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セミの目線から考える自然離れ(一応短編)

僕は何者かと言われれば、
僕らの間では意味をなさない「名称」という概念を外から持ち出し説明する事を許して貰えれば、
僕らは人間に「セミ」と呼ばれているらしい。

セミ、ねえ。その「セ」と「ミ」はどこから来たのかと尋ねたいけれど、生憎僕らと人間は会話をする事が出来ない。
おっと、ここで一つポイント。
「僕らは彼らの言語を理解出来ますけどね」という事を覚えておいて欲しい。

僕らが木陰で涼んでいる時にしている、
「仕事」や「恋愛」や「家族」や「社会」というテーマに沿って愚痴をこぼしたり自慢話をしているのはとっくに筒抜けなのである。
まったく何を日々一喜一憂しているのか。
人生は長い様で短い。
ただしたいようにし、生きたいように生き、好きな事をして過ごせばいいだけなのに。
僕の様に木にとどまりのんびり幸せに生きようとはどうやらしないらしい。

アドバイスをしてやりたいけれども人間達には僕らの声は「ミーンミーン」と聞こえているらしい。

なんじゃそりゃ。

今僕がこれだけ君に話しかけているのも、君には「ミーンミーン」としか聞こえていないのかと思えば馬鹿らしくなる。

そう、そこの君だ。何やらゲーム機に夢中なそこの君。
そんな草も木も生えていない四角い箱の中で、かれこれ君は5時間もそのソファに座っているな。

「…ママ、あのうるさい音なにー」

「んー?そうねえ、ママも不思議なのよ。何かしらねあれ。帰ったらパパに聞いてみましょう」

…はい?
この小さい人間ならまだしも、母親の方も僕の事を知らないだと?
まてまて、待ってくれ。
ちょっとこっちを見てくれ。

「…うるさいわね~、防音カーテン閉めちゃいましょう」

…っ。
これはいったいどういう事だ?
土から出てくる前にご先祖から聞いた話と違う。
ご先祖が言うには人間は僕らを虫網とやらでかけまわって捕まえようとしてくるんだろう。
それを小便をかけてからかったり、憎ましいこともあるけれどそれはとても楽しい事だって。
同じ地球に住んでる人間とのコミュニケーションなんだって言ってたじゃないか。

土にいる間の七年間、俺はそれを楽しみに出てきたんだ…。

だってもう、「セミ」はこの世界に僕だけだから…。
せめてそんな風に、人間と遊びたかったんだ…。

「ママ、このゲーム飽きちゃったからスマホ貸して、ユーチューブみたい」

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と。なんとも切ない話になってしまいましたね。
書いた僕自身は平成10年生まれ、23歳です。
僕の小さい頃の思い出と言えば、まさしく虫網をもって駆け回る事でした。
しかし今自分がこの年齢になり、最近虫網を持った少年が全然いないな、と気が付いてしまったのです。
もちろんどこかにはいるのでしょう。田舎の方とか。
けれど僕は引っ越しもしていなく、ずっとこの街に住んでいて、それだけで子供たちの遊び方は既に変わってしまった事を実感しました。

危機感、というわけではないのだと思います。
ただ僕らは、虫取りとかを通して、人間以外だったり、生まれてくる命だったり、また死んでいく実感を、感じ取れた最後の世代だったのかなと。

危機感はないけれど、これでいいのかな、と良く思います。

この短編はそんな事が進んでいき、大人でさえ「セミ」の姿を見たことも無く聞いたこともない世界を想像して書きました。

まあまだ、こんな世界は遠いし来ないだろうけれど、来る気がします。

自分が子供を持った時の子育てを考えて書きました。










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