見出し画像

仕事と趣味の関係

天職という呪縛

仕事と趣味の関係は人それぞれ違うと思う。それぞれだけど、大別すれば2つではないだろうか。仕事でしたいことをしている人。仕事は仕事として割り切ってこなしている人。どちらが良いということではない。それぞれにそれぞれの思いがやっているのだろうと思う。
これまで僕は仕事でやりたくないことをやるのは嫌だと100%思っていた。自分の時間を費やすのだからその作業は自分のためになっているべきなのではないか。だから自分の能力が伸びないような雑務のような仕事ばかりをやって、やりたいことをやろうとする頃にはもうほとんど体力が残っておらず、全然時間と体力が残っていない。だから、無駄なことに割く時間は無駄なのだと。そして、そんな仕事は自分以外でもできるのだから、自分は自分しか出すことのできない価値の創出に時間をかけるべきだ、と。

趣味とは?

正直なところ、今も根本的にはその考え方は大きく変わっていない。人はそれぞれ、その能力を存分に活かして、満足感を得ることのできることに時間を費やすことができるようになるべきだと思う。それでこそ人が生きるということなのだ、と考えている。
だけど、ふと、何か価値を生み出さなくてはならない、成果にならなくてはならないことしかしてはいけない、時間がもったいないというプレッシャーを感じるようになった。果たして、価値を生み出すことだけが満足感を生み出すのか、生産することだけが幸せにつながることなのだろうか、と考えたところ、この考え方は全く否定されることではないが、必ずしもそうではないのではないか、という考えも湧き上がってきた。
どういうことか。「趣味」の存在である。趣味というのは、仕事と異なって、好きで、いくらでも時間をかけたいと思え、それでいてお金にならないことをいう。つまり、例えば、電車好きが昂じてyoutuberになり、それで収益が上がり、更新しなければならない、というふうになるともしかしたらその趣味はその瞬間から、仕事になってしまうのだ。つまり、好きなことを嫌いになる可能性がある、ということを意味する。
そのように考えると、実は好きなことを仕事にしたい、といういわゆる天職を追い求めてしまうと、実は、それが地獄への一歩になるという可能性もあるわけだ。そう考えると、天職を見つけるためには細心の注意を払った方が良いのではないか。つまり、本当に本当にどれだけやっても、嫌いにならないか。もし、その問いを自分に問いかけた時、やってみないとわからないよそんなもの、と考えたらのなら危険だ。天職とは、その問いに対して、一瞬で、「好き」と答えられるものだからだ。
この問いに1秒で答えられない場合、もしかしたら天職を探すことはやめた方がいいのかもしれない。もちろんこれからそういうものに出会う可能性もあるので、その可能性は大いに探し求めるべきものだろう。少なくとも、今そこまでのめり込めるほどの愛のない状態で天職を探すことは、存在しないものを探しているのと同じだから諦める方がよい。
では、どうすれば良いのか。仕事は仕事。趣味は趣味。という概念が立ち上がってくる。どういうことか。趣味というのは生産性がなくとも、自分が無駄に時間をかけてもいいと思えるものである、ということだった。まずは、仕事の内外で、そういったものを見つけることが非常に大事になるのではないか。仕事の中で言えば、同僚とおしゃべりをする時間はいくらあってもいいな、仕事自身というより作業の効率化ツールを作っている瞬間は飽きないな、などなんでもいいと思う。仕事の外で言えば、写真を撮るであったり、音楽を聞くであったり、絵を描くであったり、これもまたなんでもいいと思う。

趣味を探すコツ

そして、この趣味を選ぶ時の大事なポイントは何かというと、「やったらやっただけ進捗が見えるもの」が良いと思う。なぜか。それを考えるにはなぜ仕事は仕事と思ってしまうのか、なぜそれがつまらないのかに遡って考える必要がある。その答えは、極論すれば「なんのためにやっているかわからない」ということに起因するのではないか。なんのためにやっているかわからないけど、なんか言われたからやっている、やらなければいけないことになっている、そういうことに対してやる気が起きないのではないだろうか。もし仮に、やる意義(意味ではなく)を見出すことができれば、なんとかやる気を振り絞ることができるのだが、意味はわかるが意義がよくわからないものはどれだけやれと言われても、本当にギリギリにならないと取り掛かりたいと思わない。その結果、作業に時間だけ食われて損した気分になる。そう、心のスイッチオフにして割り切ってやる必要があるのだ。「仕事は仕事」。
そういう人にとって、精神を安定させ、さらにはやる気を増殖させる装置となるのが趣味だ。趣味は、やらされてやるものではない。やりたいと思ってやる時点で勝ちだ。意義というほどの大それたことは言えないが、やっていて楽しいのだ。そしてやればやるほど自分の中で進む。その時点で何馬身も仕事に優っている。さらに、そこから何かを生み出す必要はない。変なプレッシャーから解放されている。そう、終わらなくて良いのだ。また好きな時に続きを始めることができる。

趣味も一筋縄ではいかない

そして、ここからが大事なポイントである。趣味を趣味にすることは意外と難しいのだ。まず、継続が重要である。数日やってみてやめてしまうものは趣味とは言えない。ちゃんとやろうとすると頭を使う。あれ、頭を使うのは仕事だけかと思っていたが、趣味を本気でやろうとすると意外と頭を使うのだ。

趣味への応用性・趣味の効用

この時、趣味と仕事の化学反応が生まれる。仕事で培った謎の能力が実は趣味に生きるのだ。例えば旅行が趣味の人であれば、仕事で培った事前計画能力が活用されることになる。プラモデルが好きな人であれば、仕事で培った予算確保の能力を活用するかもしれない。
そう、実は趣味を本気で行うことによって、あのクソつまらない仕事の中で、唯一苦じゃない作業を見つけることに成功するのである。ここまでいけたらしめたもんである。仕事のうち99%のしょうもないことはとりあえずやるとして、1%のところは趣味力を使って突破する。それは実は他の人がやらないこと、やりたがらないことだったりするから、期せずして他人からありがたがられる、ということが起きる(かもしれない、趣味だからありがたがられなくても全然おっけー)。それは、上司からすれば仕事への貢献にと見做されるわけで、自分からは好きでやったことになる。そう、好きなことで仕事に貢献しているではないか。ここで本題に戻ってみよう。「天職」とは自分がやりたいことを仕事にする。ということだったのではないでしょうか。ここで気づくのである。実は少しだけ天職についていた自分に。

僕は、ほとんどの人は天職につくことは普通ないのだ、ということを出発点にすれば、なんとなくそれでいいのじゃないのかなぁと思うのだ。一つのあり方として。僕は趣味を探してみようと思っている。

いただいたサポートはためて還元します!