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【第2部8章】星を見た塔 (3/16)【焚火】


【目次】

【依頼】

──パシィ。

 夜闇のなかで、鋭く針を撃つような小さな音が鳴る。マム・ブランカが手にしたサイレンサー付きの猟銃が、弾丸を放つ。

 影の帳のなかでなにかがひっくり返り、動かなくなる。荒野慣れした老婦人は、ゆっくりと近づいていく。

 横っぱらに銃弾を受けた野ウサギが、錆びた大地のうえに転がっている。女戦車乗りは、ナイフを取り出すと血抜きの切れ目を入れて、二本の長い耳をつかむ。

 夕餉の食材を調達したマム・ブランカは、念のため周囲の気配をうかがう。

 人工の灯火の少ない鋼野の夜は、暗い。光を使えば目立つし、奇襲するにはおあつらえむけということだ。

 まだ『塔』に居座る連中のテリトリーには入っていないはずだが、用心するに越したことはない。猟銃にサイレンサーをつけた理由でもある。

 ドミンゴ団の敗北を聞きつけたほかの戦車団がうろついている可能性もある。錆びた荒野では、自分の命は自分の力で守らねばならない。

──ホオ、ホオ、ホオ。

 どこかから、フクロウの遠鳴きが聞こえる。さいわい、ほかの気配はない。老婦人は、愛車を停めた地点に向かって歩き始める。

 巨岩の陰に、小さな焚き火とその灯に照らされる『スカーレット・ディンゴ』の車体が見える。炎のかたわらには、一人の紳士が腰をおろしている。

 キャスケット帽の伊達男の姿を見て、女戦車乗りは舌打ちする。せっかく食材を調達してきたのに、男はバー状の携帯食をぼそぼそと咀嚼していた。

「失礼なやつだな、色男」

 マム・ブランカは『伯爵』の対面に腰をおろしつつ、悪態をつく。キャスケット帽の伊達男は、ばつが悪そうにカイゼル髭を指でなでる。

 不機嫌を隠そうともせず頬を膨らませながら、老婦人は手慣れた様子でナイフを握り、野ウサギをさばいていく。

 小振りな肉塊に鉄串を刺し、化学調味料を目分量でふりかけ、焚き火にあぶる。やがて、ぱちぱちと脂のはぜる音が聞こえ、得も言われぬ香りが漂いはじめる。

「ふむ。旨そうな匂いだ」

「ざまあみな。おまえさんにはやらないよ」

 携帯食を胃袋のなかにおさめた『伯爵』は、マム・ブランカのほうへ視線をあげる。伊達男の片眼鏡<モノクル>と老婦人のゴーグルが、炎の輝きを反射する。

「悪気があったわけではないのだ。こう言って信じてもらえるかはわからないが……我輩、この世界の水と食べ物が体質にあわないのだよ」

「……? まるで、ほかの世界からやってきたみたいな言い方だな、色男」

 女戦車乗りは、ウサギ肉の串焼きをひっくり返す。淡泊な肉に、旨そうな焦げ目がついている。

「そういえば、聞いたことあるな……この鋼野以外にも世界があって、そこからやってくる人間がいるって話。次元転移者<パラダイムシフター>とか言ったか?」

「ふむ。さすがは歴戦の戦車団の頭領。事情通であるかね」

「そいつらにとっては、鋼野の水と土は汚染されていて、飲み食いができないとな。あたしゃ、気にしたことはないけどね……まさか、色男。おまえさんが?」

「さて、どうかね……風来坊であることは確かだよ」

『伯爵』は、はぐらかすような笑みを口元に浮かべる。マム・ブランカは舌打ちしつつ、串焼き肉の火の通りを確かめる。食べ頃だ。

 キャスケット帽の伊達男は、どうぞ、とジェスチャーで示す。老婦人は、焼きたてのウサギ肉をひとかじりする。

「こんな旨いものを食えないとは、気の毒な話だな」

「ああ、まったくかね。その土地の酒と料理を楽しめないのは、無念の限りだ」

「しかし……ということは、『塔』に居座っている連中も次元転移者<パラダイムシフター>なのか?」

「ふむ、なぜそう思うのかね?」

「戦車団ってのは、互いの顔は割れているものなんだよ。新興の連中だって、旗揚げのウワサはキャラバンからすぐに流れてくるからな」

 マム・ブランカは串焼き肉を貪りながら、しゃべり続ける。

「だが……あの連中は、見たことも聞いたこともない格好をしていた。なにより……あたしゃ、長い戦車乗りの人生でも初めて相手をする機械を使っていたな」

「ほう。どのような兵器だったかね?」

 興味深げに、『伯爵』が眉根をよせる。一本目の串焼きをたいらげた老婦人は、二本目のウサギ肉に手を伸ばす。

「空を飛ぶ乗り物だよ。ばたばたとけたたましい音を立てる羽を回転させてな。真上につけられちゃ、戦車じゃ手も足も出せない」

「……戦闘ヘリかね。なるほど、対戦車としては最適解だ。それで、いったい何人が犠牲になったかね?」

「おいおい、笑えない冗談は言うな! 戦車団の部下は子供みたいなもんだ。あたしゃ、目の黒いうちは一人だって死なせるつもりはないな……今回もだ!!」

「一人も死なせていない、と……? ほう。それは大したものだ」

「縄張りは奪われ、『スカーレト・ディンゴ』以外の戦車は壊滅状態だがな! 大損害もいいところだよ!!」

「……それでも若人が独り立ちできるよう、荒野でもっとも夢を蒔くことができたのならば、それでいいのではないかね?」

 戦車団の頭領がひとしきりまくし立てると、夜の荒野に静けさが戻る。『伯爵』は満天の星空をあおぐ。ふたたび口を開いたのは、老婦人だった。

「で、色男。おまえさんは、なんだって『塔』に行くのな? 鋼野にその名をとどろかすドミンゴ団を一方的にコケにしやがった連中が居座っているんだよ」

 マムブランカは、食べかすのついた鉄串を伊達男のほうへ向ける。

「あの『塔』の最下層に用がある。敵対的な相手がいないのならば、それに越したことはなかったかね」

「最下層!? そいつは別の意味で難儀な……部分的だが、『塔』はまだ電源とセキュリティが生きているんだ。未踏査領域だって、少なくないんだよ」

「最下層もそうだ、ということかね? 居座っているという連中が掃除を済ませていてくれるとありがたい」

「はあー……剛毅だね、色男。ま、腑抜けじゃないやつは好きだな。そうだ」

 老婦人は思い出したかのように立ち上がると、戦車の運転席に潜りこむ。しばらくすると、ハッチのなかから『伯爵』に向かって液体の入ったボトルを投げ渡す。

「蒸留水な。精密機械を発掘したときの洗浄に使うんだが……おまえさんも、これだったら飲めるんじゃないかい?」

「ふむ。ありがたく頂戴するかね。ちょうど食後のコーヒーを飲みたいと思っていたところだ」

 キャスケット帽の伊達男は、ポーチから小型のコーヒーセットを取り出すと、ポットを焚き火にかける。

 しばらくすると、引き立ての豆の芳しい香りが夜の荒野に漂いはじめた。

【陽動】

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