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持たざる者のプライド

足元を見ればどこから引かれているのかわからない白線が引かれていた。
それは小学生の頃にした運動会のかけっこを連想させた。

左右には僕と同じように人、人、人。

後ろを振り返ると何もなく、音も響かない静寂の砂漠。

白線の向こう側、僕の眼前の遥先には美しい景色が広がっているのが見えた。

そうして僕は思い出す。そして気づく。
僕はあの先の世界を目指していたんだった。

横に並んでいる彼ら彼女らと僕らは、この白線の向こうに行きたいのだ。

しかし何日経っても、季節が変わっても、何年経っても、前に進むことは出来ない。

そのうちに僕は、彼らの事が好きになった。
苦悩を分かち合い、憧れを共有し合い、夢を語り合い、大切になった。

そんなある時、僕の目の前に道が開かれる。
それは運だったのか、奇跡だったのか、これまでの積み重ねのおかげだったのか。
ぬかるんでいた道は整備されて、暴風雨はどこかへ消え晴れ渡り、あとは僕は渡るだけ。

僕の目の前だけが、そうなった。

左右には人、人、人。
目の前には辿り着きたい場所への、たった一本のひらけた道。

僕はどこへ向かうべきなのかわからなくなってしまった。


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こんな事を考える。
僕は自分と似た境遇の人間達に届くものを作りたいと常々考えている。
けれどなんだろうか。
それは僕は小説を書いている身からすれば、小説家になれるという事を表しているかもしれない。
けれどそれは、向こう側へ渡ってしまう事なのではないかと。
向こう側へ渡るべきだともわかっているけれど、その瞬間に僕は彼らと当事者ではなくなってしまうという不安が迫ってくる。

共に苦悩を共有して、辛い過去も見えない未来も分かりあった彼らの「先へ行ってしまう」

本当に届いて欲しい人たちのことが、わからなくなってしまうとでも言えばいいのか。

幸せになりたいよねと話していた友人の事が大事だったある時、自分にだけそのチャンスが回ってくるような。

そんな事をぐるぐると考えていた時、やはり僕の大好きな映画「グッドウィルハンティング」が教えてくれた。

主人公は頭が良いが素行が悪く、地元のチンピラたちとつるんでいる。主人公はその頭脳を買われて有名企業からのオファーを受ける。

彼は言う
「俺はお前らとこの街でずっと工事の仕事をしていいよ、それが幸せなんだ」
友人
「俺はそれでいいよ。この街でだせえ仕事してブサイクな嫁さん捕まえて、ずっとここで暮らしてく、けどお前は違うだろ」
「お前は今何億円て宝くじの当たりくじを持ってる。それは俺らがいくら欲しがったって手に入れられないものだ。どんなに欲しがったってだ。お前はそれを金に変えることにビビってる。俺はそれが許せない」
主人公
「…」
友人
「おれはいつだってお前を朝迎えに行った時に、お前がもうこの街からいなくなってるんじゃないかってずっと怖い。けれどそれが、一番良いんだ」

そんな会話がある。
このシーンは僕の悩みの、どちらの事もものすごく大切に描写してくれていた。

何かチャンスを得た人間は行くべきなんだ。
それを仲間達のことを考え踏みとどまるのは、そこに信頼は無いという事なんだ。
俺が行ってしまって大丈夫だろうか?なんて考えるのは、烏滸がましい事。
もうそこからは彼ら彼女らの人生で、それをただ信じることをするべきで。

そうして得られなかったものはーーーちゃんと送り出すべきなのだきっと。
これは自分自身も幾度の場合で「持たざる者」の側でいるからこそ思う。
せめて潔く、送り出す。
置いてくななんて思うのは偽物だ。
せめて潔く送り出すーーーそれが持たざる者、弱者の唯一持っておくべきプライドなのだろう。



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