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子育てが私に授けること

当事者の立場にならなければ気が付けないことがあると分かった経験を書いてみたい。

子どもができてベビーカーを買った。各社のベビーカーを比較・検討してかなり吟味して購入したベビーカーである。

それにも関わらず、娘はまったく乗ろうとせずに基本的に移動は抱っこであった。

しかし数年して2人目の子どもが産まれるとベビーカーをやっと使えるようになった。

2人目の子どもである息子はベビーカーに積極的に乗ろうとするのである。

やっとベビーカーが日の目を見ると嬉しい気持ちになった。
せっかくよく考えて選んだのに玄関の片隅で埃をかぶっているのではむなし過ぎる。

ベビーカーを使い出すと世の中には障壁や困難がたくさんあることに気が付いた。

ベビーカーで出かけるときは街の風景が一気に変わるように思えるのだ。

例えば電車で出かけるときのことである。うちの最寄りの駅は地下にホームがあるので、電車に乗るために地下まで降りなければいけない。

地下に降りる入り口はいくつかある。

我が家の最寄りの入り口は階段しかない。エレベーターがある入り口は大きな通りを渡った向こうにある。

最寄りの入り口までは7分くらいで行けるが、エレベーターのある入り口までは大きな通りの信号待ちもあり15分くらいかかるのである。

だからベビーカーで出かける時はまず家を出る時間を早める必要がある。

そして駅のホームについてもまだ油断はできない。ホームと電車の間が広いところがあるからだ。

間にベビーカーのタイヤが挟まらないように持ち上げつつ前に進まなければいけない。
当然座席には子どもが座っているので重いし慎重に動かさなければいけない。

電車に乗ってからも、ベビーカーが邪魔だという問題が発生する。ベビーカーや車椅子を置くスペースがあるのだが、ここに立っている人がいることがわりとある。

このスペースは広いので立ちやすいのであろう。どいてくれと言うわけにもいかず、ベビーカーが行き場を失うことになる。

目的地の駅に着き、電車から降りてからも大変である。
このご時世になる前は東京駅から新幹線に乗って帰省していた。

あのような大きい駅は構内の作りが複雑で、在来線のホームから新幹線のホームまでたどり着くまでに何度もエレベーターを乗り継がなければいけない。

そしてこのご時世になる前の帰省シーズンは、子連れで帰省する人が多く、帰省シーズンにはエレベーターの前にベビーカーの大行列ができていた。

エレベーターに乗るまでに相当時間がかかって大変な思いをしていた。

このような経験をしてある時、気が付いた。これはベビーカーだけの問題ではない。

車椅子を使っている人は日々このようなことを経験しているのだ。

車椅子を使っている人を見ることはあったし、不便なこともあるだろうなとは想像していた。

しかし、ベビーカーを使ってみて実際に体験して実感してみなければ具体的にどのようなことが困るのか私には分からなかった。

子どもが産まれて育ててみる機会がなければ、車椅子を使っている人が感じる障壁について理解できなかったと思った。

人の想像力には限界があるので、実際に環境を変化させて体感してみることが、立場が違う人への理解を促していくのだと思った。

私にとっては子育てをするということが、今までの生活と環境を変え新たな視点を得る機会になっているのだと思う。

子育てをすることで社会の障壁について理解ができた。

しかし、子育てが教えてくれたのは社会の障壁だけではない。社会の優しい部分についても体感することができた。

これも電車に乗っている時の経験を例に出したい。

娘がまだかなり小さいころ、私と二人で電車に乗っている時に激しく泣き出した。

どうしても泣き止まないし、そこそこ混んでいたので周りの目も気になる。

ちょうどその近くに3人組の男の大学生のような人たちが来た。

これまでの経験上、若い男の人というのは子連れについてあまり優しくない印象をもっていた。

子どもが泣いているので、嫌な顔をされないかなと心配になった。

しかしその大学生風の男の人たちは娘をあやしてくれたのである。娘は初対面の人にも弱いので、泣き止むことはなかったが。

でも若い男の人たちがあやしてくれたおかげで、なんとなく他の人たちもそれを微笑ましく見守り、暖かい雰囲気の車内になったのだ。

結果として私は、子どもを泣かせてしまっていることにそれほど罪悪感を感じないで済むようになったのである。

人って優しいなと心から思えた出来事であった。

大学生のころの私であったら、電車で泣いている子どもがいたら迷惑そうな顔をしていたかもしれない。

子どもを育てたことがなかった時は、泣いている子どもを泣き止ませる大変さを分かっていなかったからである。

しかし、おそらく子育てをしたことがないであろう、大学生風の男の人たちは私の大変さが分かり助けてくれたのだ。

ベビーカーのところで書いたが、自分が体験したことでないことについては想像するのが難しい。

でも自分が体験していなくても相手のことを思って行動できる人もいるのだと思った。

相手のことを思う人がたくさんいる社会が過ごしやすい社会なんだろうとこの時に考えた。

これも子育てをしていなければ気が付きも考えもしなかったことかもしれない。

これからも子育てをして、今まで自分が見えていなかったことにたくさん気付いていきたい。

子育てを続けていくことで、人間として成長していけたらと思っている。

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