話をする、という価値。
話す、繋がる、聞く、切り口や視点を変え、また次へ。
一つの話題から派生して次々と言葉が連ってゆく。
つい先日、仕事で言葉に造詣が深い友人が主催する「ことば」をテーマにしたイベントに参加してきた。
イベントといっても大人数が集まるような大規模なものではなく、少人数で自分の界隈でよく耳にする言葉」「最近印象に残った言葉」など言葉に軸を置いたテーマに沿って、話す場。
集まる面々は、仕事や立場が様々なので、当然のごとくそれぞれが明るい分野が存在する。
たまたま今回集ったのは、「スポーツ科学」「心理学」「音楽」「ライター」「教育」個々の専門性でいうとそんなところだろうか。
その中で、様々な気づきや感じたことがあったので、忘備録を兼ねて記しておこうと思う。
…*…*…*…*…*…*
スポーツトレーナーであるMさんは、選手に声かけする際、「頑張れ」とは、言わないそうだ。
「頑張る」、すなわち頑(かたく)なに、張る。
筋肉が強張った状態では、力は出にくい。
となると、「頑張る」と力むことは、筋肉的にもパフォーマンスの向上につながりにくいそうだ。
記録が伸びたり、思うようにいったりした選手たちは、「楽しかった」などと口にすることも多いそう。
ふと、これまでの学級での子どもたちへの言葉がけを思い返す。
「もっと頑張れるよ」
「頑張って」
「しっかり頑張るんやで」
わたしは、日々子どもたちに何かと「頑張れ頑張れ」と鼓舞し続けている気がする。これらの言葉全てが間違っていたとまでは思わない。けれど、もっとのびのびと取り組めるような違う言葉がけにした方が良かったものもあったのかも、と少し反省。
話すうちに上がったのは、「難しい」と「分かりにくい」は違うということ。
ー確かになあ。易くない、難しいことは向き合ったら、納得であったり、達成感であったり何かしら満たされるものがある。
でも「分かりにくい」って歯に何か挟まったような不快感がある気がする。
最近流行る曲は、分かりやすいセンテンス、言葉選び、そういった傾向があるそうだ。
消費する側に特段、解釈を求められない分かりやすい歌詞。
何事にも分かりやすさは、大切だ。そりゃあ分かりにくいものより、受け入れられる。
けれど「わたしはこう捉えた」「いや、わたしは...」と受け取るにも自分なりに解釈できるものは、自分の経験や価値観も反映されるから面白い。
うーん、「分かりやすい」はすっと理解できて、ハードルが低くなるものの、そういった面白みに欠けるのかもしれない。
続いて「分かる」と「知ってる」という違いについても話題に上がった。
自分なりの言葉の定義づけはあるが、他の人の言葉で聞くと微妙に違っていて、なんだか興味深い。
そして話をしている中で、いくつかのことは瞬時に言語化できずに、飲み込んでしまった。
かつてあったはずの自分の引き出しが、錆び付いて開かなくなっているものもあることに気付く。昔、興味があってちょっと学んだのにな。
うーん、これが、「知っている」と「わかっている」の違いかもしれない。
反対になめらかに口から滑り出てくるのは、最近考えたことや前々から考えていたことばかり。
普段知っているだけのことを、ついつい分かっているような顔をしてしまうこともある。そんなわたしはちょっぴり見栄っ張りなのかもしれない。
「知っている」だけじゃなくて「わかっている」って胸張って思えるくらいのものを、生涯かけていくつか増やしていけたらいいなあ。
帰り道、楽しかった余韻に浸りながらぼんやりと考える。
誘ってくれた友人はいるとはいえ、まるっきり初めましての人たちの集まりに足を運ぶなんて、随分ご無沙汰だったなあ、と。
大学生のときは、いろんな人に会って考えや視野を広げなければ、なんて思っていたときもあった。
しかし社会人になり、実際に顔を合わせる関係といえば、仕事関係や、親しい友人や友人つながりの関係でわたしの世界は、完了していたな、と思う。
それで困ることはなかったし、充分満たされていた。興味が湧いたことがあっても、ネットの海には溢れるくらいの情報がある。
書店に足を運べば、さらに際限なく情報が並び、どれだって手にとって深めることが出来る。
「ああ〜確かに、納得。」
「それはわたしにはなかった視点だな。」
「そんなこと、考えたこともなかったな。」
「じゃあ、これは?」
「わたしが思うに・・・。」
その場にいたメンバー同士で話がつながる、瞬時にインプットとアウトプットが行き交う一方方向ではないやりとり。
やはり文字より格段にインパクトに残る気がする。
そしてさらに面白いのは、この場だけで完結しないところ。
今後何かの折に、あの場で耳にした話がふと顔を覗かせるのだろう。それは今まで通り過ぎて見向きもしなかった、分野のことかもしれないし、そこにあることに気づきもしなかった側面かもしれない。
使われ倒した言葉で表現するなら、こういうことの繰り返しが、世界が広がる、なんて言うんだろうか。
誰かと何かについて、楽しく、そして真剣に話す。そんな機会の価値に改めて気付いた時間となった。
ちなみに年明け、1月21日お昼から大阪のコワーキングスペース「GRANDSLAM」にて第二弾を開催するそう。
次はどんな話が生まれ、そこでわたしは何を考え、何を感じるのか、すごく楽しみ。
もしも気になる方がいらっしゃれば、一緒に行きましょう〜。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?