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南瓜 豆米大(ナンカ ズメタ)
2024年7月12日 21:03
読了目安時間:約7分(約3,300字)■あらすじ二〇二一年の暮れ、ネットカフェ生活を送る元ホストの渋沢桂一は、炊出しで猫と老人に出会う。老人はかつて須東零四風という無名の小説家だった。侘しい日日がにわかに活気づくも、ある夜を境に老人は桂一の前へ現れなくなる。さらに猫までも雪に凍えて弱ってしまい、絶望に襲われる桂一を助けてくれたのは神田琴乃だった。やがて彼女と暮らしはじめた桂一だが、このまま
2024年7月12日 21:06
■物語を最初から読む前話 | マガジン | 次話読了目安時間:約4分(約1,800字) 建ち並ぶ高層ビルが黄金の暁光を浴びながら、ゆっくりと朱に染まっていく。冬の朝の張り詰めた空気のなか、まだ人気の少ない都心の繁華街を通って例の公園へ向かう。あれからあの黒いぶちのある猫に会いにいくのが習慣になっていた。 公園に着くころには透き通った薄青の冬空が頭上へ広がっていた。俺は軽くストレッチを
2024年7月12日 21:07
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約4分(約2,100字) あまりの寒さに目が覚め、震えながら脂臭いダウンコートを首元まで引っ張り上げた。「ううう、さむすぎる」思わず声が出た。ふくらはぎへ触れた爪先は布越しでもわかるほどに冷たい。こわばった足指を動かそうとすると少し痛かった。両脚を抱え込むように身体をまるめ、冷え切った両手を太腿の間へ差し入れる。まるで股に氷を
2024年7月13日 21:05
■物語を最初から読む前話 | マガジン | 次話 公園の入口に並ぶ裸樹の向こう、薄雲に淡い桃色と水色が溶けたやわらかな夕焼け空が広がっている。少しずつ色やかたちを変えながら暮れていく様を眺めながら、俺たちはすっかり冷たくなった飲み物をちびりちびり啜っていた。「冷たくてもいけるな」おしるこの缶を眺める爺さんを横目に、「あずきバーってのもあるくらいだしな」そう豚汁を啜る。「そっちは……」爺さ
2024年7月13日 21:09
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約5分(約2,700字) ほのかに土の匂いをふくむ、あたたかな陽光が公園内を満たしている。裏起毛のフーディーだけでじゅうぶんな気候だったので、ダウンコートを持参したのはほとんど猫のためであった。しかし今日は見向きもされず、俺の足元でだらりと虚しく広がっている。猫は石畳へ広がった黄金の敷布の上で、気持ちよさそうに眠っていた。
2024年7月13日 21:13
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約7分(約3,500字)㈠ 店主から十五円——ほんとうは五百円だったのだが須東零四風の本が用意できなかったからとまけてくれた——で買った『三四郎』の巻末にある「迷える子」㈡の脚注を眺めながら、なんとなく爺さんの寝床がある駅のほうへ向かって歩いている。 人の多い時間帯に駅周辺へ行くときは少し注意深くなる。地元(埼玉県南部
2024年7月14日 21:03
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約4分(約2,200字) 喉がからからで腹も減っていた。駅構内のコンビニへ入ると、揚げ物のこうばしい匂いが食欲を誘う。しかし目的はあくまで八十四円の強炭酸水だ。誘惑に負けないようできるだけ迅速にそれを手にしてレジを通過した。 コンビニの脇にしゃがんでペットボトルの蓋を開ける。わずかに指先へ飛んだ水滴をコートで拭った。冷たい炭
2024年7月14日 21:06
■物語を最初から読む前話 | マガジン | 次話読了目安時間:約3分(約1,700字) 水気の多い雪を踏みしめながら、いつもの公園へ向かう。スニーカーの底から冷たい雪水が染みて、薄くなった靴下を濡らした。踵の高いパンプスを履いた朝帰りの女が、反対の歩道をこわごわ歩いている。ふいにあの黒ぶちの猫が心配になり、俺は足を速めた。後ろのほうで情けない叫び声がして、振り返ると女が尻餅をついていた
2024年7月14日 21:10
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約6分(約3,000字) 車輪と金属の擦れるような音、たくさんの人の話し声と忙しない足音、等間隔に刻まれる電子音……入り乱れる雑音に張りついた瞼をこじ開けると、真っ白い天井とカーテンが眼に入った。同時に男がはげしく嗚咽する声も耳に入り、俺は思わず顔を顰める。 やがてシーツと布団の硬い手触りと鼻腔を刺激する消毒液の匂いで、ここ
2024年7月15日 19:01
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約5分(約2,400字)「だからお風呂はやめてシャワーだけにしなって言ったのに」 青いソファにもたれて浅い呼吸を繰り返す俺を見下ろし、|神田琴乃はため息をつく。 火照った身体によく冷えたスポーツ飲料が染みわたり、たまらず声を漏らした。顎を伝う甘い汁を、首にかけたタオルで拭う。「ああ、でも、生きてるって感じがする……」「
2024年7月15日 19:06
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約3分(約1,600字) ふと目を覚ましたら、びっしょりと寝汗を掻いていた。目前に浮かぶあたたかな光に、現在地を見失って視線を泳がす。寝具の青が目に入り、|神田琴乃の部屋だと思い出した。サイドテーブルに置かれた赤い時計を見ると、二十三時五分を示していた。 まだ琴乃は起きているのだろうか。カーテンの向こうに聞こえる物音へ耳を澄
2024年7月15日 19:10
■物語を最初から読む前話 マガジン | 次話読了目安時間:約5分(約2,600字)「ねえ、トトロは? みたことある?」 そう尋ねながら、琴乃はクリームチーズの生ハム巻きへピックを突き立る。「ない」俺は赤いピックを手に取った。よく見ると、先端に小さなハートがついている。指先でピックを転がして回転する赤いハートを見つめながら、「大きくなれるんすよ、ジブリみなくても」とだれともなしにつぶ
2024年7月16日 20:01
■物語を最初から読む前話 | マガジン | 次話読了目安時間:約4分(約2,100字) 池袋駅から十分ほど歩いた場所にある、雑居ビルに挟まれた小さな病院へ猫は入院していた。今日ついに彼が退院する。仕事へ向かう琴乃と一緒に家を出て、ひとり彼を迎えに来た。猫が男だというのを、琴乃から聞かされて知った。ついでに金玉を〈ふぐり〉と呼ぶのも、同時に知った。 出入口を入って右の窓際に、白い椅子が
2024年7月16日 20:06
■物語を最初から読む前話 | マガジン | 次話読了目安時間:約5分(約2,300字)「待って、美味しすぎる。やだ……今まで一生懸命料理していたのがばかみたい」 琴乃は口に手を当て、食べかけの料理を見つめる。「そんなふうに言うなって。琴乃の料理もすげえうまいよ」 ふいを突かれたように俺の顔を見上げ、彼女は赤く染まった口角を上げた。 そして、とろとろのスクランブルエッグが絡んだパ