もっと自己中でいい。

そういう意味で言ってるんじゃないよ。

あなたには分からないのね。結局。

あなたはそういう人なのよ。

こういってくる人はいないでしょうか。これってすごく乱暴な言葉だと思うのです。

「そういう意味で言ってるんじゃない」というのは、言われた側は「じゃあ、どういう意味?」と思いませんか。

しかもその言葉の背後には私が言っている意図はあなた(のような馬鹿な人間)には分からないのね。私の言葉は高尚だから、と言いたい意図が見え隠れします。

自分の伝え方が拙くて、不十分であることを自覚していたら、あるいは自分の持てる言葉をすべて使って話しても伝わっていないと感じるなら、

「うまく言葉にできなくてごめんね、こういうことが言いたかったの。」となるんだと思います。

「そういう意味で言ってるんじゃない」は全く逆で、「わかりなさいよ。あなたには分からないだろうけど。」

という背後にある上下意識が透けて見えてくる、すごくいやらしい言葉だと思います。

「ごめんね、」という一言も言えないくらいに相手に対して謝りたくなく頑固になっているのかもしれません。

ただ、それは、人におだててもらって自分の怒りを解きほぐそうとしていること自体が既に、自分のことを棚に上げていると思います。

自分は悪くない、という思いが強すぎるために、少し優しい「ごめん」という枕詞を入れることができずに、

分からない相手をさらにこき下ろしてしまう。

「私はコントロールできないくらいおこっているのだから、ごめんと思って言っていることぐらいわかってよ。

それがあなたは優しくないということなのよ。」

という論理になっていないでしょうか。

確かに、相手も悪かったのでしょう。だけど、私の側に一点の曇りもないほど、無罪でしょうか?

裁判ではないのです。どちらか「だけ」が悪いのではないのです。

どちら「も」いつも何か悪いのです。

まずは、自分に目を向けるというのがいい気がするのです。

自分が悪者にならないように防御することも大事かもしれません。

自己弁護は好きなだけやればいいと思います。ただ、それと相手のせいにすることは違うと思います。

自分の正当性も主張しつつ、もっと大事なのは、相手「だけ」のせいにならないようにすることじゃないでしょうか。

それが自分をまもり、相手を守ることだと思います。

チャンスを逃してないか?

今回の場合で言えば、相手に伝わる言葉で言えなかったところに、「少しは」自分に非がある部分もあるんではないでしょうか。

自分の言い方「だけ」が悪いんだ、と落ち込む必要ないと思うんです。

全然理解しないあいつのせいにしてもいいと思うんです。

相手も理解してくれようとしなくて悪いと思いつつ、相手の文脈で伝わる工夫をしなかった部分には改善の余地があるんじゃないでしょうか。

伝わらないのはチャンスです。自分の言葉を豊かにする機会だと思います。

相手が悪い、だけでせっかくの自分の伸びしろを無碍にしてしまっていいのでしょうか?

利己的になっていいんだ

人って、もっと独善的に、利己的にふるまっていいと思うんです。

利己的にふるまうというのは自分の成長や自分の獲得範囲を最大化するということだと思います。

今回で言えば、自分に改善部分があることを認めることによって、あらたな言葉を獲得しようとする行為だと思うんです。

そういう利己的な活動を続けることは結果、他者に対して利益をもたらすと思うんですね。

相手を責めているだけだと、これはlose-loseの関係だと思います。

相手を貶めて、相手から非難される。それに時間とエネルギー使うなら、もっと自分に時間もエネルギーも注いであげればいいと思います。

「相手より自分を気にする」これが鉄則だと思います

よく人の振り見て我が振りなおせ、と言われましたね。それです。

それが自分を大事にする、ということだと思いますし、自分を大事にできれば人を大事にできます。

人を大事にしていない、ということは、やっぱり自分を大事にできていないのだと思います。

大事にするという行為でさえできずに、人から大事にされることに頼っているとしたら、

それを「依存」というのだと思います。もはや「寄生」だと思います。

利己的になれず、相手の反応にばかりとらわれてしまうのは、これまでそうやって生きてきたからかもしれません。

でも、その自分の想像力の中の相手に対して、我慢したり、配慮してきているんだと思います。

自分の想像力を過大評価してないか?

それほど繊細なのかもしれません。でもその「想像力」どれほどあたっているのでしょうか?

そんなに万人の心をわかるほど、相手のことをわかっているのでしょうか?

自分の力を過大評価しすぎていませんか?やっぱり、そこには、相手のことは分かっている、お手の物、という上下の感覚が潜んでいるんじゃないでしょうか。

だから、自分の想像したとおりの反応でなければイラっとするし、反発するんじゃないかと思います。

世界はもっともっと広いです。人一人の想像力なんて超えているものです。

それを知ったつもりで決めつけてやっているなんて傲慢ではないでしょうか。

しかも、その想像力は反証して確認されてないものですよね。

自分の想像力に全能感をもてるくらい賢いはずなのだから、それならいっそもっと科学的に、論理的にアプローチすべきじゃないでしょうか。それがあなたの得意な方向なはずです。科学とはなにか、仮説、検証の繰り返しですね。まだ、あなたのすごい想像力は仮説の域を出ていません、検証し、ブラッシュアップしていけるんです。

性格なんて悪くていい、人を下に見てるんだったらそれでもいい。じゃあ徹底的に賢くなってみたらいい。もっともっと突き抜けてみたらいい。それが自分も相手もみとめることになるんじゃないかな。

もっと広い世界を見てみませんか。

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