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私が自分の子どもに名前をつけた時の強く重い気持ち

子どもの名前については並々ならぬ思い入れがある。
娘と息子がいるが、どちらも私が名前を考えて付けた。

今日はかなり真面目で真剣に書こうと思う。ふざけ要素は一切なしで、自分の子どもの名前を決めた時の気持ちを表現したい。

まず私が子どもの名前を語るときは、自分の妹のことに触れずにいることはできない。

私には妹が一人いる。妹とはかなり仲がいいと思っている。
私の父は転勤が多かったので、友達関係がリセットされることが多く、心細い思いをすることが多かった。

そんな中で同じ境遇にある3つ下の妹は同志のような存在だった。私が精神的にわりと幼く、逆に妹は幼い頃から大人びていたので、兄と妹というよりは、同じ困難に立ち向かう仲間だというような意識が強い。

転校すると子どもにとっては、世界がすべて変わってしまうような感じといっても過言ではない。転校して、すでにできあがっている学校内での関係性の中に、異物として入っていくのはなかなか骨が折れるしストレスがたまる。

そんな状況下で、同じように頑張っている妹がいることは心強かった。

妹とは物心ついた頃から、現在まで一貫して仲が良く、妹と二人で住んでいたこともあるくらいである。
二人で住んでいる時は、私の友達や妹の友達を毎日のように家に呼び、音楽を聴きながらお互いの友達と一緒になって飲みまくっていたことを懐かしく思い出す。

今は私も妹も結婚しているが、年に何回かは子どもを連れて妹の家に遊びに行ったり、妹が旦那さんを連れてうちにやってきたりする。

一般的に言ってかなり兄妹仲がいい方なのかなと思っている。

そして私の妻のきょうだいも仲がいい。妻が一番上で、下に弟がいてさらにその下に妹がいる。妻はきょうだいの一番上として、弟と妹の世話をだいぶしたそうである。

妻は小学生のころ、弟と妹を連れて3人だけで埼玉県の自宅から新潟の祖父母の家まで行くなど、しっかりものの姉としての役割をしてきたようだ。

妻は頼りになるお姉さんとしてきょうだいから慕われている。
そしてきょうだい仲がとてもいいのは私と一緒である。


しかし私は妻の弟とは会ったことがない。


なぜなら妻の弟は、私が妻と出会う前に亡くなっているからだ。



妻の弟は大学2年生の時に交通事故で亡くなってしまった。



妻も妻の両親も、まだこのことについて、心の傷がまったく癒えていないので、事故の詳しいことについて私は聞かされていない。
しかしぽつりぽつりと断片的に妻が話すことから判断すると、事故の相手方に100%過失がある事故だったようだ。
事故から15年以上たった今も、月命日には事故の相手方から妻の実家に花が届く。

妻の弟は人望が厚かったようで今でも友達が妻の実家に来て線香をあげに来てくれる。

そして妻の弟は小さい頃から野球をしていて、高校はなかなかの強豪校に入り、一度だけ甲子園のベンチ入りメンバーになったことがあるそうだ。

もっとも試合には出してもらえず、今でも妻の母はそのことで当時の監督を恨んでいるのだが。

高校の野球部の同級生はお正月やお盆などに示し合わせて妻の実家に集まり、当時の思い出話をするというのが恒例となっている。ちょっとした同窓会のようであり、部活をしていなかった私には彼らが眩しくみえる。

私もお正月やお盆には妻の実家に行くので彼らに毎年会っている。

年々、妻の弟の友達はおじさんになっていく。写真の中の妻の弟は19歳のままなのに。

でも同級生達はおじさんになっても、仲間とともに成し遂げたことを共有していて、苦楽をともにした仲間と語り合っている。それを見るのはたまらなく羨ましい。

それと共に亡くなってからかなり経つのに、たくさんの人が集まってくるという妻の弟の人望に驚く。
高校の部活の同級生とはいえ、今は仕事も家庭もあり当時とはまったく状況もちがう。
それでも今なお、妻の弟の元に集まりたいという気にさせるような人間性だったのだろう。

それは6、7年前の妻の弟の13回忌の時にも特に強く感じた。

それはなぜかというと、高校の同級生が母校のグランドを借りて、13回忌記念試合というのをしてくれたのだ。

高校の部活の同級生はもちろんのこと、妻の弟が小中学校の時に所属していた野球クラブチームのメンバーや、大学の時の野球部のメンバーにも声をかけて追悼試合を開催してくれたのだ。

小中学生時代、高校時代、大学時代の妻の弟の仲間たちが、ごちゃ混ぜになり、二つのチームに分かれて妻の弟のことに思いを馳せながら、妻の弟が大好きだった野球の試合をしてくれた。

その試合に集まったのは全部で100人くらいはいたように思う。

もちろん私のような家族関係者も呼んでくれて、盛大な会になった。

妻の父や母はいろんな感情はあっただろうが、涙とともにそのような会を開催してくれたことに感謝の気持ちを語っていた。

妻の弟の人間性が垣間見れる素晴らしい会だった。


このようなことがある中で、きょうだいについて思いを馳せていたある時に、私は思い付いたことがある。

もし子どもができたら、私と妻のそれぞれのきょうだいの名前の一文字を、子どもの名前にもらおうということだ。

ここまで書いてきた通り、私も妻もきょうだいには思い入れが非常に強い。
きょうだいとの繋がりを大事にしたいという気持ちがある。

そこで、男の子が産まれたら私の名前の一文字と妻の弟の名前を一文字ずつ取ることに密かに決めた。例えば私の名前が「家康」で妻の弟が「秀吉」だったとすれば、子どもの名前は「家秀」と名付けようと考えた訳である。

同様に女の子が産まれたら妻の名前の一文字と、私の妹の名前の一文字を取って付けようと決めた。

さらに、私の妻の弟の名前には人を集めるというような意味のある漢字が入っている。
妻の弟のように、人がたくさん集まってくるような人間になって欲しいということもあり、もし男の子ができたらその文字を入れようと決めた。

そして、そう決めたちょっとあとに娘と息子が立て続けに産まれ、私の命名案は周囲から受け入れられた。

私の娘は、私の妻と私の妹の名前を一文字ずつ、そして私の息子は私の名前と妻の弟の名前の一文字が入っている。

息子には、重い意味があり過ぎる名前を背負わしてしまったという気持ちもなくはない。

しかし、将来息子には、息子の名前にはとても意味があり、思いがこもったものだと理解して貰えるといいなと考えている。
親の勝手な思いを押し付けて申し訳ないことはあるが、逆に言えば子どもの名前はなんらかの思いがなければつけられない。子どもの名前をてきとうにつける人なんていないだろう。

私の思いを誤解なく受け止めてもらえるように、息子に愛情をかけて良好な関係性を築き、息子が自分の名前について肯定的に捉えてもらえるように育てていきたい。

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