『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んで

みなさん、こんにちは。自粛期間が明けましたね。
『自粛から自衛』、これからどんな世の中になっていくでしょうか?

先を予測して手を打つことは大切なことですが、今できることに全力で取り組むこともとても重要ですね。私は自己研鑽として、一週間に3~4冊のペースで読書をしています。自粛期間に入ってから40冊は超えたでしょうか。読みっぱなしなのはもったいないので、ちょっとずつ書評&自分なりの気づきをまとめていきたいと思います。

 初回は、組織・人材コンサルタントである山口周さんの著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』です。発行部数は17万部とか。ベストセラーですね。


 組織・人材コンサルの山口周さん、異色の経歴の持ち主です。慶應の学部生時代は哲学専攻、修士時代は美術史を学び、卒業後は電通・BCG・ATカーニーと勤務をされて、現在はコーンフェリーのシニアパートナーを務めていらっしゃいます。哲学・美術史をバックグラウンドに持っていらっしゃるが故のユニークな切り口からの物事のとらえ方や、外資系コンサルであるが故の日本社会を相対的に見る視点は非常に参考になるため、私は多数の著作を読ませてもらっています。
 
 今回は、本書から二点ほど私の心に残った点をお伝えしたいと思います。
 
 まずは一つ目は、題名にもなっている『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』についてです。山口さんの回答としては、

 1、論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある


 2、世界中の市場が「自己実現的消費」へ向かいつつある


 3、システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している

この3点です。


 まず1つ目の「論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある」とはどういったことでしょう?本書の中では、論理的な思考によって得られた「正解」は、論理的な思考を学んだ人間が増えている今「コモディティ化」して、そこで得られた「正解」は差別化を生まないので競争要因にはなりえない、と言われています。確かに、猫も杓子も新入社員も管理職もロジカルシンキングでは、ロジカルに出した「正解」は代わり映えしない教科書通りで面白味がない、ということですね。


 また、現在のようにVUCA(変動・不確か・複雑・曖昧)な世界においては、人間の理解が及ばない範囲で世界が動いているのだから、人間の情報処理スキルの範囲内である論理的思考では正解が出せない、ともおっしゃっています。だからこそ、最終的には直感が重要であり、直感でより良い判断をするために「美意識」が必要、ということですね。

 山口さんは、判断の材料になるような情報を集めて、そこから導き出される論理的な回答を出すだけであれば、経営者は経営者たる責任を放棄している、とさえ言います。論理的な判断はとにかく説明がしやすい、その説明のしやすさに逃げているということなんですね。

 続いて、2つ目の『世界中の市場が「自己実現的消費」へ向かいつつある』です。こちらは世界の経済成長に伴って、従来は一部の地域に限定されていた、より高度な承認欲求や自己実現に関わる消費をするようになるということです(マズローの欲求段階説をイメージしてください)。このような高度な消費においては、人の情緒に触れるような提案型の商品でなければ、消費者に選ばれることはないし、そのような提案はマーケティングによる市場の声からは生まれず、生産者側の上から目線からこそ生まれてくる、とおっしゃっています。だからこそ、上から目線でより良い社会の提案をするために、生産者は「美意識」を磨かなければいけない、ということです。このあたりは、自動車メーカーのマツダの復活劇などが描かれており、非常にわかりやすいですので、ぜひ読んでみてください。次は、CX-5にのりたくなってしまうかも…。

 最後に、『システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している』ですが、こちらはもう少し現実的な側面です。デジタル社会の現在、従来の法律ではカバーできていない新しい変化が生じており、そこでの善悪を法律だけにゆだねるのはかえって犯罪が蔓延してしまう。明文化された法律だけでなく、まずは倫理(美意識)を磨きましょう、といった主張です。倫理観があれば起こしえないような不祥事や受験勉強とオウム真理教の関係性などが、例として挙げられておりこちらも非常に興味深い展開でした!

 上記1~3をまとめると、外部のものさし(論理・市場・法律)だけに頼るのは限界が来ている、内部のものさし(直感・美意識・倫理)も使えるようになりましょう。そのために美意識を鍛えましょう、と、ザックリこんな風に理解できればいいと思います。

    当然、外部のものさしが意味がないと言っているわけではないので、注意が必要ですね。

 そしてその美意識の磨き方。トリッキーなことはありません。美術・哲学・文学・詩に親しみましょう、の一言です。私たちのやっている社交ダンスもその芸術の一部ですね。長くなりますので、ここでの紹介は控えますが、具体的な親しみ方・楽しみ方についても本書に記載があるので、ぜひ読んでみてください。

 
もう一つ、私が面白いなと思った点、ご紹介させてください。

 それは、人材には、アート型・サイエンス型・クラフト型の3つの類型がある、といった話です。人にはそれぞれ判断の基準があり、それをアート(直感)に求めるのか、サイエンス(論理)に求めるのか、クラフト(経験)に求めるのか、によって分けられるということです。この3つが融合することで、チームのパフォーマンスが上がると主張されていますし、特に意思決定においてはアート型を中心に据えるべき、とのことです。
 

   ソフトバンク・アップル・ディズニー・創業期のホンダなどは、まさにその成功例だと例示しています。古い例を挙げると、成功していた時の豊臣政権もこのアート・サイエンス・クラフトの好例だそうです(アート=千利休、サイエンス=秀長)。そして、秀長・千利休亡き後は、政権のバランスを欠き、悪名高い朝鮮出兵や秀次一族の虐殺などにつながるというのですね。いやー、そんな考察ができるとは!
 
 日本の企業においては、アカウンタビリティ(説明のしやすさ)が重視され、サイエンス型、もしくはクラフト型がはびこっており、アート型は追いやられていると警鐘を鳴らします。(なぜ日本人は本来得意ではないアカウンタビリティに逃げ込むのか?こちらの背景考察も一読の価値ありです。)

 本書では、企業組織について語られていましたが、家庭についても同じことが言えそうです。

    家庭でもアート・サイエンス・クラフトのバランスが本当に重要。世の中的にも似たような家庭が多いかもしれませんが、我が家はアート担当は私の妻、サイエンス担当は私、クラフト担当はお互いの両親が担っているように思います。もちろんくっきり分かれているわけではありませんし、個々人の中にもいろんな価値判断基準が混じっているものだと思いますが、分けるとすればこのような感じ。
家庭生活は楽しいものでありたいし、面白い人生を一緒に歩んでいきたい。そんな中、サイエンス型が先導を走ったら面白いものはできません。そうなってしまったら、本書流に言えば「コモディティ家族」。ましてやこのように時代の変遷が激しい時代に、クラフトが前面というのもあり得ないでしょう。当然、クラフト=両親には、物的精神的両面において本当に助けてもらっているわけですが、私たちの家庭生活を作る前面には立たせられません。
 直感(アート)を大切にして、こうなったら面白い、楽しいという気持ちを汲み、どうやったらその物事がうまく行くのかを論理的(サイエンス)に考えて実行して、後から振り返って次に生かす(クラフト)、そのようにバランスよく使い分けていきたいです。
 我が家のアーティストである妻の一見突拍子のない考え(しかし後から振り返るとその選択が正解だったこと多数!!)を尊重しながら、楽しい家庭を築ければと考えています。

 もちろん私の中にも、アートはあるのでそちらも大切に。

 これから、子どもも大きくなります。真に自由と名付けられた我が子。間違いなくアーティストでしょう。サイエンスパパが後押しできるように、サイエンスも磨いておこうと思います。あ、振り返りも必要だからクラフトも。

 要はバランスよくってことですよね。お後がよろしいようで。クラフトビールで一杯やりますか!

 おしまい。

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