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今週の読書 8/2

梅雨が明けて嬉しい。「ネガティブ・ケイパビリティ」を引き続き読んでいる。


買って線引きながら、付箋貼って読みたい。まさに自分が足りないもの、自分で自分を苦しめているものが何か、それがわかってきそうだ。

この本は同じ主張を手をかけ品を変え、訴えかけてきてくれている気がする。

キーツが、真の才能は個性を持たないで存在し、性急な到達を求めず、不確実さと懐疑と共に存在するという考えに至ります。
精神分析では、分析者と患者が対峙し、言葉が交わされます。そのとき、双方それぞれに”ものの見方”というものがあります。ビオンはこの”ものの見方”を忌避します。あまりにも固定した一方的な視点だからです。
ビオンは衝撃的な文章を刻みつけます。ネガティブ・ケイパビリティが保持するのは、形のない、無限の、言葉ではいい表しようのない、非存在の存在です。この状態は、記憶も欲望も理解も捨てて、初めて行き着けるものだと結論づけます。
目の前の事象に、拙速に理解の帳尻を合わせず、宙ぶらりんの解決できない状況を、不思議だと思う気持ちを忘れずに、持ちこたえていく力

拙速にラベルなり、理解を当てはめ、前に進む。それよりもなぜだろう、と思い続け、その問題に立ち向かわず漂う強さと勇気をもつことで、より深く多くを知ることができる、ということか。不安な状態に漂うことは、居心地が悪い。でもそこを乗り越えた先に、「私」を超えた新しい世界が見えるということだろうか。

私が強く感じたのは「無我」だ。「私はこう思う」「私はこう理解した」「私はこう感じた」、「私」ばかりだ。それは私が「私」である限り、「私」フィルターを通してしか世の中を見ることができないので仕方のないことではあるのだが、自分はかなり我が強いのだな、と思う。この我の強さが、私の場合、ポジティブ・ケイパビリティ一直線で、深い理解に至らず、問題を放置し、その積み重ねに苦しんでいるのだろうか。問題に対してすぐに結論を求めず、そこに漂い、我のない目でみれるまでそれを味わう必要性、とでもいおうか。問題を諦めない強さ、とも言えるのかもしれない。

そもそも全ての問題に明確な答えがあるわけでもない。

世の中に一つとして同じものはないのだから、それに思いを巡らせ、共感や寛容を養う。それにはネガティブ・ケイパビリティが必須だ。他者にレッテルを貼って、切り捨てることは容易い。それをせず、その問題に立ち向かい理解しようと努めることが必要、ということだろうか。

現代はポジティブ・ケイパビリティ重視の世の中のような気がする。早く問題を解決することが求められる。でもそれで本当に問題は解決しているのだろうか。本当は解決できないはずの問題を解決したつもりになっているだけではないだろうか。

そんなことを考えた。


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