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故郷から逃げたという思いが消えない。

私は生まれ育った場所と、現在生活している場所が違う。
それは大学進学の時に、東京の大学に入るために故郷の関西地方を離れて東京で暮らし始めたからである。

今では故郷で過ごした年と、上京してから関東地方に住む年がほぼ同じくらいになっている。

職場で知り合う人は生まれも育ちも関東地方という人がわりと多いので故郷があるのは羨ましいと、お世辞を交えつつ言われることが多い。

そう言われると日本人の謙虚さから、「田舎なんで何もないですよー」と返答することが習慣になっている。
それはある意味本音なのであるが、故郷があるというのは後ろめたさを感じることがある。

私が上京した理由はただ一つである。

ここ(地元)ではないどこかに幸せがあると思っていたからだ。

裏を返せば故郷でいい思いをしていないからどこか別にいい場所があると考えたのだ。

人気マンガの「ウシジマくん」に、地元で威張っていていい思いをしている不良は地元に残り、地元で下っ端でいた不良は都会(歌舞伎町など)に出て一発逆転を狙うというようなセリフがあった(セリフの内容はこんな感じだが、記憶が曖昧で正確な引用でなくてすみません)

地元でいい思いをしている人は、地元に残った方が得だ。地元にいれば自分の立場が上だという関係性をずっと続けられる。
それは居心地がいいだろう。

私は不良ではないのだが、地元でいい思いをしなかったので上京した。だからなんとなくウシジマくんの中のこのセリフの気持ちが分かる。

不良界隈ではなく、私は地元で真面目界隈にいたのだが、そこでも上記の「ウシジマくん」のような構図は成り立つ。

私の地元でいい思いをした真面目界隈の優等生たちは、地元の国立大学の医学部に行くか、隣県の旧帝国大学に進学する。
これは地元の人にとっては最高のコースであり、だれからも◯◯さんの家のあの子は親孝行だと言われる。

私のように、それほど偏差値は低くなかったとしても東京の大学に行くということは地元から逃げるという行為であり、それは地元であまり評判は良くない。
◯◯さんの家のあの子は東京のよく分からない大学に行っちゃったという評価になる(私の地元では東大以外は、東京のよく分からない大学と一括りにされることが多い)

私は地元の大学に入らずに新しい土地で逆転を狙ったタイプだ。
いい思いをしていない真面目界隈にいた人間である。

だから東京に来て故郷があるのが羨ましいと東京にずっと住む人から言われると、ちょっと複雑な思いを抱く。

「故郷が嫌で東京まで来たんですよ」とは絶対に言えない。
その返答は大人のトークとしてめちゃくちゃ空気を読んでいないので。

だから無難なところとして、「地元は何にもないですけど、星はきれいに見えます」とか「ショッピングモールくらいしかないですけど、ホタルがいる場所があります」などと田舎のあるある的なことを言うようにしている。

そう言ってコミュニケーションを進めるのが大人としてまあ正しいやり方なのかなと思っている。

しかし、やはりそこで思い出すのは地元にいたくないから私は東京に来たという事実である。

今は好きでやりがいのある仕事をしていて、忙しいが地元にいた頃よりかなり満足している。

ただ、自分としては故郷から逃げたと思う気持ちが心の中にずっとあり、それゆえに故郷に対して素直になれない。

きっといつかは私の心の中の地元へのわだかまりが溶けて、心から故郷を懐かしがる日がくると信じてる。

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