見出し画像

【中編小説】金色の猫 第19話(全33話)#創作大賞2024

■物語を最初から読む

前話 | マガジン | 次話

読了目安時間:約5分(約2,300字)

 青鼠がやわらかに溶けた空低く、巨大な銀の猫がのったり寝そべっている。金の粒が広い枯野へしなだれおち、辺りはあたたかな光で満たされていた。俺はその中心へ真っ直ぐ伸びた、土埃の目立つざらついた路を歩いている。琴乃の家がある小竹向原駅から四十分ほど電車に乗り、降りた駅から十五分ほど歩いたところにその書店はあった。

 三角屋根の青いガレージは書店と言うより、倉庫や工場のようだった。間違えたかと思って周囲を見渡すが、民家ばかりで店らしい建物は他にない。敷地の外で二の足を踏んでいると、足首へ覚えのある感触がした。ふと視線を落とせば、でっぷりと貫禄のある紫の猫がいる。「んがっ」や「んじゃっ」のような鳴き声に、「なんだそれ」思わず笑ってしまった。
「ゆよん」
 吐息混じりの掠れた声に振り向けば、レザージャケットの男がウェーブした長い前髪を掻上げる。容姿も服装も違うのに、俺はなぜかダルさんをおもった。男は煙草を銜えたまま鋭い目を細め、まじまじこちらを見つめた。
「あーー、君、ゲンオンさんの……」
 スモーキングスタンドへ吸殻を捨て、顎にあった黒いマスクを上げる。あの古書店はたしか『幻音堂げんおんどう』という名だった。「ふふ……思ったより大きいなあ」愉快げに俺を見上げる。そして「ゆよん」と呼ばれた大きな猫を抱え、ついてくるよう手で合図してガレージへ入っていった。

 開け放たれた入口の横へ大胆な手書きの文字で、『月浜亭つきはまてい』と書かれた看板がある。これが店の名なのだろう。店内へ一歩踏み入れれば、軽快なギターの音——のちにこれがジャンゴ・ラインハルトだと知る——が高い屋根で鳴っていた。
 観葉植物や風変わりな照明、椅子(小さな赤い椅子には蛙のぬいぐるみが座る)、鉄の鳥籠が、天井の剥き出しになった鉄骨へ吊られている。奥にある最も大きな鳥籠には灰青の鳥がいて、俺と目が合うなり「フクロイリマスカ」と低い声で鳴いた。驚いて後ろにあった何かにぶつかり、色褪せたトルソーに謝る俺を、男は可笑しそうに眺めていた。
 書店とは思えない内装だったが、不規則に並べられた鉄の棚にはみっちりと書物が並ぶ。鉄の棚は一八七センチある俺が見上げるほどで、店内はまるで迷路のようだった。文学以外にも妖怪や精霊、呪術など伝説・伝承について書かれた本もあり、すべて合わせたら『幻音堂』の三倍はくだらない。色とりどりの背表紙へ視線を走らせながら、ごくりと喉が鳴るのがわかった。

「ちょっと、うちおもしろいのわかるけど、とりあえず面接、ね」
 大きな鳥籠の下へ赤い金属製のスツールを二脚並べながら男が言う。低い位置にある植物や雑貨を蹴飛ばさないよう、充分に注意しながら迷路を抜け、早足で男の前へ進み出た。
「座って」男はフラミンゴ型のペンでスツールを指し、「こういうの苦手なんだよな……」と長い前髪を掻き上げる。「ペイペイ」灰青の鳥が鳴き、俺は込み上げる笑いを咳払いで誤魔化した。
「君のことは椿山つばやまさん……あ、幻音堂のね、に大体聞いてるよ……ま、どうでもいいか……あ、僕は羽衣石ういしといいます」
 羽衣石はフラミンゴをシャツのポケットへ挿し、おもむろに袖を捲った。引き締まった両腕に見事な面散らしの和彫りが覗く。羽衣石が俺の視線に気づいて袖に手を掛けたので、「や……すみません……すげえなって見てただけなんで、大丈夫す」と制した。
「君、ホストしてたんだっけ」羽衣石が腕を組んだ時、片方の小指がないのに気づく。「僕も歌舞伎にいたよ。もうずいぶん昔だけどね……」そうやわらかくほほ笑みかけられたはずなのに、蛇に睨まれたような気分だった。歌舞伎町で何をしていたのかはとても聞けそうにない。
「正直君が何をしていたかには興味なくて、それよりね」
 羽衣石はおもぶるにスツールから立ち上がり、「ちょっと待ってて」と後ろにある黒いカーテンの向こうへ姿を消した。——友人は少し変わり者でな。もしかしたら妙な条件を出されるかもしれん——気づかわしげに見上げる幻音堂の店主と、和彫りの腕に添えられた小指のない手が重なる。湿った蛇の腹が尾骨から耳朶へ滑った気がして、俺は頭の後ろを片手で払った。

 ほどなくして羽衣石が小脇に一匹の猫を抱えて戻ってきた。先ほど外にいた紫の猫とはべつの橙のぶちがある猫は、和彫りのひょっとこを睨みつけている。ふと上半身から力が抜けた。
「彼女は、ゆや」
 数メートル離れたところから羽衣石は俺に猫を紹介した。状況を飲み込めないまま、そっぽを向いている猫へ頭を下げる。
「ゆやは弊社の社長でね……ゆやは絶対。ゆやの判断に僕は全幅の信頼をおいている。彼女の人を見る目は厳しくてね、それでいて確かなんだ。彼女が気に入らなけらば、君はここへおけない」
 その圧倒的な求心力を持つ社長は、部下の腕の中で居心地悪そうにもがいていた。耐え兼ねた羽衣石が身を屈め、大福のような前脚が床へ着くや否や、彼女はたちまち俺の膝の上へ飛び乗った。ゆやは金之助の倍はあり、太腿へどっしりとした重みを感じる。さあ叩けと言わんばかりに尻を上げるので、応じると気持ち良さそうに目を細めた。
「どう……すかね」
 おずおずと見上げたら、羽衣石は呆気にとられた顔をしていた。そしてお道化たように眉を上げ、小さくため息を吐いてほほ笑んだ。「ギーコタンイジジクタベル?」頭の上から低い声が聞こえ、ゆやが鳥籠の下へ駆けて行く。ゆやを掴まえてカーテンの裏へ放してから、羽衣石は「ま、脚立くらいにはなるかな」とつぶやいた。働き口が見つかるならもう、脚立でも何でも良かった。

前話 | マガジン | 次話

■物語を最初から読む

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?