さな欲と言えるような願いは、たくさんあるだろう。

けれど、想像するだけで、心躍るような「夢」や「願い」、わたしたち大人は持っているんだろうか。


人々に夢と希望を与えるディズニーがこの世に生まれて、100周年。

あれから世界は、さらに今という状況を表す糸の数は膨大に増え、あちこちでそれらは絡まり合いながら、織りなして描かれる世界は、さらに複雑にそして多様になった。

環境問題、差別問題、未だなくならない紛争、貧困格差、ジェンダー問題。
あらゆる技術が発達し、光が当たる面が生まれた分、どこかで濃くなった影も多いはずだ。

とりあえず今生きるのに、食べていくのに必死で「願いなんて。」と鼻でせせら笑うしかない状況にいる人だって少なくないだろう。

それでも、「願い」を持つことは生きるエネルギーとなる尊いものなんだ、ということ。

そしてそんな「願い」は誰のものでもない、あなただけの大切なものなんだということ。

ーあなたの、夢は、願いはなんですか。

映画「Wish」は、かつてディズニーの作品の魔法にかけられた我々大人に向けられた映画だったのかもしれない。


最後に。

「Wish」と同時に「ONCE UPON A STUDIO」という短編も上映される。
「ディズニー100周年だ!記念に集まって写真を撮ろう!」と集合写真を撮るために集まるという短いストーリー。

その過程で、違う作品の本来なら絡むことのないキャラクターたちが関わり合い、会話する。
そして時折、「ああ、あのシーンの。」とにんまりしてしまうような作品のオマージュも描かれる。
初代プリンセスとアーシャが手を繋いでるところはなんだが感慨深かったなあ。

ディズニーが好き!という方々、次から次へと出てくるあのキャラクターやあのキャラクターたちに目が忙しく、観ていてきっと頬がゆるむに違いない。

貰えたポストカード!可愛い。


#映画 #感想 #ディズニー






この記事が参加している募集

振り返りnote

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?