【中編小説】金色の猫 第21話(全33話)#創作大賞2024
読了目安時間:約6分(約2,900字)
生成りのバッグからこっくりと濃い茶色のパッケージを出したら、ゆやが金之助のようなあどけない鳴き声を上げて近寄ってきた。まもなくそれが自分のおやつでないと悟ったのか、たちまち流木のキャットタワーへ登ってしまった。高窓からゆるり外を観察できるため、ゆやはその頂にある籐の籠がお気に入りらしい。
両手でパッケージを開け、中から金色の棒を一本取る。それはソケットランプに照らされ、ちゃちな光を放っていた。丁寧に包紙を剥きながら、爺さんの赤黒い歯茎を思い出す。小さく齧ったチョコレート菓子はやっぱり俺には甘すぎて、あの日ほど美味しくなかった。
「あーーやっちゃった……ごめん、ほんとうにごめん……」
今朝、すっかり酔いの覚めた芽美は土下座しそうな勢いで、琴乃に謝っていた。「んーーん、良かったです。芽美さんに来てもらえて」有り得ないほど落ち着いたようすの琴乃に戸惑う芽美を思い出す。
芽美は自宅へ、琴乃と俺は職場へ行くために、俺たち三人は揃って家を出た。このチョコレート菓子はアルバイトが決まったお祝いにと、芽美がコンビニで俺に買ってくれたものだった。「ふーーん……若いのにずいぶん渋いお菓子選ぶのね」芽美は俺の持つ買い物かごを覗き込み、そこへウコンの栄養ドリンクを入れた。
琴乃と芽美は上りで俺は下りだったため、俺たちは駅のホームで別れた。先に到着した川越市行の電車へ乗る俺に、芽美は「今度ちゃんと就職祝いしましょう」と朗らかに手を振った。ふたたび彼女に会うのは少し気が引けたが、琴乃の手前笑って頷いた。そうして俺は今、月浜亭の休憩室にいる。
黒いカーテンが開き、こうばしい油の匂いと共に若い男が入ってきた。きのこ型に切り揃えられた髪を金に染め、金縁の丸眼鏡をかけた色白の男は名を阿村琉弐という。近くの私立大学へ通う二十一歳で、先ほどまで俺に会計業務を教えてくれていた。阿村は隣のスツールへ腰かけ、小さなビニル袋からコンビニのチキンを出す。マスクを下げたら、思いのほか整った目鼻が現れた。
「食う?」
とても一人では手に負えそうになかったので、チョコレート菓子の袋を阿村へ差し出す。彼は袋の中を訝しげに覗き込み、「なにこれ」小さくつぶやいて銀色の棒を一本取った。「ばあちゃんちになかった?」不器用に包紙を剥く横顔へ尋ねる。
「うーーん、わかんないや。一度も会ってないから」
阿村は何気なくつぶやき、乾いた音を立てて咀嚼した。なんだか気詰まりな心地がして、俺は指先で金色の包紙を弄ぶ。「ああ、意外とうまい」阿村の分厚い瞼からつぶらな黒い瞳が覗いた。
「今日からコンビニで推しキャラのくじやってて。ああ、これ、だらタラっていうんだけど。知ってる?」
阿村はビニル袋から茶色い魚のぬいぐるみを出す。俺は首を小さく横に振った。「だらだらしている鱈で、だらタラ」彼は得意気に説明し、レモンティーのペットボトルへそれを凭せ掛ける。だらタラは胸鰭で鱈のつまみを持ち、哀愁漂う眼差しをこちらへ向けていた。
「僕の前に並んでた人がA賞でさ、店員さんとすごい盛り上がってて……その時点で僕すごい引きにくいじゃん」
そういうものなのかと納得し、俺は頷く。話したくて堪らなかったのか、阿村は息を弾ませて続けた。
「でも引かずに帰るのは、ないじゃん。だって十五分だよ、ここからコンビニまで。休憩時間つかってよ? だからまあ、当然引くよね。そしたらさ、これ」ぬいぐるみを指差し、「E賞」と唇の片端を上げた。
同情の意を示そうとしたところ、阿村が興奮気味に「僕これがほしくて!」と叫ぶ。
「A賞はクッションだったんだけど、僕はE賞のミニぬいぐるみがほしくて、すごいうれしかったのに、なんか店員さん気まずそうで。はずれ、みたいな。残念でしたね、みたいな」
「前の人がA賞だったせいで」
「そう、A賞のせいで。僕この子がほしかったんです! って言いたかったけど、余計みじめになりそうだったからやめて、チキン買って帰ってきた」
阿村が大事そうに両手でぬいぐるみを包み込んだとき、黒いカーテンが開く。「おい琉弐。同年代のやつが入ってたのしいのはわかるけど、休憩時間一〇分も過ぎてんぞ」羽衣石の鋭い目が光った。「ふあーーい、すみませーーん」緩い返事をして店へ戻る阿村の後ろ姿を見届けてからも、俺の脳内をA賞の魚とE賞の魚がゆらゆら漂っていた。
✴︎
「なにその子、おもしろ」
底の広い青磁のマグカップへ唇をつけ、琴乃がほほ笑む。近ごろ彼女はラム酒を二匙垂らしたホットココアに、大きなマシュマロを浮かべて飲むのにはまっていた。風呂から上がって三十分もすれば鶏のようにコッココッコ歌いながら、俺の周りを歩き回る。そうしてため息交じりにキッチンへ立つのもまた、満ち足りて心地好かった。
「……でも、それちょっと深いかも」
琴乃の吐息が小さくなったマシュマロを揺らす。「どこが……?」軽く笑って振り向いた俺を、琴乃は真剣な表情で見つめ返した。
そしてしばらく考えたのち、「桂一は商店街で福引のスタッフをしています」と心理テストのような口調で話しはじめた。
「その福引は特賞がテーマパークのホテル宿泊券。しかもペア。それが近所のアパートへ住む独り身のおじいちゃんに当たったら、桂一どう思う」
「気まずい……」
「よね、私も。でもね、おじいちゃんはテーマパークが大好きで、SNSにこっそり専用アカウントを持ってるの。そこには仲のいい大学生の男の子がいて、ふたりで行く約束をするわけ」
青いキャップの上からキャラクターのカチューシャをつけた爺さんが、賑わうテーマパーク内を歩いていた。その隣で俺は玩具のようなバケツを首へ下げ、塩辛いポップコーンを口へほうる。「たのしそうだな」的外れな返事をしてしまったのに気づき、とりなすように温めた豆乳を飲んだ。
「アイスのあたりだって、一本目食べてお腹痛くなってたらうれしくないかも。ほんとうの意味であたりかはずれかなんて、本人にしかわからないのに。私たちってなんとなくで喜んだり憂いたり、しちゃってるよね」
阿村から祖母へ「一度も会ってない」と聞き、勝手にすまない気持ちになったのを思い出し、低く同意の声を漏らした。俺も十四のころから父親と顔を合わせていないが、そうなってむしろ清清している。ただ、亡くなった母方のばあちゃんには可愛がってもらったから、そういう風にしか考えられなかった。
「結婚だって……」
琴乃の唇から漏れたわずかな音が耳朶を掠め、きのこ頭の男はたちまち意識から消え去った。「え?」俺は琴乃の痩せた頬を見つめる。彼女は誤魔化すように笑いながら、ひとつに結わえた髪を触った。
「あ……いや……結婚だって、すべての人がしたいわけじゃないのにねって」
そしてマグカップへ残ったココアを飲み干し、おもむろにソファから立ち上がった。彼女のきれいにくびれた足首がしずしずと床を滑り、やがて水の流れる音が聞こえてきた。
琴乃は結婚したくないのだろうか、という思いが頭を過る。しかしそれを考えるのに俺の器が足りるはずもなく、みるみる溢れ出してしまった。俺はすぐに考えるのを止め、背もたれで溶ける金之助の腹をおもうさま撫でた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?