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マクルーハンからの問いかけ ーー現代情報化社会におけるマクルーハニズムの探求ーー

2015年12月 学士課程卒業論文

論文要約
 本研究は、今日の情報化社会において、メディア論の始祖ともいえるマーシャル・マクルーハン(1911-1980)の議論が、現在性及び有用性を有する理論であるのかという点を検討した。
 本研究において、マクルーハニズムとも言われるマクルーハンの議論を、現代社会の視点から再検討することで、流動的な現在のメディア環境を分析することを主眼とした。
 研究の内容としては、まず既存の論理性に対する警鐘であった文句を整理した。2章1節では「The medium is the message. 」について、西欧社会が「方法」を蔑ろにしていた点と、英語の冠詞を参考にする山口(2001)の議論をあげ、「メディアこそメッセージである」という訳を支持した。また、2章2、3節では、マクルーハニズムについて、3点に分類して考えた。1点目としては、メディアは人間の身体や感覚の拡張である視点だ。次に2点目は、メディアから人間へ感覚比率の反作用という視点である。最後に、3点目はメディアを介した感覚比率の変動を考えた。口述文化の人は、環境を多方向に捉え、空間と時間に対して画一的な尺度を持たない。その結果、聴覚優位な生活の社会で、文化の多元性・特異性・不連続性が担保される。また文字文化では、文章において原因と結果の過程が視覚化され単一経験へと還元される。それらは、「自分の存在様式の非聖化を望むようになる」(マクルーハン 1962=1986)のだ。また、印刷文化の反復性はマス(mass)市場を生み出すのだ。電気時代は、即時性がそれまでの文脈的連続を断ち、点在する個の集合とした。それらの相互依存が、個と共同体との意識を統合し全体を作るのだ。それが相互作用的で同時多発的な地球規模の社会であり、それを地球村と彼は呼んだ。
 また、3章では彼の活動した北米文化圏での評価や、日本での評価を検討することで、どのようにマクルーハニズムが受容されたかを整理した。そこからその理論が、古い文化と新しい文化が衝突する時代において、特に関心を集めることがわかった。
 次に、4章では、電気メディアと電子メディアという新たな概念を定義付けた。マクルーハンの時代にはなかった現代的なメディア空間について、電気メディアを1960年代~1980年代当時、使われていた「電波におけるネットワークを中心とするメディア」とし、電子メディアをインターネット等の「現代的でデジタルなネットワークを中心とするメディア」定義付けた。一方向メディアから、双方向なメディアに移行した時代になったのだ。最後にマクルーハニズム的な視点から、現代情報化社会のインターネット空間における事例検討をした。その結果電子メディア社会は、相互依存で同時多発的な空間であり、薄い知的皮膜の中でやり取りをすることがわかった。
 本研究の結論としては、マクルーハニズム的視点から現代を解釈すると、現代は触覚、聴覚、視覚と多感覚的な電子メディア社会を形成している。それは非連続的な個による、相互依存及び相互関与からなる同時多発的な性質を持つ電気メディア社会を、強化する世界でもあり、印刷文字社会を回復し、視覚的で反復性の高まりをみせる世界でもある。それは近代と現代の性質を併せ持つ超包括的な空間なのだ。

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目次
1章 はじめに                        ・・・1頁
 1節 研究動機                     ・・・1頁
   2節 マクルーハンの思想的背景             ・・・4頁

2章 マクルーハニズムとは                  ・・・7頁
 1節 メディアの性質                  ・・・7頁
 2節 メディアと人間の相互作用             ・・・14頁
 3節 メディアと社会の相互作用             ・・・19頁

3章 マクルーハニズムの歴史的な評価             ・・・25頁
 1節 マクルーハンの生きた環境             ・・・25頁
 2節 日本での評価                   ・・・29頁

4章 マクルーハニズムからみる現代日本における電子メディア環境・・・32頁
 1節 電子ネットワークメディアの誕生          ・・・32頁
 2節 電子ネットワーク時代におけるマクルーハニズム   ・・・36頁

5章 マクルーハンからの問いかけ               ・・・46頁
1節 地球村的電子メディア社会の形成          ・・・46頁
2節 おわりに                     ・・・48頁

参考文献・資料一覧                      ・・・49頁
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1章 はじめに
 本研究では、コミュニケーションメディア研究の始祖ともいわれるマーシャル・マクルーハン(以下必要時以外マクルーハンとする)の展開した議論をもとに、現代日本における電子メディア社会の諸相について考察していく。また、マクルーハンの言説から一般的に想起されるようなキャッチフレーズ的な概念や、対して著作から受け取られる難解な展開という誤解を解くことも、主たる目的の1つである。このようなマクルーハニズムという概念の深層を“探求”しながら、現代日本社会における現在性を議論する。その中で、本章では本研究の全体的な概要に加え、何に問題意識を感じ、なぜ筆者がこの題材を選んだのかということや、本研究の重要な方法論を提唱している、マクルーハンの思想的背景について述べていく。


1節 研究動機
 本節では、私自身とマクルーハニズムの出会い、そしてなぜこのような問題意識を持ち、卒業論文の題材として選定したのかという部分について述べていく。
 2015年、現代社会はインターネット空間を中心とする情報化社会となっている。各人はそれぞれインターネットと自身を繋ぐデジタル端末を有し、それらなしには考えられない生活を送っている。では、それらがなかった時代はどのような時代で、今現在はそこからどのように変化したのか。私たちの社会は良くなっているのか、悪くなっているのか、というような不安が絶えない。それも「インターネット空間では犯罪が蔓延している。」という声や「インターネットばかりやらせていると教育上問題がある。」というような声が取り上げられることが多い。ただ、私にとってそれらの意見は、“過去の時代”の価値観に縛られた意見だと常々感じていた。その時代ごとのテクノロジーによって「そんなにも人は違うのか」、人はそれぞれの立場など差はあるが「本質的には変わらないのではないか」というような疑問を持った。それを実践的に考えていこうと、私は課外活動において、ソーシャルメディアの利用に関する講座を行う学生団体(現NPO団体)で活動を始めた。その団体において、ソーシャルメディア利用における正負双方の側面から、デジタルネイティブ世代として、同じくデジタルネイティブ世代である中学生や高校生に向けての授業を実施していた。その講座実施する中で、受講した学校の先生や保護者の方々から受け取ったご意見において、私の印象に非常に残ったものが「大学生の先生から話してもらえると生徒がよく聞く」といった趣旨の言葉である。その講座において受講生に、ネット上でもリアルでも相手への配慮をし、目的をもって技術(手段)用いることが大切ということをメッセージとして講演してきた。しかし、授業を聞いた方々(普段教える側の教師の方々であったからという可能性もあるが)は大学生として年齢の近い世代からの提言という「狙い」とは異なる部分に対して関心を抱くということがわかった。そのよう状況で試行錯誤を繰り返す中、社会学系の入門書を読んでいるとこのような言葉を目にした。それが「メディアはメッセージである」というマクルーハンの言葉である。このフレーズによって私は何かが氷解するような気分であった。自身の活動を振り返ってみると、確かにメディアによって伝わることやその深度に差異がみられるという部分は多分にあった。それ以降、マクルーハンについて文献等を中心に調べていると以下のような文章を目にした。
     実際のところ、マクルーハンの問題提起に学者、研究者は今日にいたるも
    十分に答えを出していない。コミュニケーションの研究者はもちろんのこと
    (中略) 問題の提起に十分に正面から答えていないことを、これら研究者、
    専門家は自覚している。(後藤和彦,2003:12)
  
 課外活動を続ける中で、受講者である中学生や高校生は、メディア自体に対しての理解が“友達と学校で話している”感覚でインターネット社会に接続している。そのような事態に際し、微力ながら現在の、そしてこれからのインターネット社会に何か貢献できないかと考えていた。そして何よりも、この「今日(訳者の後藤が新装版に寄せた文なので1981年当時)」でも答えが出せてない問いに応えるために研究することにこそ、私は意義を見出した。そのような実践面及び学問的探究心という理由から、私は「現代情報化社会におけるソーシャルメディアの利用」に関する部分で、現代社会の現状をマクルーハンの議論、いわゆるマクルーハニズムを通して分析していこうと感じた。
 当時の、マクルーハニズムの捉えられ方はある意味、流行になった予言者という側面が強くアカデミアでは重要性は感じられていなかった。しかし、マクルーハニズムを学ぶうちに、彼のアフォリズム的な発言にみられるような目立つ部分だけが、すべてではないことがみえてきた。彼は、膨大な知識に裏打ちされた人文学的教養を総動員して、当時の社会について、またその当時の社会がどのようにして構成されてきたかということを“体系立てず”に表現している。このような彼の議論を用いて、今現在の揺れ動く情報化社会について分析をしていくことは、今後のコミュニケーションメディア研究の分野においても、また現代社会の内的な構造を理解する上でも、地球に住まう多くの人が、世界への発信者となりうる時代における、メディアと社会との関係性を捉え直す契機になる。このような複数の側面から、マクルーハニズムの有用性を考え、現代情報化社会における、存在意義を実証することの必要性が迫られている。そのため、本研究においては、マクルーハニズムを彼の著作やその他関連文献をもとに再構築し、現代電子メディア社会における様々な事例とマクルーハニズムを類比することで、論証を行っていく。これより、マクルーハンが“探求(probe)”してきた、拡張された私たち自身の存在の輪郭と、社会との相互関係を考えていく。
 本節ではマクルーハニズムをなぜ今再構築し直さなければならないのかという部分について述べてきた。次節からは、先行研究と合わせて、マクルーハニズムを理解する上で必要不可欠である彼の思想的背景について議論を進めていきたい。



2節 マクルーハンの思想的背景
 前節では、筆者とマクルーハンおよびマクルーハニズムの出会い、そして研究のきっかけとその意義について述べた。本節では研究の本題に入る前に、そもそもマクルーハンとはどのような人物でどのような考え方をするのかという部分について述べていく。
 ハーバート・マーシャル・マクルーハンは、カナダのアルバータ州エドモントンで1911年7月21日に生まれた。父のハーバート・アーネストは保険業で、母であるエルシーは「元学校教師で、のちに朗読家になり、各地で独演会を開くほど」(宮澤淳一 2008:70)であった。その話すことを職にしている母に加え、父も「『仕事はそっちのけで、人々と話し込むのが好きだった。』とマクルーハンは父を語っている。」(竹村健一 1967:14)というくらい話すのが好きな両親の家庭で育った。さらに「両親ともプロテスタントで、いろいろな宗派の教会へ行くのが好きだった」(竹村 1967、14)ようだ。このように、彼の雄弁さおよび議論好きな側面は、幼少期の家庭環境が大きく影響している可能性が考えられる。さらに、幼少期から父母に連れられ様々な宗派の教会に触れることで、のちに25歳でカトリックに改宗する下地ができていた。それに加えて、森常治(1986)によれば、「内容」よりも「形式」を重視する志向性が、母語に翻訳された聖書を通して自身が帰依するプロテスタントに対し、五感の調和が重視され「形式」を重んじるカトリックのミサに「参加」することで、心身が解放されると考えたのだという。続いて、被教育歴については以下の引用を参照されたい。
  
     マニトバ大学を卒業後、ケンブリッジ大学に留学。マクルーハンはそこで、
    作品の内容よりも、作品が読者に与える効果を重視するI.A.リチャーズの文学
    批評に出会い、強い影響を受けた。メディアが人間に与える効果への後年の
    関心はこの時にさかのぼる。
     アメリカでいくつかの大学の教壇に立ったのち、1946年以降のトロント大
    学で英文学を教えた。マクルーハンのメディア論は、トロント大学という環
    境と密接に結びついている。」     (井上俊・伊藤公雄編 浜日出夫著 2009:7)
    
 というように、マクルーハンはカナダやイギリスで英文学を学び、西欧の文学関係の知識が優れていた。博士論文でもエリザベス朝時代の劇作家であるトーマス・ナッシュを「テキストの分析に基づき、当時までの『学芸』(liberal arts)の歴史にナッシュを位置付けた」(宮澤 2009:72)のだ。この博士論文は、「西洋の文字文化のリテラシーの根本とその変遷」(宮澤 2009:72)を理解するのに役立ち、ここで得た知識等が後の前期の著作(『機械の花嫁』『グーテンベルクの銀河系』など)に繋がっていく。また、この博士論文だけではなくケンブリッジでの留学時代に影響を受けた作家によっても、マクルーハニズムのフレームが形成されたと、竹村はいう。
  
     彼は多くの批評家や学者を徹底的にけなすことで有名だが、当時影響をう
    けた人々については、つぎのように賛辞を呈している。
     エドガー・アラン・ポー ——彼は探偵小説の創始者だった。読者の想像力
                  を刺激し、自分自身で考えさせた。
     ジェイムズ・ジョイス—彼はメディアとしての言語からスタートする。
                「フィネガンズ・ウェイク」こそは人間の全社会
                におよぼすテクノロジーの影響の研究である。
     グスターヴ・フローベル−−−スタイルが知覚の方法であることを指摘した。
     T・S・エリオットとエズラ・パウンド−−−彼らの詩はジャズ用語と大衆形
                         式に満ちている。
     ランボー、ボードレール、マラルメ−−−これらの新ボリスとたちから、私は
                       自分のスタイルを学んだのだ。彼ら
                       は暗示するが説明しない。 
                                 (竹村 1967:16.17)

例えば、森(1986)によればジェイムズ・ジョイスからは文学上非常に大きな影響を受けており、ジョイスの生涯から、カトリック世界を起点とする国際性の教訓を得たという。
  さらに、トロント大学での経験もマクルーハンに直接引き継がれるところも多い。山口裕之(2001)によれば、ハロルド・イニスからアルファベットが西欧文化に与えた影響を指摘し、さらに印刷技術によって部族主義に代わりナショナリズムが引き起こされたという議論はマクルーハンにもそのまま引き継がれているという。また、ウォルター・J・オングから口述文化と文字文化におけるメディアの作用の問題についても非常に参考にし、『グーテンベルクの銀河系』の中にも引用として多く取り入れていた。
 上記のようにマクルーハンの議論は形成されていったが、そのようなバックグラウンドを持つ彼は、「私は探求するのみ、説明はしない。」(大前ほか 1967:12)という。さらに「わたしは探っているのだ。わたしはわたしを囲む電気時代の諸様相を理解しようと努めているだけだ。」(竹村 1967:34)という。それだけではなく、竹村(1967)によれば「わたしは一つの問題を何度も何度も討論し合うことが好きでね」と発言しているという。それは、1作目である『機械の花嫁』と2作目の『グーテンベルクの銀河系』の間にエドワード・カーペンターなどと『Explorations(探求)』誌を発行し、それをもとに1960年に『Explorations in Communication』(邦題『マクルーハン入門』1967,『マクルーハン理論』2003.)を出版しているところにもそのような姿勢が表れている。
 このように、マクルーハンは探求するという意識を常に有しており、問題意識を自身というメディアを介して社会に発信していたといえる。さらにそれを自身の研究仲間や教え子たちとディスカッションすることで、その探求を深めていたといえよう。自身がメディアであるという認識を示す文を竹村が記している。
  
     彼の名はハーバート・マーシャル・マクルーハン Herbert Marshall McLuhanと
    いうが、彼自身はハーバートというファースト・ネームはほとんど使わない。
    彼の著書すらMarshall McLuhan とだけ出ている。(中略)『H・M・マクルー
    ハンは一般人で、マーシャル・マクルーハンはフロイド〔ママ〕、アインシュタ
    インと並ぶ大思想家だ、と彼は分けて使っているらしい』というようにニュー
    ヨーク・タイムズは評したことがある。「わしにはマーシャルのいうことは
    わからんよ」とH・Mは普通人の一人としていう。「マーシャルはハップニン
    グ〔ママ〕のこの世界をますますわからぬものにする。」(竹村 1967:13-14)
  
 その問題提起に至る方法としても、彼は多数の著作で述べているが、抽象より具体を好んだ。また、ある特定のメディア等が「何であるか」ということよりも、それが「どんな効果を生み出しているのか」という社会に対する影響という部分を強く考え、そこからしか新たな発明が生まれないと主張している。
 このようにマクルーハンは自身というメディアを介し、問題提起を行っているということがわかる。かの有名なフレーズ「メディアはメッセージである」もその範囲である。また、それらの問いかけを私たち読者や研究者、社会全体と討議し、探求しようという試みなのだ。これから本章の議論を踏まえ、2章よりマクルーハニズムについて、そして現代日本の電子メディア社会という空間では、どのような効果が出ているのかという点について探求していきたい。



2章 マクルーハニズムとは
 前章では、本研究の全体的な概要に加え、本研究のテーマを選定した理由やマクルーハンの思想的背景およびその志向性について述べてきた。本章においては前章2節での議論を前提に、マクルーハニズムをメディアと人と社会の関係性から分節し、再構築した。本章で、マクルーハニズムについて整理することで本研究の理解の助力となることを望む。


1節 メディアの性質
 本節においては、本章冒頭で述べた中から、マクルーハニズムに関するメディアの性質という部分について、再構築していく。
 マクルーハンの議論の中で、とりわけ膾炙しているフレーズとしてあげられるのは「The medium is the message. 」というものである。これは基本的に日本では「メディアはメッセージである。」と訳され『人間拡張の原理(メディア論)』(1967)1章のタイトルにもなっているのだ。このフレーズは確かに、字句通りに解釈し理解することもできる。だが、このフレーズを本質的に理解していくには、2つの論点を検討していかなければならない。まず1点目は「The medium is the message.」というフレーズがなされたコンテクストを考えなければならないということだ。この言葉はある種「方法」というものをないがしろにし、「内容」ばかりに目を向けてきた西欧社会に対する警告であり、問いかけなのだ。前章でも述べたように、彼はメディアについて考える際には「効果」を最重要視することを自身の著作で数回にわたって言及している。そのことを踏まえると、このアフォリズム的な「方法」に自身のメッセージを落とし込み、世間に発表することの意味を考えていただろう。彼は、この「フレーズ」による発信で、西欧社会に探求を求めていた。それは、宮澤が「世の中や人生の心理を凝縮した短い表現は受け手を考えさせる。それこそがマクルーハンが人々に求めた『探求』の態度」(宮澤 2008:95-96)であると述べていることからもわかる。なぜマクルーハンがこのような態度を求めたかという理由は西欧社会のこれまでと、これからの電子社会に対する危惧という2点があげられる。1点目としては、やはり表音文字を使用し、方法と内容の分離を行っていく中で、内容のみにしか着目してこなかったという歴史がある点だ。マクルーハンは自身の著作で、この点に関して言及している。
  
     いかなる表音文字も話(speech)の視覚的コードである。〔話の意味内容で
    はなく〕話〔の音自体〕が表音文字の「内容」なのだ。(中略)アルファベ
    ットは視覚と聴覚を分離し両者の関係を断つだけのみならず、それぞれ自体
    では無意味な文字と音とが恣意的に結びつけられているという関係をのぞい
    ては、すべての意味を文字の音から切り離すのである。音自体、形それ自体
    としての意味以外の意味がいささかでも視覚化されたり、音声化されたりし
    ている限り、視覚と他の感覚との分離は不完全な形でのこる。たとえば表音
    アルファベット以外のすべての文字ではそうなのだ。(マクルーハン 1962=1986)
  
 このように、音を表すという訳語である表音文字においては、音節を可視化するので意味内容から方法を切り離したという効果が認められる。またその結果、みることによって得られる情報(文字)には意味内容が含まれなくなり、その文字について着目することを止めてしまったとマクルーハンは考えた。彼は続けて西欧社会に対して以下のように述べる。
  
     「内容」だけを問題にしてその形式についてはとにかく無視しがちである。
    そしてこの傾向は表音文字文化に特徴的なものである。というのは表音文字
    の視覚的部分そのものは意味をもたず、「内容」すなわち読書するひとの頭
    のなかで再構成される話のなかにのみ意味があるからだ。
(マクルーハン 1962=1986)
  
 この論拠としてマクルーハンは表意文字文化の中華漢語文化圏の特徴を対比する形で記す。マクルーハン(1962=1986)によれば、中国語の漢字は意味を内包するので、文字が話とコードを繋げる役割を大きく果たしている。対する表音文字アルファベットは、形式と内容とを分離し、この影響は広く一般庶民に影響があるという。このように西欧アルファベット社会では、アルファベットの成立以降、方法と内容の分離がなされてきた。マクルーハン(1962=1986)によれば、またそれがグーテンベルグの印刷技術の普及によって、アルファベット自体がもつ、話し言葉がもつ複雑な諸関係を、標準語として一目瞭然な視覚的用語に翻訳し、一様に普及させることができるこのプロセスを強烈に促進したという。2点目としては、これまでの文字文化社会というのは基本的に単一な感覚(視覚)に依存し、連続性や均質性を高める要素があった。しかしこれからの電子社会では複合的で総合的な感覚等が必要になってくるという、1点目の「これまで」に対する警告に加え、「これから」への警告という側面がある。前述した通り、文字は複雑な構造を標準化する要素がある。その点に関してマクルーハンは、以下のように述べている。
  
     アルファベットの発明は、車輪の発明と同様に、複数の空間がおこなう複
    雑で、有機的な相互作用を単一な空間に翻訳するもしくは還元する営みで
    もあった。表音文字は話しことばの実体である五感の同時使用をただ視覚の
    みでとらえられるコードへと還元したのだった。今日このような翻訳は、わ
    れわれが「伝達媒体」と呼ぶ各種の空間形式相互の間ではげしく行われてい
    る。ただこれらの空間のそれぞれはユニークな性質をもち、そのためわれわ
    れのそれ以外の感覚や空間にユニークなやり方で干渉するのである。
(マクルーハン 1962=1986:72)
  
このように、表音文字が視覚の比率を高めていったのに対し、新たな電子メディア社会は聴覚の比率の向上により同時性や相互依存姓が高まる社会へと「翻訳」されていくと彼は考えていた。その中で、文字を中心としてその枠組や価値観で生きようとする西欧社会への警告だともいえる。
 次にマクルーハニズムを語る上で重要な2点目の論点の存在を示したい。それは、「The medium is the message.」という言葉の訳が「メディアはメッセージである」とされるのは不適切であるという考え方があるということだ。山口(2001)によれば、この言葉は逆説的否定式化を行っているのである。すなわち本来的には、伝達内容こそいわば伝えるべき「メッセージ」であって、それがすべてであると通常考えられる。ただし、マクルーハンは伝達の形式を用いたというその行為自体が、その内容の総合的な意味付けに対して規定的に作用し、その「メッセージ」を決定することもあるという。このことから「メッセージ」を分析する際には、伝達内容よりも伝達形式に着目しようというマクルーハン「メッセージ」が込められているといえる。
  
     ちなみに、このように考える場合、”The medium is the message.”ママという
    マクルーハンの言葉は、「メディアはメッセージである」という日本語では
    十分に伝わっていないように思われます。ここでは、メディアとは何かとい
    う問いに対して、「メッセージである」という述語が与えられているわけで
    はなく、むしろ反対に、問いは「メッセージとなっているものは何か」なの
    です。メッセージとなっているものは、通常考えられるように伝達内容では
    なく、伝達手段であるメディアそのものである、「メディアこそがメッセージ
    なのだ」というのが、この挑発的なテーゼを言い表していることなのです。
(山口 2001:14.15)  
  
 続けて山口は以上のように述べており、メディアを主語にした本(『人間拡張の原理(メディア論)』)の1章目のタイトルでもあるので、メディア主語のフレーズとして訳出してしまってこの50年ほど主流であったが、マクルーハンがどういう時代背景で生まれて、どういう効果を予測してその言葉を使ったのかということを考えると、その訳出が不適切であったのではないかということが考えられてくる。例えば、本研究の1章2節で述べたように、マクルーハンは常に問題提起を試みていた。それも、どのような方法をとるかというと、その効果考えそこからどのような方法を取りそしてどのようなことをいうか決める。また、本節でも述べたように、内容と方法を切り離し、内容のみを重視していた西欧社会が、「これから迎える電子時代に対する気づきを持って欲しい」といった思いでこのフレーズを発しているといえる。それゆえ、「メッセージとは何であるか」それは実は「メディア」であって、その部分をしっかり理解し分析しなければ、これからの社会は乗りきれないといった「メッセージ」が込められているのだ。加えて、宮澤もその考えを基本的に参考にしており、マクルーハンの他のフレーズや英文法上の観点から指摘をする。
  
    これ(「The medium is the message.」引用者注)は標語であり、アフォリズム
    (警句)だとも考えられます。ちなみにマクルーハンは、アフォリズムは
    「クール」だと述べています。「不完全ゆえに奥深い参加を求める」からです
    (『メディア論』第2章)。つまり、世の中や人生の心理を凝縮した短い表現
    は受け手を考えさせる。それこそがマクルーハンが人々に求めた「探求」の
    態度であり、彼はそれを「プローブ」とも呼びました。
        (中略)
(1) The medium is a message. (メディアはメッセージである)
(2) The medium is the message. (メディアこそがほかならぬメッセージで
              ある。)
 「A=B」のB(message)が不定冠詞による未知の情報(a message)で
はなく、既知の情報(the message)であること。つまり、不定冠詞で未知の
情報を呈示ママする通常の「AはBである」という叙述ではなく、Bを既知の情
報とし、その未知の情報であるAを示す。つまり「BであるのはほかならぬA
である」という強調の文なのである。
 だとすれば、「ほかならぬ」の「ほか」とは何でしょうか。実はマクルーハ
ンは明言していました。あの「プレイボーイ・インタビュー」に答えが隠さ
れていたのです。
    
    内容よりも、メディアこそがメッセージであると私は強調します
   が、だからといって内容がまったく何の役割も果たさないと言いたい
   わけではありません。〔By stressting that the medium is the message
  rather than content[is the message], I’m not suggesting that
  content plays no role.〕
 つまり、「内容(コンテント)」が「メッセージ」であるよりは、「メディア」
が「メッセージ」である、という宣言です。確かに「内容」も「メッセージ」
かもしれないけど、「メディア」だって「メッセージ」だ、いや、むしろ「メ
ディア」こそが「メッセージ」として強調されるべきなのだ。そう主張して
いるのです。この発言の続きには、「内容ばかりを強調して、メディアを強調
しないでいると、新しいテクノロジーが人間に与える衝撃を関知ママできず、
そこに力を及ぼすことができますまい」とあります。
(宮澤 2008:95-96)
  
 このように「The medium is the message.」という言葉には、常に省略されている意味、つまり「内容」よりも「方法」がメッセージを表現していることが付随している意味を、頭に入れなければならない。また、メッセージはメディアの結果であるとマクルーハンは述べている。マクルーハン(1964)によれば、すべてのメディアで、そのメッセージはメディアが社会に導入するスケール、ペース、パターンの変化の結果であり、心理的及び社会的なプロセスがどのようなデザインあるいはパターンになっているかを考えることが必要不可欠であると述べている。さらに、マクルーハンは『グーテンベルグの銀河系』(1962)や『人間拡張の原理(メディア論)』(1964)で、どのようなメディアでもその内容は別のメディアであるという。そして、得てして新たなメディアが古いメディアを内包し、その内容とすることが多いという。その中で、内容となっているメディアは新たなメディアに規定され、新たなメディアと私たちを繋ぐメディアとなりうる。しかしそれは単純に繋ぐだけではない。「リアルな世界であり、古い世界に残ったものを思いのままに再形成するのだ」(マクルーハン 1967)という。例えば、動画共有サイトで、実際に放送されているテレビ・ラジオ番組などが、ある部分だけ切り取られて他のものと組み合わされていわゆる“まとめ動画”となって人気コンテンツとなっていたり、短文投稿型Blogにおいても、過去の生活の豆知識本から引用や切り貼りされた知識が多くの興味関心を引いたりすることからも読み取れる。このように、「メディアはメッセージである。」もとい「メディアこそメッセージである。」というフレーズには、時代及び文化的背景としての警鐘という効果、そして本来的な意味でメッセージはメディア(内容も別のメディアであることからして)がメディアによって規定され、表現されているということがうかがえる。すなわち、メディアとは、人に使われて情報の移動を媒介するだけのものではなく、情報の移動を行う過程において、人を用い、古いメディアを内包し再構築しながら自身を拡大していくという性質を持っていると考えられる。
 また、マクルーハニズムの中で、「メディアこそメッセージである。」というフレーズについで有名な概念がある。それは、「ホットなメディア」と「クールなメディア」という考え方である。これらは、マクルーハン(1964)によれば、ホットなメディアとは単一の感覚を高精細度で拡張し、受け手に参与を求めることが少ないメディアのことで、クール(コールドともいう)なメディアは低精細度で、受け手の参与補完性が高いという。マクルーハンにするとこのような定義のもと、ほぼすべてのメディア(及びテクノロジー)がこの二つに分類できるという。
ホット
クール
ラジオ
テレビ
活字
会話
漫画
写真
講義
ゼミナール
表1 マクルーハンによるホットなメディアとクールなメディアの分類
具体的にいうと、単一の感覚を主として拡張するメディアがホットであり、複数の感覚を複合的に拡張するメディアはクールということになる。しかし、多くの場合マクルーハン彼自身の中で完結することが多く、私たちは彼の主張通りに認識するしかないことも多々ある。それゆえ、そういった普遍性及び一般性、再現性のなさもマクルーハンが、当時の学術界から批判を受け、認められにくかった理由の1つとしてあげられる。だが、マクルーハンは『メディア論(人間拡張の原理)』で「ホット」と「クール」の説明の後にこうも述べている。「新しい技術が行き渡り、結果として混乱の過程が生じ、たいへんな文化的停滞がくる。人びとママはそのとき新しい状況をあたかも古い状況のごとくに眺めないわけにはいけない」(マクルーハン 1964=1987:25)のだ。この状況のことをマクルーハンは度々、車に例えて説明する。人々は、バックミラーを見ながら現在に進んでいくというのだ。時の流れとして(車自体は)前に進んでいるのに、これまでの価値観や状況(バックミラー)で判断しているから、決断は遅れ、導き出される答えは誤りであることが多い。要するに、主題を扱う方法と主題の隔絶が起こってしまうということだ。またマクルーハンによれば、基本的に電気時代は、意味よりも効果へと関心を移したことが大きな変化の1つとしてあげられるという。また効果というのは単一レベルの情報の動きに関わるものではなく、全体の状況に関わっているという。なぜなら、メディア自体も単独では意味やその存在を持つことができないので、他のメディアと継続的に相互作用及び相互連関して存在としての意味が加わるから全体の状況を認識していかなければならないという。そのようなことマクルーハンはメディアの性質を分析し分類することで、実践していったのだ。これも前述した「メディアこそメッセージである。」という警句にみられるような、社会への問題提起であり、彼自身のProbe(探求)なのだ。
 本節では、メディア自体の特徴、その性質を彼のアフォリズムを通して分析してきたが、本節に後続する本章の残り2節では、メディアと私たちやそれを取り巻く社会との関わり、相互作用について分析していく。
2節 メディアと人間の相互作用
 前節では、前章でみたマクルーハニズムの基本的な思想的背景を踏まえ、彼の代表的なアフォリズムを中心に、メディア自体の性質について考察してきた。これより本節では、そのメディアと人間個人ではどのような相互作用がみられるのかを研究していく。
 これより、3点の論点を中心に本節を構成していく。まず1点目としては、メディア(やテクノロジー)は人間の身体器官や感覚能力の拡張であるという視点である。次に2点目は拡張の結果として起こる、メディアから人間の感覚比率への反作用についての議論を考える。最後に、メディアを介した五感の統合と分離の推移(マクルーハンいわく感覚比率の変動)を考えていく。
 まず、メディア(テクノロジー)は人間の身体器官や感覚能力の拡張であるといぅ議論があげられる。メディアが「感覚」の「拡張」であるという表現は、「メディアこそメッセージである。」という表現と並んで有名で、マクルーハニズムの中核的な論点である。
 私たち一般的な人類は、文字通り「裸一貫」で自身の感覚器官で感知し、身体能力で動作を行う範囲というものは、意外にも小さい。これだけモノにあふれた社会において、そのことを実感する状況というのは、なかなか日常生活のなかで見つけるのは難しい。だが、自身の消化器官や歯の代わりに火を用い、皮膚や体毛の代わりに衣服を身にまとい、住居を建築していくようなことを積み重ねていくことで、私たち人類は文化や科学技術を発展及び拡大してきた。総じてこれらのものをメディア(medium)と呼んだ。これは、日本語訳におけるメディアという印象よりも広義な意味であることは強調しておかなければならない。要するにメディアとは、中間物などの訳もあてはまるが、このマクルーハニズムの中での使われ方は「方法」という訳があてはまる。ここの意味であるとすれば、「いかなるメディア(すなわち、われわれ自身の拡張したもの)」(マクルーハン 1964=1987:7)であることも理解できる。様々なメディアやテクノロジーによって感覚が拡張していくという議論は、2作目の『グーテンベルグの銀河系』(1962)から多くなされてきた。まず、この著作はマクルーハン(1962)によれば、経験や精神の視野や表現などの諸形式が、表音文字から口述、手書き、そして印刷技術という変化によって、どのような変化をしたのかをたどるために書かれるとしており、技術革命を解き放つことになった変化の前に何があったのか、という問いを解き明かしていくとしている。要するに、体験することや思考及び、それらの表現方法が変わることで、個人や社会が変わっていくとしており、なぜそれらが人間や社会に変化をもたらすのかという部分に彼は焦点を絞っていく。また、彼は前述の著書の序章でこう述べる「道具を作る動物である人間は、音声、文字、ラジオ等々、いずれの手段を用いて語ろうが、いずれにせよ自分たちの感覚器官のどれかひとつを拡張している」(マクルーハン 1962=1986:7)として初めてここで感覚器官が拡張したものがメディア(テクノロジー)であるということを述べている。そもそもマクルーハンのいう感覚とは、3つの階層があるのだ。それは「①意識される知覚・意味、②意識されない感覚刺激、③メディア技術の変化による、感覚精度や感覚比率の差異化。」(青山賢治 2013)の3点だ。①は最も一般的な訳で、意識的に情報を取得し、感じる部分である。②は無意識下で取得している情報による感覚のことである。しかし、マクルーハンのこの考え方の中で最も重要な点は、青山による③の、感覚全体の比率の差異という部分に着目したことだ。その感覚比率(sense ratio)とは「不均衡が前提とされる中での絶えざる均衡化の働きに関する理論」(和田伸一郎 2003)であり、「諸感覚(五感)の間で行われる<相互作用 the interplay of the sense>の<比率 ratio>(ratio は rational、reason と派生関係にあることに留意しよう)のこと」(和田 2003)でもあるのだ。この概念は、「西洋の哲学、美学の伝統的概念である〈〈共通感覚 sensus communis 〉〉を参照しながらマクルーハンが独自に創りあげた」(和田 2003)ものだ。この感覚比率にメディアが作用し、人間の経験や知識の総体を再編するのだ。
  
     技術という形態でわれわれ自身を拡張したものをみること、使うこと、知
    覚することは、不可避的にそれを抱擁することになる、ラジオを聞くこと、
    印刷されたページを読むことは、われわれ自身の拡張したものを自身のシス
    テムのなかに受容することであり、そのあとに自動的に生ずる「閉鎖」ある
    いは知覚の置換を経験することである。 (マクルーハン 1964=1987:48)
  
 マクルーハン(1964)によれば、すべての発明や技術も、私たちの身体を拡張および自己切断したものであって、これらは翻って身体の他の諸器官や拡張間に、新たな比率や新たな均衡を要求するという。要するに、諸作用の結果が反作用し、原因であった部分をまた結果にせしめているということだ。私たちは、拡張された身体能力や感覚器官から取り込まれる経験を私たち自身の中で、常に言語というメディアを通して相互翻訳を繰り返す。この作業により、またこれが感覚となりメディアに作用することで、再度相互比率に影響を与えている。この流れは、「拡張された技術間で行われる相互作用が、技術全体の中で相互比率をもつということは今となっては不可欠なこと」(マクルーハン,1962=1986:9)であるという。換言すれば、技術内における相互比率と人間内における感覚比率変化が互いにメディアや私たちを通して相互作用し、相互依存しているということである。
    
     ある文化圏の内部から、もしくは外部からひとつの技術が導入され、その
    結果としてわれわれのもつ五感のうちに特定の感覚だけが特に強調され優位
    を与えられる場合、五感がそれぞれに努める役割比率に変化が生じるのだが、
    我々の感受性ももとのままではありえない。どれか1つの感覚が切り離され
    ると、他の感覚どうしの比率が必然的に狂って自己感覚が失われてしまう。
(マクルーハン 1962=1986:41)
  
 このように、個人の中で感覚の変更が行われていくことを、『リア王』を引き合いに出す中で、以下のように分析している。
   
     『リア王』はルネッサンスの新しい行動的生活がいかに気違いじみたもの
    であり、悲惨なものであったかを示すための、いわば中世の実例訓話(sermon
    -exemplum)のようなもの、または一種の帰納的推理劇であった。シェイクスピ
    アは〈行動〉の強調という新原則こそが、それまでの社会活動や個人の感覚
    生活を専門化された断片へと分割した元凶であったことを詳細に説明する。
    こうした生活の断片化は生命力の新しい綜合化を求める興奮状態を生み出す
    ものであり、また新たなストレスに影響されたすべての組織や個人を間違い
    なく、気違いじみた行動へと駆りたてるのである。
(マクルーハン 1962=1986:30)
 
 このように個人の感覚比率に変動が起こる際の変化と断絶が、個人に異常な感覚をもたらす。例えば、「ナルシシズム」の語源となったナルキッソスは、泉映った自身をみて恋に落ちたという神話があるが、それがその典型であるとマクルーハン(1962=1986)は考える。それは、新たな技術(この神話では泉ではあるが)に触れたとしても人間は、過去の基準からしか判断することができず、そこに実在する人間だと勘違いをし、水面の自身に恋をするという狂気じみた行動に帰結する。このように、感覚比率の変動が新たな技術によってもたらされる過程で、人間は誤作動を起こしうるのだ。
 では最後に、これらの感覚比率の相互作用の変動が何をもたらしたのか、メディアを介した五感の統合と分離の推移という議論をみていく。まずマクルーハンは、各時代においてメディアを用いて分類した。
時代
メディア
文化内容
主感覚
先史時代
触る・叫ぶ
身体接触
触覚/聴覚(多感覚)
紀元前〜ギリシア時代
音声、口語
音声(口述)
聴覚/触覚(多感覚)
ローマ〜ルネッサンス期
文字(手書き)
文字
聴覚/視覚(多→単感覚)
活版印刷の改良以後〜19C
文字(活字)
文字
視覚(単感覚)
20世紀
電気(電波)
電気
触覚/聴覚(多感覚)
表2 マクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率への認識(筆者作成)
 先史時代は、言語というよりも叫びや鳴き声に近いものや身体接触等のみでコミュニケーションを取っていた。ゆえに主として働かせる器官は触覚や聴覚であった。そして、言語体系が整い一部権力者などが、歴史を保存するためなどに文字を使い出した頃、いわば先史時代が終わりを告げ、歴史が始まった頃、人類は口語及び音声によるコミュニケーションを主として選ぶようになっていた。そこでは、「人間の言語はわれわれの五感のすべてを同時に外界にむけて延長、もしくは音声によって外化」(マクルーハン 1962=1986:58)することで、自身の感覚で、また新たな比率を生み出していく。さらに、その口語文化で生きる人は、基本的に客観性を持たない。なぜなら、自身を相対化する技術というのは、文字文化の社会になってから定式化した概念であるからだ。それゆえ、口語社会では情報を聴覚などから複合的な情報を取得し、その後感覚の主体として「感じる」のである。その部分について、マクルーハンは『グーテンベルグの銀河系』(1962=1986)の中で、E・S・カーペンターの議論を用いて、口述文化(非文字文化)の人々は、空間を動的なものと捉え、時間を画一的に分割せず、空間を捉えるための客観的尺度を持たないという。そのため、口述文化の人々は自身を取り巻く世界を多方向に捉え、世界と一体感を持ちえる。
 次に、文字文化に生きた人々をみていく。活版印刷の普及以降、当時の西欧人は非常に視覚に依存して生活するようになった。マクルーハン(1962=1986)によれば、活版印刷は視覚だけを切り離し、孤立させることで視覚強調が行われ、連続性、画一性、連結性といった特徴的な諸様式が時間と空間の観念にも延長してしまう。そのような社会では、印刷文化における視覚による経験の均質化が、聴覚をはじめとする五感の織りなす感覚複合を、背後へおしやった。 それはつまり、経験が視覚という単一経験へ還元されていくということだ。この手続きにより生を秩序付けるにあたって必要な、原因結果の機械論的理解ができるのだという。また、人々は文字文化社会に移行する上で、論理的な思考というものも手に入れた。
  
     線形的にアルファベットを書くことによって、(中略)思考と科学の「文法」
    の発明が可能になったのであった。そして、こうした文法、または個人的社
    会的手続きを明文化する作業は、視覚以外の感覚機能や関係の視覚化を意味し
    ていた。
(マクルーハン 1962=1986:39)
  
 文字及び、文章を書くに過程において、記述する何らかの情報を視覚化することで、その内容の順序や流れ、つまり原因と結果のプロセスが視覚化され、注視されるようになった。そのことで、多方向からの情報に対する五感の同時的使用というものが、視覚のみで捉える単一経験へと還元されていくのだ。また、マクルーハン(1962=1986:83)によれば視覚的に明瞭になるにつれ、複雑な心理関係が単純化され、ある種歪曲されるという。それは前述している経験の単一化によって、心理的な側面を平面的なものにコード化していくことで、本来的なものと異なる諸相に、抽象化してしまうということからもいえる。総じて文字文化において西欧社会の人々は、「印刷がひろまってしばらく時が経過してはじめて、作者や読者は『視点』を発見したのだった。(中略)視覚的に構成された世界は統一され、均質化された空間の世界である」(マクルーハン1962=1986:209)という認識を獲得した。
 最後に電子社会の人々をみていく。人間は今まで身体能力や感覚器官の外化を行ってきたが、
電子時代においては中枢神経を外化していくとマクルーハンはいう。それにより、経験の均質化という方向性の時代が終わり、感覚の多元化や再部族化と呼ぶ統合化に向けた働きが作用する時代になっていくのだ。その中で、人々は「全一、共感、自覚の深さに憧れ」(マクルーハン 1964=1987:5)、「いかなる『視点』とも無関係に関与と参与を強いられる」(マクルーハン 1964=1987:5)のだ。活版印刷技術以降の文字文化の人々が獲得した「視点」に関わらず、個々人に社会的な参与が求められるようになっていった。それは、客観的で個人主義的に人々が向かっていた前時代から真逆の反応であり、人々が再び村社会のように統合への参与を求められるようになった。また、前述の通り「機械化というのは、いっさいのプロセスを細分化し(中略)一線に連続させる」(マクルーハン 1964=1987:12)ことで、情報を視覚化していったが、電気時代においては「物事を瞬間的にすることで、連続を打ち切りにした」。そしてそのことで、マクルーハン(1964=1987)によれば、連続性が瞬間性に移行した際に、線状の連結で物事を捉えるのではなく、全体的な構造とその構成の関係に着目するようになった。メッセージの内容ではなく、全体の効果に着目しはじめたという。電気時代に生きる人達は、このように個人の意識と共同体の意識とを統合し一つの全体性を作り上げているのだ。
 本節では、メディアと人間自身との相互作用という側面から、マクルーハニズムをみてきた。しかし、メディアと人間とその人々が構成する社会というのは一概に分離・分類できない。それゆえ、次節では本節の議論を多分に踏まえつつ本節でみられたような価値観や性質を持つ人々が所属し構成する社会はどのような性質を持っており、それにより今後の社会がどのような性質を持っていくのかという部分を検討していきたい。

3節 メディアと社会の相互作用
 前節では、コミュニケーションメディアを切り口に、それらが最も関連する感覚器官が人間の感覚に与える影響について考えてきた。本節では、前節でみたような時代区分を参照しつつ、その社会全体の相互作用の結果について考えていく。まず、前節の五感の統合と分離を踏まえながら、技術がもたらす五感の感覚比率の変動による社会に対する影響を口語、書字、電子とそれぞれ比較、分析していく。その上で、口語コミュニケーション時代から手書きコミュニケーション時代、印刷コミュニケーション時代、そして電気コミュニケーション時代へと移行していく過程で、マクルーハンがその後完成していくといった「地球村」について考えながら、現代インターネット社会がマクルーハニズムの流れにあるのかという部分を検討する。
 
時代
メディア
文化内容
主感覚
先史時代
触る・叫ぶ
身体接触
触覚/聴覚(多感覚)
紀元前〜ギリシア時代
音声、口語
音声(口述)
聴覚/触覚(多感覚)
ローマ〜ルネッサンス期
手書き文字
文字(手書き)
聴覚→視覚(多感覚)
活版印刷の改良以後〜19C
印刷文字
文字(活字)
視覚(単感覚)
20世紀
電気(電波)
電気
触覚/聴覚(多感覚)
表3(再掲) マクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率への認識(筆者作成)
 本説でも上にあげた表3をもとに議論を整理していく。はじめに、人間の感覚比率の変動は、コミュニケーションに影響を与え、またコミュニケーションの方法により規定されてきた。それゆえ、各時代においてどのような性質の人々がいて、どのようの時代であったのかを考えていく。
 先史時代の部族社会からギリシア時代以前においては思考と感情の統合がなされていた。マクルーハン(1964=1987)によれば、聴覚優位な生活の部族的社会において、経験は過度に審美的で全体包括的であるという。さらに、行為と反応が同時であるので感応的で濃縮的であるともいう。また、視覚による均一化の統制が取られていないので、「文化の多元性、特異性、不連続性」(マクルーハン 1964=1987)が担保された社会であるといえる。また、主題としての言及ではないが、マクルーハンは部族的な社会への回帰という側面からの議論を何度か行っている。そこでは、人間が外への拡張を続けていくうちに、内的な拡張(内爆発)を反作用としてなされていくという。「感性の統一、思考と感情との統合を回復しようとするわれわれの長い努力のなかで、われわれはこうした統一が実現されるときに必然的に生まれる部族社会的特色を受け入れる」(マクルーハン 1962=1986:54)という面や、「デジタル・コンピューターが数字を必要としないのと同じである。電気は、意識そのもののプロセスを世界規模で、しかも、言語化に頼ることなしに、拡張する方法を示している。このような集合的意識の常態は人間の言語以前の状況であった」というような表現で、先史時代を表している。ギリシア時代以降、ここで初めて人類は表音文字であるアルファベットを獲得した。マクルーハンは文字自体の発明よりも、表音文字(アルファベット)の発明こそ、西洋と東洋の決定的な差異を生んだと主張する。それはどのような差異であるかというと、本章1節でみたように表音文字は言語というコミュニケーションメディアにおいて、方法と内容の分離を達成した点があげられる。
  
     アルファベットの発明は、車輪の発明と同様、複数の空間がおこなう複雑
    で有機的な相互作用を単一な空間に翻訳、もしくは還元する営みであった。
    表音文字は話しことばの実体である五感の同時使用をただ視覚のみでとらえ
    るコードへと還元したのだった。今日このような翻訳は、われわれが「伝達
    媒体」と呼ぶ各種の空間形式相互の間ではげしく行われている。
(マクルーハン 1962=1986:72)

 このことにより、本章の前節、前々節で述べてきたように、文章を線状化し、「文法」が意識されるようになった。それは、マクルーハン(1962=1986)によれば、思考と科学の「文法」の発明が可能になったのだという。その文法とは、個人的または社会的手続きを明文化する作業は、視覚以外の感覚や相互作用の視覚化を意味しているのだ。また「アルファベットは、他者によって吸収されることなく、ただ相手の文化を〔自分の文化の基準に合わせて換算することで〕精算するか、還元する」(マクルーハン 1962=1987:79)のだ。それにより、他文化の経験をも吸収し、発展し他を管理していこうとする。しかしこの視覚化による明確化というのは複雑な心理状態の単純化であり、ある種の歪曲的行為だということは前節で述べた。この視覚化による単純化というのは、マクルーハン(1962=1987)によれば、心理内部における事件が視覚的になるにつれ、呪術的様式が消失していくという。そのことで、アルファベットを用いる文字社会の人間は「自分の存在様式の非聖化を望むようになる」(マクルーハン 1962=1986)のだ。その点に関してマクルーハンは以下のように述べる。
 

     そして表音文字を使用する経験を通してもたらされたこの過程(五感どう
    しの相互作用の絡み合いの網の中から取り出して分離させる過程筆写注)こそが、
    人間社会を「聖なる」時空もしくは宇宙的秩序そなえた時空から突如として引
    き離し、プラグマティックな文明人の非部族化をした時空、もしくは「世俗
    的な」時空へと導いた誘引なのだ。(マクルーハン 1962=1986)

 さらに、マクルーハン(1964=1987)によると上記のような感覚と感覚との分離や視覚の拡張及び増幅によって引き起こされる集団からの個人の分離は、表音文字の影響にほかならない。以上のように、マクルーハンは視覚の比率の上昇によって起こされた非部族化や個と集団分離は人間社会を世俗化していったと主張する。しかし、マクルーハン(1962=1986)によれば、この時点では視覚的知識を大規模に複製することはできず、非視覚型の思考過程を視覚化しようという欲求もまだ高まっていなかったという。前述の流れが加速度的に発展していくのは、グーテンベルグが活版印刷の技術を西欧で実用化し、それが広まってからである。
 前述の通り活版印刷は西欧におけるコミュニケーション文化を大きく発展させ、話しことば社会とは180°異なる諸相をみせる。前節では、活版印刷技術によって、連続性や画一性などが高まってくるというマクルーハンの議論を紹介した。ここでは、そのような性質がどのような社会を作っていくのかという部分をみていく。マクルーハン(1962=1986)によれば、活版印刷の技術の普及がもたらした印刷文字社会にいては、知識や経験の蓄積に加えて複製が容易になった。そのことで、知の開放がなされ、それが知識体系の専門分化を引き起こしていった。マクルーハン(1962=1986)は、バークレー僧正(アイルランド出身の哲学者)の著作を引用しながら、感覚の分離と単一機能への抽象化という過程、つまり感覚を裸にして触覚的な共感覚(synesthesia)を生み出していく感覚相互の作用を阻碍するような現象こそ、グーテンベルグの活版印刷技術がもたらした効果の一つであるという。続けてマクルーハン(1962=1986)は、シェイクスピアの『リア王』を例示しながらルネッサンスにみられた新たな行動的生活という新原則こそが、以前の口語文化における社会活動や個人の感覚生活を専門化された断片へと分割していった原因であるという。
  
     表意文字は象形文字以上に五感を同時に動員する複雑な〈ゲシュタルト〉
    なのだ。表意文字はいかなる感覚の分離や専門化ももたらさないし、またそ
    のために表音文字を理解する鍵である、形、音、意味の分裂も生じない。と
    いうことは(表音文字がもたらす筆写注)知識の応用や産業の中に潜在的に含ま
    れる、無数の領域への機能分割、それによって生じる無数の専門領域の成立が
   (中略)とうてい手に入るものではなかったことを意味する。
(マクルーハン 1962=1986)

 また、印刷文字文化において「もっとも重要な特徴である反復性」(マクルーハン 1962=1986:57)があげられる。そして、その反復の結果として、暗示的な催眠効果や印刷された特定観念に対する執心がある。さらに、マクルーハン(1962=1986)によれば、印刷技術は、前節でも述べたが、経験を断片化し特定の感情を孤立させる。確かに、そのようにして印刷技術は対話を移動及び形態可能な商品へと翻訳した。だが、その商品は消費媒体であることのみには留まらず、人間自身のすべての経験や活動を線状的なシステムに基づいて再構築していくのだという。印刷技術は「まず第一に人間を非部族化し、非集団化するアルファベット文化の最終段階である。印刷はその表音文字文化の持つ視覚的特色を最高の鮮明度まであげる。そのために印刷面は表音文字がもつ個別の力を写本などより強烈にもつ」ことになるのだ。そのような再構築や、印刷技術の導き出した視覚的特色の最大化により生み出された言語的な均一性により、個人がローカル(部族的)な集団から分離をよぎなくされ、ナショナリズムに支えられ、国家による再統合がはじまった。
  
     印刷は人間に対し〔計画的に生産物を販売する〕市場(マーケット)を創
    り出し、国民軍を創設する方法も教えたのだった。なぜならば、印刷という
    熱い媒体によって、人間ははじめて自分が話している民族語を文字のかたち
    で「視るママ」ことが可能になったからであり、かつそうした言語が話され
    ている地域という観点から、国民的統合や国力が頭に描かれ始めたからである。
(マクルーハン 1962=1986)

 これらのように、マクルーハン(1964=1987)によれば、印刷技術の形態的本質は、過程を分割し、その細分化された諸相を移動可能でありながら画一的な単位の連続的な文脈の中に置く。そのようにして、知識を機械的生産に移し変える力であるという。さらに、それにより、マクルーハン(1964=1987)によれば、心理的には視覚機能の拡張がなされたもので、遠近法と固定した視点(客観的・俯瞰的な視点)を強化することとなり、自己表現の手段が可能となったので、視点と個人の視点が強調されたのだ。また、社会的には、活字印刷という形で表される人間の拡張は、正確に反復可能なイメージを提供し、社会的動力を拡張していくので、国家主義や産業主義、マス(mass)市場に加え識字と教育の普及というものを生み出したという。このようにして文字文化は生成された。次から電気社会では文字文化社会からどのような変化があったのかをみていく。
 電気技術が発達し、中枢神経の拡張された世界が拡がっている時代においては、マクルーハン(1962=1986)によれば、人間の相互依存や自己表現のための新たな形式や構造を獲得する。そしてこれらの相互依存の形式や構造の特色は、状況が非言語的な要素で構成されている時にも「口承的な」性格をもつという。そして「口承的な相互依存の問題は(中略)われわれの想像力による精神世界をいくらか再編する」(マクルーハン 1962=1986:5)ことが求められる。一つ前の時代と比較するならば、文字文化社会にみられた視覚の比率の上昇による専門化は聴覚の復権によって、より複合・多元的になっていった。さらに、電気の瞬間的な反応というものは、それまでの文脈依存的な連続性を断ち切り、線状的な繋がりを点在する個の集合としたのだ。その個はただ孤立しているのではなく、全体的な各点の相互依存や、情報の移動の活発化によって支えられる共同体の意識とで結ばれた体系として構成されていった。そのため電気時代においては、単一レベルの情報の運動に着目する「意味」よりも、全体の状況に関わる「効果」に関心を移していく。そしてマクルーハン(1964=1987)によれば拡張された自己は地球規模で拡がり、時間も空間も区別がつかなくなっていっているという。電気は、私たちの多様な感覚を「薄くひきのばし地球をすっぽり覆う」(マクルーハン 1962=1986:53)のだ。マクルーハンは、このような五感の外化及び拡張というものこそが地球全体に機能する「技術的頭脳(technological brain)」を創りだし、有機的組織を構成する主因であると主張する。また、マクルーハン(1964=1987)は、3作目とされる『メディア論』の冒頭において、西欧は機械化し細分化する科学技術を用い、外爆発(explosion)を続けてきたが、電気時代になり内爆発(implosion)を起こしているという。これは竹村(1967)によれば外爆発を、身体能力や五感を外化し拡張していくことで、一方通行で放射状に科学技術や文化が進んでいくと捉え、内爆発を直線的に進む様々な光が自己の内壁に当たって、跳ね返り互いに交錯し合うような対面交通的な相互作用による質的な変化のことと捉えることだという。その中で、マクルーハンはたびたび電気技術が不安を生み出したと主張する。それは「電気は内爆発のために、いかなる『視点』とも無関係に関与と参与を強いられる」(マクルーハン 1964=1987:5)からである。マクルーハン(1964=1987)は、電気時代は電気によって、私たちの中枢神経に酷似する全地球的なネットワークが形成される時代だという。中枢神経は経験が統一される単一の場を構成する。そのことで、知識を相互に関連付けて即時的に処理するための、全体としての反応する方法を拡張しているともいえるのだとマクルーハンは(1964=1987)いう。また、電気の効果というものが、「すべての人間活動に同時的に『場』を再創造」(マクルーハン 1962=1986:52)して、人間を一つの地球村にまとめあげていくと述べている。
 その地球村とは、印刷技術社会が電気メディア社会に移行していくことで、徐々に姿を現した社会の形態のことで、「電波メディア発達以後出現した」(マクルーハン1962=1986:37)「部族の太鼓の響く」(マクルーハン 1962=1986:52)新しい相互依存社会の形を指している。この地球村は世界を収縮させるが均質化はさせないともマクルーハンは述べる。その地球村について宮澤(2008)はマクルーハン(1962=1986)によれば「部族の太鼓」とは、ラジオの説明の部分で内爆発を大衆に浸透させたメディアであるという部分を参考に、部族の太鼓による響きによって世界全体が繋がっており、共有され世界中の人の深層心理に関与するという。さらに、宮澤(2008)はマクルーハンが『グーテンベルグ銀河系』で「暮らしている」という記述をしている部分に着目し、それが理想郷ではなく現在進行形の現実社会であることを強調する。その上で、彼は地球村の社会の条件を以下のように定めた。
  
     こうしてみると、「地球村」の特徴は以下の三点に要約できます−−−
(1) 同時多発性(各地でさまざまなことが同時発生、即時の伝播、万人の参
加・関与
(2) 混迷の世界(現状認識・非予言性)。
(3) 過渡期(未来への期待)。  (宮澤 2008)
  この特徴の中では、(2)の混迷の世界というのは成立条件であり、それは文字文化の社会から、電気メディアの社会への移行による人々の感覚や、価値観のズレによって引き起こされるものである。前章1節でも取り上げたが、マクルーハン曰く「バックミラー」をみながら人々は現状認識をしている。換言すれば、過去の文字文化の価値観を電気メディアの時代の尺度にしているから“混迷”するということだ。そして、そのようなメデイアと社会の移行の過渡期という意味でこれからの未来へ期待する(3)の特徴がある。その中でも宮澤(2008)が本質として取り上げるのは(1)同時多発性である。これは、本節でも議論してきた電気メディア社会の特徴ともいえる、反応と行為の瞬間性や、全地球的な相互依存と相互関与をしていくということが、現実に社会でみえる形になるという点で、地球村における主たる特徴であるという。以上のように地球村とは、マクルーハンが予言者として評価をされることとなる主たる概念であるが、実際は当時の現実社会における現状認識に過ぎないともいえるのだ。
 本節では、前節でみたコミュニケーションメディアごとの時代区分を参考にしながら、そのメディアが社会に及ぼす効果という部分を考えてきた。その上で、電気技術がもたらした中枢神経の外化及び内的な拡張、いわゆる内爆発によって私たちは相互作用・相互依存的な共感覚を持ち、地球村の村人になっていくという議論を検討してきた。
 また、本章では全体として、マクルーハニズムの内容をメディアの性質や人との関わり、そして社会との関わりという視点から議論を深めてきた。ただ、マクルーハニズムは彼の論理展開の構成上、多分に明確かつ端的ではない記述が多く(残念ながら本研究もその部分を克服できていない側面もあるが)、彼自身もアフォリズムを好んで使用したため、その議論が常に評価されてきた訳ではない。次章では、その評価の流れを整理して考えていきたい。
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3章 マクルーハニズムの歴史的評価
 前章では、マクルーハニズムの内容についてメディアを中心に据え議論を進めてきた。これより本章においては、マクルーハニズムの評価の歴史的な流れをマクルーハン自身の生きた時代における評価と、日本での評価と整理しながら議論を進めていく。1章で述べたような思想的背景を踏まえつつ、マクルーハンの探求(prove)がどのように当時の社会に受容されていたのかという点を考える。そして、日本ではどのように受容され、どのような時機に流行し、どのような時機に日の目をみなかったのか、という変遷をみていく。それらのようにして、コミュニケーションメディア研究の始祖としてのマクルーハンを探っていく。


1節 マクルーハンの生きた環境
 本節では、まず英文学者として研究者であり、教育者であるところから、どのような経緯で第1作目の『機械の花嫁』を出版したのかということを探る。次に、実学及び社会批評の部分からアカデミア路線への移行を試みた時機に相当する、1960年代中盤から、あの「ザ・ビートルズ」のメンバーであるジョン・レノン及びオノ・ヨーコ夫妻との会見に至るまでをみる。そして、没後息子や弟子たちによって再評価されていく部分などを検討する。
 まず、マクルーハンは1章2節で検討したように、英文学出身で博士論文には西欧2000年にわたるコミュニケーションの歴史について「トゥリリウム」(文法・論理・修辞)を切り口にして研究を行っていた。その後、竹村(1967)によれば、若手の研究者として論文を専門学術誌に寄稿をしていて、今日まで(1967年当時筆者注)マクルーハンはテニソンの詩を集めた教科書の編者として知られているという。英文を中心とした西欧の文学の世界で一定の名を上げているだけの存在であったともいえる。そして「1940年半ばごろには、彼はその批評の筆を広範囲に伸ばして」いたのだ。その中でも、宮澤(2008)によれば、1944年から書き始めた米国社会及び文化批評があり、その集大成ともいえる作品が初の単行本である『機械の花嫁』であるという。1951年に出されたマクルーハンの処女作である『機械の花嫁』は、竹村(1967)によれば、急進的かつ独特で、挑発的なアイディアが盛り込まれていたので、内容・文体ともに常識はずれであり、反響はほとんど起こらず、彼の問いかけは不発に終わったのだ。しかし、彼はその後も精力的に言論活動を続けた。1953年からE・カーペンターとともに『探求』誌を発刊し、様々な専門を持つ学者を集めて、学際的な言論の場を作ったのだ。その後、その中から何本かを再録して『コミュニケーションの探求』という表題で本を出版した。そして竹村(1967)によれば、1957年に「大衆文化—アメリカの大衆芸術」という論文集の中で、広告と電気メディアの二論文を執筆しているという。そしてその頃からマクルーハンは、コミュニケーション理論家としても、知識層の間で認められ始めたのではないかともいう。例えば「1955年にはアメリカ教育放送協会のメディア計画主任になり、1963年には、トロント大学は彼を新設の『文化・技術センター』所長に任命」(竹村 1967)したのだ。そして、前後はするが1962年『グーテンベルグの銀河系』を出版し、同年カナダ総督賞(カナダの最高の文学賞)を受賞し、前述の所長就任からもわかるように、国内では一定の地位を築いた。そして続けざま2年後の1964年に『メディア論』を出版した。宮澤(2008)によれば、これがカナダだけではなく全米で注目されたため、マクルーハンを時代の寵児にならしめたのだ。例えば竹村(1967)によればトム・ウルフは、マクルーハンの著作はフロイトとダーウィンと同じくらい重要である、と述べたという。またジェラルド・スターンはアインシュタインやフロイドに並ぶ大思想家だと呼び、ライフ誌は「電気時代の予言者」と名づけたのだという。
  
     昨年来のアメリカにおけるマクルーハン・ブームはすさまじい。巻末の参考文献で
    わかるようにアメリカの一流雑誌は全部マクルーハン論を掲載している。
     マクルーハンは現代をはじめて解明した、現代はマクルーハンの世界である、とい
    うのが欧米思想界の大きな発言となりはじめた。(竹村 1967)
 
 このように手放しの称賛や
  
    「トロントの予言者。」(ニューズウィーク誌)
    「コミュニケートできないコミュニケーション理論家。」(ライフ誌)
    「現代知性人の中でもっとも賞賛され、もっとも議論の的となり、確実にもっ
    とも話題になっている一人。」(ニューヨーク・タイムズ・マガジン)
    「カナダの知的彗星。」(ハーバス誌)
             (中略)  
    「大衆文化の隆盛を驚きをもってみる、いかめし批評家たちへの解答。」(社
     会学者デビット・リースマン)
    「マクルーハンの教えは急進的であり、新しく高い知性で生き生きとし、人々
     を社会的行動に動かす力がある。」(小説家ジョージ・P・エリオット)
    「フロイトやアインシュタインと同じスケールにおける思想家としてマクル
     ーハンを考えるほかない。」(評論家ジェラルド・スターン)
    「マクルーハン、彼は正しいか間違っているか?そうさね、イエス・アンド・ノ
     ウだ。」(ニューズウィーク誌)
             (中略)
    「マクルーハンは若者や芸術家によって見出された。文壇が見出したので
     はなかった。後者はいまだにマクルーハンの著作を理解できない。」(出
     版ジェ業者ェローム・エーゲル)
    「広告産業に世界を動かすテコを与えたアルキメデス。」(サンフランシ
     スコの広告業者ワード・ゴーサジ)
    このゴーサジ氏はさらに続いて、「二十世紀は貴下に従うであろう」といった
    そうだ。
     このくらい熱烈なファンをもつのである。しかも、ナイーブな農民やバー
    のホステスが相手ではない。もっとも知的にソフィスティケートされた広告
    人に、そのような教祖的信仰を捧げられたのだ。
     大企業の重役たちが「マクルーハンもうで」をし、たった一時間の講演料
    に、それも昼食をとりながらで千ドル(三十六万円ブレトン・ウッズ体制下のレート引用者注)
    も払うのである。  (竹村 1967:25.26.27)

 このように、様々な業界から称賛され、いわゆる「マクルーハン旋風」が吹き荒れた。彼は、著書だけではなく、竹村(1967)によるとルック誌という「ある大統領の死」を独占掲載して、当時話題を呼んでいた雑誌に連載を持っていたり、ニューヨークの中心地のビル内に事務所を構え、企業の相談にも応じたりしていたという。新たなテクノロジーに押されていた当時の社会において、一抹の不安を抱いていたところに、マクルーハンというセンセーショナルかつ特異な存在が上手く合致したのだ。しかし、いくら流行している存在とはいえ光の面だけではない。マーシャル・マクルーハンの息子エリック・マクルーハンは、自身の父との共著『メディアの法則』(1988=2002,NTT出版)において、陰の面にも触れている。
  
     批評の内容は二つに大別できた。ひとつは事実関係に関すること(「それは
    一八四二年ではなく一八三〇年である」といった類のもの)で、もうひとつ
    は「フラストレーションの問題」と呼べるものだった。後者の方が圧倒的に
    多く、その言い方はさまざまで、例えば生真面目な読み手たちは「この本は
    難しい」とか「理解不能である」と主張したりママ、あるいは文体や本の構成
    に異議を唱えていたのだったが、総じていえば「この本に書いてあることは
    あなたにとって都合がいいかもしれないが、科学的ではない」という声の合唱
    だった。
(マーシャル・マクルーハン・エリック・マクルーハン 1988=高山宏監修 中澤豊訳 2002:2-3)
  
 マクルーハンは『グーテンベルグの銀河系』でも幾度も、今までの文脈的な流れの中での“論理”という観点とは異なる階層の論理的な文章、というものを試みていた。そのことを受け、息子エリックも父親の理論を「十分に科学的」(マーシャル・エリック 1988=2002)ではあると反論はしている。さらに彼は、1969年に、反戦運動である「ベッド・イン」の最中であったジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻と米国のTV局の主導で鼎談をしている。そのような面からしても、批判もあれど、その当時にしては多大な影響力を持っていたことがわかる。高山(マーシャル・エリック 1988=2002)よれば、1970年代前後の社会では、テレビの普及が進み、コンピューターの実用化も迫っており、それらに対してマクルーハンの理論を用いようと、彼の拠点であるトロントに足を運ぶ、「マクルーハン詣で」といわれた現象が起こっていたという。ただ、その後は彼の理論が時代の先を行き過ぎたせいか、また商業的な利用のされ方ばかりが表にでるようになったからか、マクルーハニズムは学術的な評価及び研究自体も母数が減っていく。また、マクルーハニズムを技術決定論だという批判も1970年代頃からよくみられるようになった。「メディアはメッセージである」というテーゼや、コミュニケーションメディアを軸に人類史を語る姿勢などが主にそのような技術決定論を引き起こしたといえる。
 この理論が再び世間的にも注目の的になっていくのは、1990年代に入りコンピューターさらにマクルーハンの遺作でもある『メディアの法則』が発表されたのと時を同じくして、広まりをみせるインターネットの存在を待たなければならなかった。
 本節では、彼の活動拠点であった北米の2国を中心に、その評価について論じてきた。次節より、日本ではどのような受容のされ方がされていたというのを検討していく。

2節 日本での評価
 前節では、カナダやアメリカを中心とする、北米英語圏でのマクルーハニズムの評価という部分をみてきた。本節では、その北米英語圏の流行り廃りを参考にしつつ、日本語圏における“時差”を検討しながら議論を進めていく。
 日本ではじめにマクルーハニズムを著作という形で紹介したのは、1967年8月に出版された『マクルーハンの世界』(1967,講談社)という解説書を執筆した竹村健一である。竹村は自身の著作でこのような一文から入る。
  
     あなたはマクルーハンをご存知だろうか?たぶんご存じないだろう。
    しかし、あなたはすでにマクルーハンの世界に住んでいる。(竹村 1967:2)

 竹村(1967)によれば、マクルーハンは、その時代の批評家を切って捨て、新しい時代を新しい言葉で語ったという。また、竹村が前述の著作を発表した4ヶ月後、大前正臣・後藤和彦・佐藤毅・東野芳明の4名が『マクルーハンその人と理論』(1967,大光社)を執筆する。その中で、後藤(1967)によれば、当時日本社会で認識されているマクルーハンのイメージは極めて実用的な部分に留まっていて、マクルーハンの考えはもっと深い部分にあるという。しかし、一方で、大前(1967)によれば、その理論が学問体系をなしていないといわしめるように、その当時までの論理的実証などを許さない文体となっているという。また、同一の著作において佐藤(1967)も、研究者でも、評論家でもなく文明批評家として「時代の原理」に探りを入れようとしているだけだという。また「文字文化への痛烈な批判がみられている」(佐藤 1967)のようにこの当時は文字文化に批判的で、その内容が実用的にしろ、文明批評的にしろ“時代の寵児”のような認識が支配的であった。飯塚浩一(1994)によれば、日本では当初から竹村や大前のように、「文明論者」や「未来論者」のような評価が主流であり、文明論者としてのマクルーハンという側面でしか語られなかったという。
 その後、上記のような盛り上がりは、一過性のブームに終わり、70年代から80年代にかけてはマクルーハンのことを語ったり、引用したりすること自体がはばかられるようになった。しかし、吉見俊哉(1995)によれば、1980年代後半の米国で、息子であるエリック・マクルーハンによる『メディアの法則』やブルース・R・パワーズによる『グローバル・ヴィレッジ』などが発売されたことや、パーソナル・コンピューター(以下PC)やインターネットの実用化及び商用化など現実社会の科学技術がマクルーハニズムに追いついてきたともいえる。これらにより、ようやくアカデミアでも社会科学として論じられ始めた。浅見克彦(2003)よれば、ルイス・ラパムの言説を引用しながら、マクルーハンの主張の多くは、彼が生きた当時よりも90年代以降のインターネット社会が現実味を帯びてきた今、考えていく重要性が増しているという。その点で、2015年11月17日現在における「マクルーハン」というキーワードで、国立情報学研究所の展開するWeb サービスであるCiNiiにおいて論文検索をした。その結果は、173件ヒットしたうちの140件が1990年以降に書かれた及び刊行された雑誌に掲載された論文である。さらに、書籍についても大手通販WebサイトであるAmazonにおいて検索すると、67件ヒットするうちの46件が1990年以降に出版されたものである。こうした関連論文数の増加や、関連書籍出版の増加というのはアカデミアや言論界での“機運”の高まりを示すものであろう。そして、特に近年スマートフォンやタブレット端末、小型PCの普及に加え、総務省(2013)によればインターネット回線普及率が80%を超えているという。さらに、インターネット上にソーシャルネットワークという概念やそれに対応するサービスが誕生し、一般化していくこの現代社会では、それらの諸要因によってマクルーハニズムの需要、重要性が再認識されつつある。前述したAmazonでの検索結果によれば、1990年から46件がヒットしたうちの、22件が2010年以降の約6年の間に出版されたものである。それを年間出版冊数の比率で比較すると、1990年から2009年の20年間で24冊であるので年間1.2冊であったのに対し、2010年から2015年の6年では年間3.7冊と、3倍以上差があることがわかる。この数値がそのまま関心及び重要性の認識とは断定できはしないが、関心や重要性を表す参考となる数値である。

図1 検索ワード「マクルーハン」ヒット数(5年毎)2015年11月17日現在
また、関心だけではなく、その内容においても飯塚(1994)によれば、マクルーハンの問題意識の一つである「伝統的価値」と「大衆文化」との「葛藤と均衡」というテーマの考察も増えるという。そしてそれは単なる技術決定論的な評価ではなく、彼は技術的環境と「人間の精神生活に関する理論的かつ包括的な研究」(飯塚 1994)を行ったという側面も評価されるようになっていった。その点でいうと、合庭惇(2009)のように、アングロ・サクソン文学者としてのバックグラウンドなどを参照しつつ、思想家としてのマクルーハンに、同時代の神学者及び哲学者であるハイデガーとの理論的な同質性を導き出すような試みもなされている。(同列に比較し語るということは、少なくともマクルーハニズムの科学性を認めなければ、学者であるハイデガーの理論と比較しえないという論理的推察もできる。)
 マクルーハンは、意図して自身の探求及び問いかけが社会に衝撃を与えるような言い回しを好んだ。その点でいうと、いわゆる「マクルーハン・ブーム」と呼ばれた初期の流行及び文明論者としての扱われ方は、ある意味彼の想定内といえるだろう。そしてマクルーハンは自身の理論や著作の文章表現を“あえて”(印刷)文字社会という旧時代の特徴でもあった、文脈的及び線状的な論理性というものを超克しようと考えた。一般大衆が、「バックミラーを通して現在をみる」ことを心得ながらも、新たな表現技法を採用したのだ。それゆえ、彼の生きた1960年代当時よりも格段に電子社会化が進行してきている現代社会においてようやく再評価されてきているのは、当然の帰結ともいえる。
 本章では、マクルーハニズムの受容のされ方とその評価を考えてきた。マクルーハニズムというものは、北米英語圏であっても日本であっても、古い技術と新しい技術、すなわち古い文化と新しい文化が衝突する時代において、特に関心を集めやすい。そして彼の理論の世界に私たちは生きている側面もある。これら本章の議論を参考に、これから次章ではマクルーハンの考える以上に発展してきたコミュニケーションメディアと、そのマクルーハンの考えの範疇を超えて現代社会に息づいているマクルーハニズムについて、具体的な例とともに議論を進めていく。

4章 マクルーハニズムからみる現代日本における電子メディア社会
 前章では、マクルーハンの生きた時代における、アングロ・サクソン文化圏を中心とした欧米社会でのマクルーハニズムの受容のされ方と、その評価について検討してきた。また、それらに対応する形で、日本にどう流入し、いかに評価されてきたかを考えてきた。科学技術が発展するとともに、日本でも近年マクルーハニズムに対する関心度が増してきている。本章では、そのように関心の高まりをみせているマクルーハニズムが実際に、どのような形で現代社会にみられるのか、そしてどのような形にその形態を変化させていくのかという部分を考えていく。その中で2章において検討した議論を参考にしつつ、マクルーハニズムの応用可能性を探求したり、実際の事例からマクルーハニズムに照らし合わせながら理論的に整合性が取れているかを検討したりしていく。


1節 電子ネットワークメディアの誕生
 本節では、2章で展開したマクルーハニズムにおける、コミュニケーションメディアの歴史的な発展とそれに対応する感覚を考えた表2を参考にこれまでのメディアとこれからのメディアについて議論を深めていく。
時代
メディア
文化内容
主感覚
先史時代
触る・叫ぶ
身体接触
触覚/聴覚(多感覚)
紀元前〜ギリシア時代
音声、口語
音声(口述)
聴覚/触覚(多感覚)
ローマ〜ルネッサンス期
手書き文字
文字(手書き)
聴覚→視覚(多感覚)
活版印刷の改良以後〜19C
印刷文字
文字(活字)
視覚(単感覚)
20世紀
電気(電波)
電気
触覚/聴覚(多感覚)
表4(再掲)マクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率への認識
 2章ではマクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率への認識ということで上記の表4を載せた。2章2節ではこの表に詳しく触れられなかったので、ここで議論を深めていこう。まず、先史時代においては2章2節での議論の通り、原始的な言語(体系化されていない)と身体接触でコミュニケーションを取っていたとマクルーハンは考える。それゆえ、手などの触覚と聴覚を中心とした多感覚の時代であったことがわかる。次に、口述文化の時代だ。この時代は、マクルーハン自身の記述も多い、「原因と結果が間髪を入れずに相互作用しあう」(マクルーハン 1962=1986:37)のである。さらにマクルーハン(1962=1986)によれば、口述文化の社会では、対象物やイメージの断片から断片を追って走査するという。それはつまり客観的な視座を持たず、対象とともにあり、対象の中に感情移入によってのめり込むのだという。それは目が、触知するために用いられるという意味で、視覚の利用というよりも触覚的に目を用いているといえよう。その点において、聴覚及び触覚を中心とした多感覚の時代なのだ。だが、文字が開発されると様相が変わってくる。パピルスや羊皮紙の発明により、記憶を書き留めて、のちに読んで(視覚を通して)読み返すという習慣が生まれる。それは、過去と現実の相似を見つけることができ、抽象化という概念や、連続性への意識というものが発芽した。さらに、言葉を文字にして可視化するということは、それまで考えてもいなかった文法ミスやスペルミスなどの新たな概念を生んだとマクルーハン(1962)は主張する。この時代は聴覚から視覚、多感覚から単感覚への移行期であり、感覚がモザイク的に入り乱れた時代であった。そして、グーテンベルグの活版印刷の技術が普及し、印刷文字の時代を迎えると、西欧では均質性、画一性、反復性を呼び起こす視覚が優勢の時代になっていく。この感覚や技術の変化というものが、キリスト教における宗教改革の時代の門戸を開いた原因の一つであることは周知の通りである。もちろん口語による会話が消滅したわけではない。それは、感覚比率でみて視覚の割合が他の感覚と比べて、また他の感覚を押しのけて高まっていたという意味である。最後に、上記のような視覚偏重な文化に終止符を打ったのは、マクルーハン(1964=1987)によれば、文字文化社会の産物ともいえる新聞であるという。新聞は、電信の影響を受けつつも、日付のみによって統合された触覚的なモザイクイメージであり、参加的性格を利用者(読者)に与え、包括的意識を喚起し、新しい公共的イメージを高めたのだという。文字社会までの個人で扱う本に対して、新聞は集合的であるとマクルーハンは考えた。そのことにより文化的にも個人主義から再統合の動きが出始めたところに、例えば電信によってもたらされた即時的関与であったり、ラジオによってもたらされた、生産者と消費者(話し手と聞き手)との間に生まれる意思疎通であったりが、触覚と聴覚による視覚の抑えこみに貢献したのだ。ここで、マクルーハンはテレビがモザイク的なメディアであるとしながら、モザイク形態はなぜ視覚的構造ではないかということを説明する。マクルーハン(1964=1987)によれば、モザイクとは非連続的であり、非対称的で、さらには非線状的であるので、連続的かつ線状的な視覚ではなく、私たちはモザイク一つ一つを統合的に触知していくと考え、この形態を触覚で感知するものだという。これらのことから、電気時代は触覚と聴覚を中心に統合された時代だと考えられる。
 それでは、21世紀である現代社会はどのような時代であろうか。マクルーハンの時代にもすでに衛星放送は存在して、地球を覆うように中枢神経が張り巡らされているとマクルーハンが考えても無理はない。しかし、彼が生きていた時代のメディア環境と比べて現在のメディア環境は大きな変化がみられる。例えば、インターネット空間の拡大がなされた。そして携帯用電話機の普及によって、通信環境に変化が訪れ、それも高性能化し、家庭用電話機の電話線だけではなく、携帯用電話機用の通信網や無線LAN環境の整備がされた。それによって、電子端末さえ所持していれば、時間と場所に関わらず、全世界と、空間を共有しているインターネットにアクセスすることが可能となった。このように、インフラストラクチャーの面でもマクルーハニズムにおける地球村的同時多発性を有した空間になっているが、それはソフト面でもみられる。例えば、脳を拡張し、記憶すべきことを記憶端末に保存するだけではなく、近年はクラウドコンピューティングサービスと呼ばれるインターネットを介した情報保存・共有サービスなどがある。また、検索エンジンの発達により、瞬間的に検索エンジンを介して複数の辞書データを閲覧することが可能である。さらに、彼の時代と現代において決定的な違いとしてあげられるのは、主流となっている“電気”メディアはほぼすべてデジタル化されているということだ。しかし、そのようなある意味技術的な相違点があるにも関わらず、ネットワーク網の議論や、中枢神経の拡張の議論、例えば、時計型高機能携帯電話が商用化されたり、イヤリング型携帯電話の実用化がなされたりしている点である。それら、記憶の電子化、つまりインターネット空間へのデータベース化やクラウドサービスへのアウトソーシングなどや、技術的に人間の体内にデジタルデバイスを埋めることで、インターネット空間を直接体内に持ち込んでいくようなことなどは、マクルーハンの主張にあるように、中枢神経を外化し、その外化した神経から送られてくる感覚が内的に作用し始めているという部分において、大枠として彼の理論に合致してくるのだ。
マクルーハンのいう電気メディアの特徴としてあげられるのは、視覚を五感の統合の中に戻し、触覚(新聞やテレビにみられるような)と聴覚(ラジオや電話にみられるような)を中心とする全体的な感覚が取り戻されるということであった。しかし、前述してきた通り、科学技術は彼の時代より格段に発展した。それは、情報伝達においてマスメディアを中心に、発信されたものが全体的に届く流れ、というモデルケースから、PCや高機能携帯電話の普及によって、インターネットという空間に存在する情報が、個人に直接的に届くような情報伝達の構造に変化し始めているということだ。例えば、現在インターネット通信販売サービスでは個人が閲覧及び購入した履歴をもとに、“レコメンドサービス”に変化を付ける機能があり、検索エンジンでも検索したキーワードがビッグデータとして活用されている。バナー広告などが変化し、ユーザーカスタマイズへの方向性、換言すれば個人への最適化が情報伝達及び情報接触の主流になっている。その点において、これまでの手書き文化と印刷文化では主たる感覚が異なるように、電気動力にした技術及びメディアの文化においても、アナログなメディアの文化とデジタルなメディアの文化では、感覚比率が異なると考えられる。マクルーハンの考えた電気メディアというものは、前述の通り触覚と聴覚が中心となっている時代である。しかし、デジタル化された現在の電気技術において、画面に書かれた文字をみる視覚も中心の一つとして復活してきている。例えば、テレビやラジオは動画コンテンツや音声コンテンツとして、複合的なインターネット空間の“内容”の一つとなりつつある。マクルーハンは常々古いメディアが新しいメディアの内容となると主張してきたが、アナログな電気メディアと、インターネット空間のようなデジタルの性質を持つ電気メディアの間に関しても、これは達成されている。その点において、本研究では、1960年代〜19800年代当時、使われていた電波におけるネットワークを中心とするメディアを「電気メディア」とし、1990年代以降出現してきた、インターネットに代表されるような現代的でデジタルなネットワークを中心とするメディアを「電子メディア」と定義する。この電子メディアというのが今までの電気メディアとどう違うのかというのを前述の表に加える形で表す。
時代
メディア
文化内容
主感覚
先史時代
触る・叫ぶ
身体接触
触覚/聴覚(多感覚)
紀元前〜ギリシア時代
音声、口語
音声(口述)
聴覚/触覚(多感覚)
ローマ〜ルネッサンス期
手書き文字
文字(手書き)
聴覚→視覚(多感覚)
活版印刷の改良以後〜19C
印刷文字
文字(活字)
視覚(単感覚)
20世紀〜1990年頃まで
電気(アナログ)
電気(放送)
触覚/聴覚(多感覚)
インターネット時代以降
電子(デジタル)
電気(通信)
触覚/視覚/聴覚(多感覚)
表5 マクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率への認識(筆者改訂版)
 本節では、電子ネットワークメディアの誕生について、過去のメディアを整理し、それらと比較しながら検討してきた。次節から、現実の社会問題等に寄り添いながらマクルーハニズムの現在性について研究をしていく。

2節 電子ネットワーク時代におけるマクルーハニズム
 前節では、マクルーハニズムにおけるコミュニケーションメディア及びその文化でみられる感覚比率を中心に議論を深めてきた。これより本節では、マクルーハンの後期著作(没後出版、息子エリックとの共著など)に述べられたメディアの法則の4つの相などを参考にしつつ、電子メディア(電子ネットワークメディア)におけるマクルーハニズムの有用性及び現在性を総論及び各論と議論していく。
 マクルーハンは晩年、「科学的であること」への挑戦を始める。『グーテンベルグの銀河系』(1962)などでは、文字文化時代における論理性というもの否定し、新しい時代の論理性というものを追求していたが、やはり多くの批判にあっていた。それらの意見に対して、エリック・マクルーハン(1988=2002)によれば『メディアの理解』(1964)第二版出版のための改訂作業にかかる過程で、マクルーハン父子は伝統的な科学と今日的な科学(マクルーハニズム的な科学)との調和、つまり一方を壊さない形で、もう一方も満足させる試みを始めたのだという。そのようにして、マーシャル・マクルーハンの晩年期に完成させた理論が、『メディアの法則』(1988)で発表された表題にもなっている“メディアの法則”であり、テトラッド(tetrad)とも呼んだ。
  
     テトラッドは誰でも、どこでも、いつでも、人間が手を加えたどんな人工
    物に対しても問うことができる(そして答えが正しいかどうか確かめることがで
    きる)。テトラッドは「あらゆるメディアに関して、普遍的かつ立証可能な(つ
    まり検証可能な)どんな言明があり得るだろうか」と問うことから始まった。
    そして父と私は、次の四つの質問のかたちで示されたものの他には見つから
    ないことを知って驚いた。

     1.それは何を強化し強調するのか?
     2.それは何を廃れさせ、何に取って代わるのか?
     3.それはかつて廃れさせてしまった何を回復するのか?
     4.それは極限まで押し進められたとき何を生みだし、何に転じるのか?
(マーシャル・エリック 1988=2002:16)
 
 彼ら父子は、このような法則にそって、広義のメディアが盛衰を繰り返していると述べた。だが、注釈として述べるなら、エリック(1988=2002)によれば、父マーシャルは晩年亡くなる直前まで、これに加わる5個目の質問を探求し、4つの質問の中にも何か反証されるようなものがあるか探し求めていたのだという。このように、あくまでもマーシャルは、マクルーハニズムにおける基礎的な信念及び姿勢である「探求」ということを最重要視していたのだろう。このメディアの法則としてまとめられたテトラッドは、新たな理論を打ち出したというよりも、今までの著作等で述べてきた断片的なアフォリズム等のエッセンスを集めたものである。例えば、1と2については『メディア論』において、メディアによって人間が拡張していく社会という趣旨で書かれているが、その拡張はメディアによって人間が強化されているということでもある。また、その強調や強化の裏で、かつてのメディアというものは閉鎖(=衰退)し取って代わられるのである。また3についても、その廃れてしまったメディアが次の時代のメディアの内容となって回復するということは、本研究の2章1節などでもふれているように、マーシャルがかねてより主張していたことでもある。4は例えば、『メディア論』の章題の一つとして「過熱したメディア(過熱されたメディア)」(旧訳と新訳において、おそらく過去形か過去分詞形かで、訳出が割れている。)である状況が極端に進むと、どのような状況も反転して補完的になっていく傾向があるというように述べられている。本節では、この科学的に立証可能と彼ら親子が謳ったテトラッドを用いて現代電子ネットワーク社会の諸相を検討していきたい。
 デジタル空間におけるネットワークが張り巡らされた「電子メディア」時代、まずその中心として発達してきたインターネットについて、そのメディアの性質を検討していく。この空間は、マクルーハンの主張していた中枢神経の外化が非常に進行しているといえ、その意味では“超包括的”なメディアであるといえる。それはどういうことか、インターネットは身体器官から獲得され中枢神経に伝わり判別されるこの過程において、身体器官を取り除きつつあるのだ。換言すると、私たち人間は中枢神経を電子化し感覚の取得や社会の構成を次々に電子世界にアウトソーシングしていくということだ。それは、電波メディアという意味において、電波網を張り巡らし、放送をしていた世界を反転させることでもあった。そしてユーザーの中枢神経を得たインターネットは、様々なメディアを包括及び吸収して成長した。その点でインターネットが特に強調及び強化した部分といえ、その超包括性、超瞬間性において、会話機能である。それは“チャット”と呼ばれ、電話によって実現されたインタラクティブなメディアというものを取り込み、文字化したものともいえる。それは複数による1対1からN対Nまでのコミュニケーションを電子世界で実現した。そのことにより、物理的な距離を縮めるだけではなく、視覚化することで、相互の関係性に対する認知を促進する作用が働き、電子空間という非物理的な空間の存在というものを利用者に浸透させた。それは、文字使用が始まってから様々なことが可視化され、文法間違いや論理性や客観性が生まれたのと等しい。それに伴い、電子メディアは旧来のメディアに取って代わるのだ。例えば、書き言葉が吸収された。論文や書籍などはPDF化等をされインターネットのデータベースに保管され、誰もがアクセスをすることが可能となっている。さらに、電気時代の先駆けでもあった新聞は、新聞を新聞足らしめたそのモザイク的な性質を解体される。記事単位でページが作られ、トピック別に区分けられ、ある特定の記事を読み終わると関連テーマの記事などが勧められるようなこともある。また、書き言葉だけではなく、聴覚的なメディアも取り込まれていく。ラジオやテレビは、動画共有サイト等に全編アップロードされたり、番組や番組の中のコーナやある一定のテーマとうが切り取られ、編集されたりすることで、引き出し可能なパッケージにされインターネット上に保管されている。加えて、電信や電話もインターネットの通信を通して取って代わられ、回復している。電信は、手紙の作法と融合し電子メールとなった。さらに電話は、インターネット通信を介した通話やそれに映像つきでやり取りができるようになっている。このようにインターネット空間において、超包括的で超瞬間的な性質が強調及び強化されるにつれ前時代のメディアを衰退させ、さらに取り込み再構築し回復させる。このようにインターネットが社会に網を張り巡らしていく過程で、個人は電波を基本とする電気メディアの時代よりもますます再部族化が促進されていくのだ。
 そのように個人が再部族化されていく時代において、私たちは拡張物を再び体内に取り込もうとしている。つまり、これまでの時代は身体能力や感覚器官を外化し拡張していた。だが、電気時代の幕開けとともに中枢神経を外化していた。さらに電子時代に移ろうとする中で、中枢神経を電子化し、インターネットという空間を創りだした。ただ、21世紀に入り、そのインターネットにアクセスをするような端末が小型化の一途を辿り、高機能携帯端末から時計型端末と移り、商用化はされていないが、イヤリング型端末も開発が進められている。このように漸進的に拡張物を内化していき、その極限として、脳やその付近に直接埋め込むような形態を取るようになることが予想もされる。それは、外化したものを再び内化しようという試みでもあり、それはこれまで作用反作用の関係であったメディアと人間の関係が、中枢神経の外化を皮切りに境界を曖昧にし、共有した領域を持つようになっていっているといえる。人間がインターネット空間にアクセスする端末を体内に取り込むということは、拡張物であったはずのメディアを体内に取り込むということでもあり、マクルーハンのいう内爆発の主張とも一致する。また、これまで活版印刷の時代から電気時代にかけて、マスメディアと呼ばれるメディアが力を非常に持っていた。しかし、前節でも述べた通りインターネット空間の出現とそれにアクセスする端末の普及により、マスメディアの時代は徐々に周縁を迎え、メディアが一方向の時代から双方向の時代へと移りつつある。その双方向の時代において、個人は発信した情報やインターネット上で検索した結果に基づいて、その個人がどのような属性にあるかが分析され、その個人に効果的だと考えられる広告などが打たれるようになった。前述した通り、放送されたものを取得するのではなく、情報を検索したり、ソーシャルメディアなどの中で、取得できる情報をより分けたりすることにより、主体的な情報体験、そしてその結果により反作用として選別し最適化された情報が流される。
時代
メディア
文化内容
主感覚
先史時代
触る・叫ぶ
身体接触
触覚/聴覚(双方向)
紀元前〜ギリシア時代
音声、口語
音声(口述)
聴覚/触覚(双方向)
ローマ〜ルネッサンス期
手書き文字
文字(手書き)
聴覚→視覚(双方向)
活版印刷の改良以後〜19C
印刷文字
文字(活字)
視覚(一方向)
20世紀〜1990年頃まで
電気(アナログ)
電気(放送)
触覚/聴覚(一方向)
インターネット時代以降
電子(デジタル)
電気(通信)
触覚/視覚/聴覚(双方向)
表6 マクルーハンのコミュニケーションメディアと感覚比率及び指向性への認識
 そのようにして、個人がいつでもアクセス可能になったこの電子メディア社会において、「20世紀が終わるころまでには、マクルーハンのグローバル・ヴィレッジは、年を追うごとに現実へと発展していく」(ポール・レヴィンソン 1999=2000)ことになる。
 このような電子メディア環境の発展に尽力しているものとしてあげられるのは、ソーシャルメディアと呼ばれるインターネットサービスである(本研究ではソーシャルメディアの中でも特にソーシャル・ネットワーキング・サービスについて言及する)。個人は、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(以下SNS)においては、アカウントと呼ばれる個人を特定する識別番号のようなものを取得し、その世界で生を受ける。そこでは、現実社会の交友関係の拡張的な関係性が築かれるだけではなく、現実社会のみの生活では出会う確率が非常に低いと思われるような人々が、電子空間の中で関係性を築いている。これより、そのようなインターネット空間でも現代的な、SNSにおけるコミュニケーションにみられるものを、マクルーハニズムを用いて分析していく。
 そもそも、電気によってもたらされるものというのは、本研究でもこれまでに言及してきたがここで再度確認したい。電気文化は、中枢神経を外化したもので、瞬間性及び即時性が発達し、人々に関与や参与を求め共同体意識というものを喚起する。そして、複合的であり、多元的で、これまで(印刷文字文化まで)の連続性というものを瞬間的であるがために打ち消すという特徴がみられる。それにより、混迷の時代において、同時多発的で地球を薄く覆う地球村が形成されるのだ。それらに加え、電気時代から電子時代に移る過程で、視覚の復活及び包括が行われた。そのような時代におけるソーシャルメディア(特にSNS)の諸相について検証を進めていく。マクルーハン(1964=1987)によれば、メディアの形態の核心に迫る方法は、その形態が常態とは異なる状況に置かれている時に発揮する効果を調べることが重要だという。それゆえこれより、常態ではない事態におかれている4つの例をみていく。まず1つ目としてあげられるのは、SNSが日本社会で一定の社会的地位を獲得するきっかけとなる例である。それは、2011年に起きた東日本大震災(以下大震災)におけるTwitterという短文投稿型SNSとの関わりである。(Twitter社は2009年にはSNSであることを否定しているが、2015年現在は否定した部分は改定され、「情報ネットワーク」としている。)この大震災の際、Twitterは人と人とを繋ぐ役割をした。中尾益巳(2015)によれば、大震災直後のTwitter上では、固定及び携帯電話が繋がらずメールも届きにくい状況で、大量の情報が伝達及び拡散され、多くの被災者の救護や救護物質の分配に役立ったという。それだけではなく、行政やボランティア団体が把握しきれていないような孤立してしまった被災者が、個人で情報を発信するなどして、救護を呼びかけるなどの事例も見受けられた。そのように孤立した個々を心理的にも、物的にも(救護及び救護物資を支援するという形において)繋がっている、繋げる役割をしたのだ。立野貴之、加藤尚吾、加藤由樹ら(2012)によればそれまでは、連絡手段はEメールや電話が主でTwitterは趣味での繋がりに過ぎない、という考え方が、大震災をきっかけにTwitterを含むSNSが連絡の手段であるという認識を、SNSユーザーに浸透させた。また、「1対N」のコミュニケーションでもあるので、Twitterという空間に投稿することで繋がりを感じ、孤独感や不安感を共有し軽減させたい感覚があるのだと推測できるという。これは電子文化における、関与と参与を求める相互依存の空間での共同体意識を感じる形態である、と考えることができる。さらにそれだけではなく、流言やデマの拡散という事象も散見された。まず流言とデマの違いであるが、「社会に流通する、虚偽の情報ないし誇張された情報」であり、流言は「人々のあいだで自然発生的に生まれた情報が、関心をもつ集団のなかで広がっていく現象」なのに対し、デマは「意図的に仕組まれた情報」(廣井 2001)である。その点で、後藤嘉宏(2012)はTwitterで流言が飛び交ったのは、何もTwitterが珍しいのではない。被災地の情報が他の地域に入りづらく、被災地にも外の情報が入りにくいという状況によって、流言の量(R)=事柄の重要性(i)×状況の曖昧さ(a)というオールポートとポストマンの流言の公式があてはまっただけだという。しかし、その点でいうと、現実の公式が電子空間であてはまるということは、その空間がユーザー各人の中枢神経を外化し実生活に近い空間になっていることを表すことにもなる。さらに、現実社会に加え、「facenavi 日本人Twitterユーザー調査」(2012)によれば、各アカウントは平均317フォローワーを有し、「第 14回全国消費者価値観調査(CoVaR)結果」によれば、アクティアブなアカウントが約60%を有している。ゆえに、ある特定の投稿が10アカウントに再投稿(リツイート)されれば、1900アカウント程度、100アカウントに再投稿されれば理論上は約2万人にみられることとなる。このように、現実の会話や「1対1」のメディアより「N(平均317)対N(平均317)」の繋がりを持つTwitterの方が即時性や伝播力において優れているという点も加えることができる。
 次に2つ目の例をみていく。電子メディアにおいて重要なのは文脈ではなく単語だということだ。マクルーハニズムにおいて、電気文化では文字文化社会で確立した文脈という考え方が否定され、即時性及び瞬間性は、非連続的で同時多発的な側面をみせるということが述べられてきた。それは電子文化に変化する過程で視覚的要素が強まり何事も可視化されるようになるとその度合を強くする。例えば、電子メディア空間においては文章の内容よりタイトルが重要視されている。それはネットニュース記事やブログの記事が書かれる際に、「釣りタイトル」という名の検索者に選ばれることだけではなく、「バズる(インターネット上で広く話題になること)」ことを企図するものが多くみられるようになった。「衝撃」や「永久保存版」の接頭語であったり、「◯◯のためのXつの理由」や「◯◯が選ぶ✕✕、100選」のようなハウツー系であったり、「AがBに苦言」のような刺激的な内容を示唆するような(得てして誇張表現のことが多い)などがある。また、石川海老蔵(2015)によれば、「C(アイドル)が始球式でノーバン投球」など「ノーバン(野球において投手が打者及び捕手までノー・バウンドで投球をした際の省略語)」と「ノーパン(女性用下着を履いていない状態であるノー・パンティの省略語)」と見間違ってアクセスすることを狙ったような記事のタイトルが増えているという。下記の写真1及び2からもわかるように、「Xつの理由」という記事が日本国における現職の内閣総理大臣に匹敵(わずかに多い)するほどの件数の記事があることがわかる。この結果からも電子メディア空間では、このような「釣りタイトル」ともとれるようなタイトル名が主流になりつつある。また、それだけではなく、コラボレーションという言葉も広く膾炙する

写真1及び2(左から)「つの理由」検索結果、「安倍晋三検索結果」(ともに2015年12月2日検索)
ようになった。例えば「◯◯×△△」(×とは「かける」と読み、◯◯と△△を掛け合わせるという意味を有する)という考え方が増え、2つの対象物を掛け合わせ、良い部分をピックアップし、相乗効果を狙い新規層を開拓するような考え方が生じた。それは学術界でも同等で、前述の論文検索サービスCiNiiにおいても、年代がわかるもので、1964年からあるが、「コラボレーション」での検索では4564件中4554件、「コラボ(コラボレーションの省略語)」での検索では、5556件中5524件が1990年以降の検索結果であった。それはその対象物の文脈を切り取り、単体同士として統合するという試みでもある。また、キュレーションという言葉も膾炙した。その言葉は、NAVER社が運営する「まとめサイト」を筆頭に広まりをみせている。これは、ある対象物について、様々なインターネット記事や辞書を参照に、動画や画像を組み合わせて“まとめあげる”行為を指し、誰しもが編集者となり、対象をピックアップしてキュレーションしていくのだ。これは電気によって連続性を断たれ、情報がモザイク化していく時代において、電子時代に移行する過程で、視覚的に分断された個と個を繋ぎ合わせる動きだといえる。それも、特定の情報の編集者、マスメディアによるものではなく、共同参与の時代において、電子空間に存在する「名もなき市民」による編集によって実現していくのだ。つまり、このように情報の受発信の全体的な量が多くなった電子社会にあって、文章の中身、その論理性や文章の流れより、キャッチフレーズやその見出し、キーワードが重視されるようになった。それは、情報の伝送路の多元化による360℃から、時間に拘わらず同時多発的に情報が入手できる今日の状況下では、一つ一つの情報の中身を吟味することが困難になったという現状がある。また、電子メディア文化になり、一方向メディアから、双方向なメディアにコミュニケーションメディアの主体が移行したので、情報を選別するためにメディアに介在する、特定の判断基準を持つ主体が取り払われた。それゆえ、情報を受動的に取るのみという訳にはいかず(もちろんそのような選択はできるが)、主体的に獲得することが求められ、送信者側にあった判断の主権が受信者側に譲渡された形になったからという部分もある。まさしくこのような部分において、構成員の関与を求められ、情報の選択による関与、キュレーションによる参与によって、薄い共同体が完成していくのだ。ただ、「はたして文脈はなくなったのか」という問いがここで生まれる。マッキンタイア(1981=1993)によれば、行為の総体として文脈(物語)がないと、その行為は理解不能となるのだという。その点でいうと、東浩紀(2001)によれば、電子メディア世界には中心がなく、すべてを規定するような大きな物語は存在しないという。では、現代社会は理解しえぬ行為の連続的な世界なのか。東(2001)によれば、オタクはデータベース化された情報にアクセスしそのオタク文化全体から消費するのだという。これは、大塚英志のいう「物語消費」と対応する形で、「データベース消費」と東は定義付けた。これは、オタク文化とインターネット文化とが、親和性が高かった00年代に提示された概念であり、10年代に入り電子ネットワークが一般化した今、いわゆる「オタク」だけに留まらず、広く大衆にもあてはまる概念となりつつある。オタク文化においては、二次創作の普及が、オリジナルとコピーとの区別をつかなくし、カルチャーとサブカルチャーの垣根も取り払っていった。一方、現代社会では、電子メディアにおけるコピーの容易さ強まった。つまり印刷メディアの特徴であった反復性が回復して、視覚の比率が再び上昇したのだ。このことにより、電子ネットワーク世界においては、真贋の区別が取り払われつつあり、その世界はデータベース消費の時代となっているのだ。
 次に3つ目の例をみていく。次は、ソーシャルメディアでしばしば起きる「炎上」という事例だ。炎上とは「サイト管理者の想定を大幅に超え、非難・批判・誹謗・中傷などのコメントやトラックバックが殺到することである(サイト管理者や利用者が企図したものは「釣り」と呼ばれる)」(田代光輝 2008:68-72)と定義される。その炎上が起きる原因としては、鈴木謙介(2005)によれば、ポストモダンになり、物語の失った若者たちが、漠然とした将来への不安などからイデオロギーなき「祝祭」と呼ばれる集団行動を起こすのだという。また、平井智尚(2012)は炎上の原因について2点の指摘をする。1点目は、掲示板サービス2ちゃんねる等の利用者の中に根付いていた、「リア充」など社会的にみてステータスが高い層や、いわゆるスクールカーストが高い層に対しての嫉妬や嫌悪感を表す文化が引き金になっているのだという。2点目は、炎上を繰り返す事例に大学生を中心とした若年層が多いことから、プロフと呼ばれたプロフィールサイトのように身内によるコミュニケーション行動様式を、そのままTwitterなどのソーシャルメディアにおいて利用しているので、世界に向けて発信しているという自覚のない投稿が炎上を呼び起こすのだという。そしてこの異なる2つの文化及び行動様式が、ウェブサービス広がりとともに、拡張し繋がりを持つ可能性が高まっている。そして、その双方の領域が重複する部分で、炎上する可能性も高まりをみせているのだ。このような原因によって起こる炎上であるが、マクルーハニズムという観点からみると、同時多発的な社会であるという部分が大きい。それはつまり、炎上が起こるにあたって、必要な環境が電子社会にはあるということでもある。まず、人はSNS上において、フォローフォローワーという繋がりに加え、一つ一つの投稿単位でインターネット空間にアクセスしている。その点において、投稿者自身の意識として、全体に対する意識を有するか否かに関わらず、共同参与によって全体を構成しているのだ。そこで、スクールカーストにおける下位層に対して、潜在的な意識を刺激するような投稿内容であると、切り離された個々の単語に反応する主体が増加する。そこに、その投稿者やその周辺情報が集積されていくことで、炎上の下地となる。またそれも、大きな物語が消失した現代社会において、現実世界で“祝祭”をして不安感を拭えない層によるイデオロギーのない共同体意識が、「正義」という一見すると無条件とも取れるものによって正当化されることで、電子空間で発露されるのだ。それは特定の投稿者だけでは発生しない。同時多発的に、それの情報がシェアされ、コア層から先取り層に情報が拡散していくことで、大衆を巻き込んだ炎上及び拡散という形になる。このように、炎上という事象には、情報の集積と人の集積、そして同時多発性を有する共同参与の空間がなければなされないのだ。
 最後に4つ目としては、LINE株式会社が提供する無料通話、チャットサービスで、2015年現在、日本社会で最も使用されている電子メディアの一つLINEがあげられる。LINEはその他ソーシャルメディア、特にSNSとは異なり、若年層に限らず幅広い層(高機能携帯電話を所持している中の)に普及している。LINEにみられる特徴的な機能としては、加藤千枝(2013)や西川勇佑・中村雅子(2015)らによれば、機能面では、会話操作などの利便性及び即時性、ローコスト、会話の記録性・一覧性、3点があげられる。操作面では、会話の即時性、話題の並列性(輻輳)、テキスト以外の表現の多様性の3点があげられるという。LINEは、直接的な対面式な会話ではなくても、それに近い間接的な対話サービスだ。今回構造、機能、内容と3点に整理し考えていく。そもそも構造的に、LINEは非常に可視化されたメディアであるということがいえる。例えば、よく交流をする友人集団なるものがあるとして、LINE上でその集団がLINEのグループを作成することにより、オンラインでの交流も可能にし、現実に集まることで得られていた集団意識というものが、実際に集まらなくても満たされるように繋がりを可視化することが可能となった。次に、機能面としては、まず瞬間的で非連続的なやり取りができるという面があげられる。それは、会話操作に利便的で即時的なので、円滑なやり取りが可能である。瞬間的に会話のやり取りができるユーザーインターフェースであり、非連続的な単語に近い形で「総発言数が多く一発言あたりの文字数が少ない」(大澤祥輝 2013)やり取りが行えるのだ。また、無料アプリなので、基本的に通信料定額サービスに加入している高機能携帯電話利用者は、心理的なハードルが低くなり、容易に関与や参与が可能となる。さらに、会話を記録して一覧できるという部分は、これも特定の個人間及びグループ間での写真や動画なども含むやり取りがほぼすべて可視化されることにより、“思い出”の可視性が高まる。また、それだけではなく、やり取りが見返せることにより、次のやり取りもスムーズに進行できるなどの利点もある。この点については、次の内容面で詳しく触れる。内容面としては、まず機能面と同様会話の即時性という点があげられる。上記の通り語の省略や分割化、そして何よりも豊富なスタンプ機能により、対面式の会話と遜色ないタイミングでやり取りが可能となった。そもそもチャットサービスが話し言葉の延長であるので、その延長にあるLINEは、機能面も相まってその会話の内容が話し言葉であることを受け入れ促進した。その即時的なコミュニケーションができる部分と記録性及び一覧性により、会話の並立(輻輳)が可能となった。それは話し言葉を視覚的に用いるLINEであるからこそ、スムーズなやり取りができるのである。ここからも電気時代のメディアを内容として包摂していることがわかる。そして最後にスタンプの多様性であるが、多様なスタンプにより、より非言語的な感情表現を可能にした。視覚的な要素を多大に含むメディアは、視覚と親和性の高い文字に依存してしまうが、LINEは機能面を下地に、スタンプを提供することで、感情表現を非文字的かつ身体表現に近い形で実現したのだ。黒木祥大(2013)によれば、スタンプの機能を①顔文字の機能と一致するもの、②感情表現が目的であるが、動作等身体表現を伴い含意するもの、③その他のもの、と3種に分けて整理した場合に、②が半数以上を占めるという。これにより、メラビアンの法則で言われるように非言語コミュニケーションが伝達において重要な位置を占めるので、身体表現の代替物として感情の伝達に大いに役立っている。さらに、これらの行為というのは、LINEの操作性により、同時に複数の個人や複数人によるグループを横断的にやり取りすることができ、これも同時性、即時性を有す電子メディアであるから可能になっている。そして、その同時性や即時性にスタンプという身体表現の機能が加わることで、このLINEにおける、実生活に限りなく近い身体的コミュニケーションが達成される。このように新たな多感覚的なコミュニケーションメディアは、視覚メディアを回復させただけではなく、文字からの分離そして、身体的コミュニケーションへの移行という面で、多感覚かつ多方向な電子メディア空間を象徴するものでもある。
 これら4つの事例からわかるように、SNSは各論としても電子メディアにみられる特徴を有しているのだ。マクルーハン(1968=1972)によれば、話し言葉と対話が世界の全地域間の相互作用の機能を果たすのだという。確かに、電子時代のメディアコミュニケーションはみてきたように、非連続的で非文字文化的な断片である話し言葉によるものである。ここには大きな物語はなく、あるのは点在する個によってなされる相互依存や相互作用の構成する、多発的多方向的な世界なのだ。
 本節ではメディアの法則、テトラッドを用いた議論と、実際に現代社会で起きている(常態ではない可能性もあるが)事例を検討することで、マクルーハニズムの有用性と現在性を再検証してきた。それにより、現代においてもマクルーハンの主張するように、私たちは薄い知的皮膜で覆われた世界でコミュニケーション活動を行い、社会を形成していることがわかった。次章より、本研究の総括を含め、現代情報化社会、電子メディアコミュニケーション時代の諸相をマクルーハニズムという視点から再考し、マクルーハンの問いを解き明かしていく。
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5章 マクルーハンからの問いかけ
 前章では、マクルーハニズムの有用性及び現在性を検討してきた。本章ではこれまで本研究でみてきたマクルーハニズムとは何か、そしてマクルーハンは何を私たちに問うてきていたのかということを、議論の基礎とし、現代情報化社会の諸相を考察していく。その上で、今後のコミュニケーションメディアを研究の課題と問題点を整理していきたい。


1節  地球村的電子メディア社会の形成
 本節では、これまでの議論を受けて現代情報化社会とは、どのような諸相にあるのかということを検討していく。
 マクルーハンは1章でも述べてきたように、常に探求をしていた。彼は、社会のコードをコミュニケーションという個人間及び社会において最も重要な意思伝達の形態という切り口で探っていたのだ。メディアは人間の身体能力や感覚器官が拡張したもので、それにより社会が拡張し、その社会での行為によって反作用し、人間の感覚を再び変えていく。この繰り返しによって社会及び文化が変化していくと考えた。彼は「肝心なのは価値判断ではなく現状の把握である」(マクルーハン 1962=1986)という。では、その現代社会とは、電気時代の幕開けでラジオが「部族の太鼓」の役割を担い、大衆に内爆発を浸透させたように、電子時代ではソーシャルメディアという「部族の太鼓」が、大衆に同時多発的な世界を浸透させていく役割を担っている。その同時多発性の響きによって、世界全体が繋がっていおり、共有されその構成員の深層心理に関与していくのだ。このような形で新しい相互依存社会が構成されていき、その社会では、すべての行為に同時的に「場」が再創造されていく。そしてその社会というのは、構成員である私たち人間を一つの地球村にまとめあげるのだ。地球村の成立条件は、2章3節で宮澤の議論を参照した通り、「混迷の世界」で成り立つのだ。現代社会は物語を失い、文脈のないキュレーションされた世界である。そして、いずれ身体感覚により近い世界に変容する過渡期でもあると考えられる。また、その一方、電気メディアから電子メディアに移行する過程で視覚が復活を果たした。電気は非連続的で、瞬間的な部分を特徴に、他感覚的な相互作用の社会をもたらす。しかし、視覚は、正確に反復可能なイメージを提供し、マスを作り出した。その点において、前章でも述べてきたが、電子ネットワークは超包括的な社会を形成する。電気時代から続く、再部族化された相互関与と相互依存の世界と、回復をした世界、すなわち視覚的な個人が強調され、反復性があり全体的なマスが形成されるような世界とが含まれている。このような二面性を有するのが、電子メディアの空間である。この空間においては、切り離された個が強調され、キュレーションされ再び再統合する。私たちは、その全体性をデータベースとして消費していくのだ。そのような社会は、マクルーハンの考えとは異なるが、むしろ強化された地球村という形態を形成する。それも、完成形ではなく絶えず変化し続ける集合体なのだ。
 これまで、本研究においては、マクルーハニズムを彼の著作やその他関連文献をもとに再構築し、現代電子メディア社会における様々な事例とマクルーハニズムを類比することで、論証を行ってきた。それは、マクルーハニズムの有用性を考え、現代情報化社会における、存在意義を実証することである。この試みは、現代情報化社会について分析をしていくことで、今後のコミュニケーションメディアの分野において、さらに電子メディア社会の諸相を理解することでもある。またここでは、この地球の多くの構成員が、地球村という相互依存相互関与の社会を構成する参画者となりうる時代における、メディアと社会との関係性を捉え直すことができた。
 最後にマクルーハンが私たちに問うたことを考えたい。マクルーハンは、当初自身の理論を体系化するのをためらった。そしてテトラッドとしてまとめた際も、晩年まで探求し続けていたという息子エリックの言葉は、4章において紹介した通りだ。彼は、自身を説明しない人間だという。それゆえ私たちは常に彼の後を追うように考えなければならない。その前提として、彼がメディアについて考える上で大切にしていたのは、「人間はいつもバックミラー越しに現在をみる」ということと、テトラッドの回復にあるように「古いメディアは新しいメディアに包摂されてその内容となる」ということの2点だ。前者は、少し前の現在しかみられないということだが、真意としては過去の文化様式の基準、フレームでしか私たちは、現在をみられないということではないだろうか。彼は自身の複数の著作において、未然に環境の変化を感じ取れるのは芸術家しかいないという。芸術家は機能と過程そのものの本質に肉薄するのだとも主張する。彼は答えを述べてくれない。ただ投げかけるのみなのだ。それを考えるヒントとなるのは、後者の古い方法としてのメディアが、新しいメディアの内容へ移行する問題であろう。メディアは技術面では基本的に後戻りはしない。断絶か包摂かを繰り返し移行していく。その中で、口語は文字へ移行し電子に至った。マクルーハンの公式にあてはめるのなら、電子は次の新たなメディアの内容となるのであろう。その点でいうのならば、電気を内容とし、技術は小型化及び個人に最適化する。そう考えると、人間というメディアにおいて、脳波という思念及び神経活動によって行為をし、コミュニケーションを取り合う社会になるという可能性もある。そうなるかどうかは、マクルーハンに言わせれば、筆者は芸術家ではないので、残念ながら真相はつかめないのかもしれない。いずれにせよ、マクルーハニズムにおいて、その答えがでることはないのだ。すべては探求の過程であり、現状の把握を繰り返すのみなのだ。

2節 おわりに
 本研究では、マクルーハニズムを再検討し、それをもとに現代コミュニケーションの現状をマクルーハニズムから読み解いてきた。本研究の課題としては、主たるもので3点あげられる。1点目としては、本研究の2章にあたる、マクルーハニズムの再構築において、やはり彼の理論及び文章スタイル上、防ぎようがない部分ではあるが、日本語として理解しにくい表現を多用せざるをえなかった。この点について明らかにしていくには、アングロ・サクソン文化・英日翻訳能力・マクルーハニズムの3点に明るくなければ難しい試みである。ただ、その点において、この研究もマクルーハニズムの理解という部分でその試みに加われたら幸いである。次に、3章にあたるマクルーハニズムの評価について、より詳細に時代ごとの賛否を、数議論取り上げて検討することで、マクルーハニズムの評価の流れがわかりやすかったのではないか。また、当時及び現代社会に残る誤解点も解消しやすかったのではないだろうか。そしてその評価点と誤解点とを比較して分析することができれば、今後のマクルーハニズムの理解に役立てられたのではないか。最後の3点目は、本研究4章にあたる現代SNSを用いての検証である。これについては、既存の意識調査などを参考にしつつ、マクルーハニズムに即した形での利用意識調査などの分析ができると、議論としてわかりやすかったのではないか。
 このように課題は多くあったが、コミュニケーションメディア研究にあたって、マクルーハニズムは避けられない議論である。ここで、筆者としては本研究を下支えに次の階層の議論ができることを願う。

 謝辞
 本研究を進めるにあたり、社会学部メディア社会学科教授であり、当卒業論文の指導教員である、〇〇先生に多大なるご指導を頂きまして、大変感謝を致します。また、本研究に多大なるご指摘を下さいました諸同輩の皆様に御礼申し上げます。さらに加えるなら、本研究は学術界の諸先輩方の偉大なる研究がなければ、成立しないものでありました。末筆ながら誠に感謝の意を表すとともに謝辞にかえさせていただきます。


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参考文献・資料一覧


After Virtue,1981, A Study in Moral Theory, (Notre Dame),University of Notre Dame Press, (=
    篠崎榮訳,1993,『美徳なき時代』みすず書房)
合庭惇,2009,『ハイデガーとマクルーハン—技術とメディアへの問い』せりか書房
青山賢治,2013,「マクルーハンによる『ホット/クール』概念の批判−現代メディア論におけ
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