【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (13/16)【足掻】
【増蝕】←
『メロ! しっかりつかまっていてくださいな!!』
六枚翼の白銀の龍が、高度をあげる。山々の狭間からあふれ出した粘体は、もはや流れや溜まりといった程度ではなく、大潮を思わせる威容と化している。
龍態のクラウディアーナと、その背にしがみつく魔法少女は、一定の高度を保ちながら、地表の様子を俯瞰する。
勢いを増して広がっていく『落涙』から、守るべき『聖地』まではなだらかな起伏があるのみで、障害となるような地形は存在しない。
そして刻一刻と面積が狭まっていく原生林のなかに、砂粒ていどの大きさのミナズキがいる。粘体の大波の浸食速度に比べれば、その歩みはまるで止まっているようだ。
「あわわ……どうするのね、ディアナさま! このままじゃ『聖地』だけじゃなくて、ミナズキさんも……!!」
泣きつくような声をあげるメロを背中に乗せながら、白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、絶望的な状況をにらみつける。
『あきらめてはなりません、メロ……ミナズキがそうすることを選んだように、わたくしたちも最後まであがくのですわ』
「でも、でも……どうすれば!?」
『……まず、わたくしが最大限の魔力の吐息<ブレス>を地面に向かって撃ちこみ、縦穴を作りますわ。そこにメロのリングを投げこんで吸引し、『落涙』を足止めしましょう』
「でも、きっと……さっきみたいに大きくなって、いずれは、穴からあふれ出しちゃうのね! 活動限界まで、閉じこめることは……」
『それでも、ある程度の時間稼ぎはできるはず。脱出されたら新しい穴を穿ち、何度でもくりかえします。その間に、よりよい方法見つけだすのですわ』
魔法少女は、龍皇女の横顔を見つめる。メロにはドラゴンの表情はわからなかったが、声音にはいままで旅をしてきてはじめて聞くような緊迫感が宿っている。
続いて、魔法少女は頭上をあおぎ見る。黄昏とは異なる鮮血のような真紅の空と、天頂に浮かぶ白い三日月、見開かれた巨大な虚無の瞳がある。
月の欠けた部分に位置する眼球を見て、メロは不意に腹立たしさを覚える。ことのはじまりから高見の見物と言わんばかりに、自分たちの決死の抵抗を睥睨し続けている。
メロは最初、この次元世界<パラダイム>を好きでにはなれなかった。活気がなく、不衛生で、薄気味悪かったし、エルフたちも初対面のときはよそよそしかった。
しかし、自分たちを受け入れてくれたあとの村民たちは親切だったし、そのあと出会ったオークたちもどこか憎めなかった。『聖地』に咲き乱れる蓮の花々は、本心から美しいと思った。
相手がどう考えているかはわからないが、メロはエルフやオークのことを友達だと感じていた。友の住む土地の蹂躙を看過することは、魔法少女にあるまじき行為だ。
「わかったのね……やろう、ディアナさま!」
『その意気ですわ、メロ!』
一人と一頭の眼下は、すでに粘体の濁流に呑みこまれている。クラウディアーナは掘削にふさわしいポイントの上空まで移動しようと、龍翼をひるがえす。
「ディアナさま、下──!!」
『落涙』の奔流の水面が、沸騰するように沸きたつ。天に唾するように、虚無のスライムの飛沫が白銀の上位龍<エルダードラゴン>へ向かって吐き出される。
『──むうッ!?』
龍態のクラウディアーナは、とっさにバレルロールして下方向からの奇襲を回避する。粘体の対空弾が、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の横腹をかすめる。
体勢を立てなおした龍皇女の頭上で、ぐねぐねと『落涙』が形状をゆがめる。アメーバ状の飛沫は粘体の網へと姿を変えて広がりながら、クラウディアーナの逃げ場を奪うように落下してくる。
「広がれ! 希望転輪<ループ・ザ・フープ>ッ!!」
メロが、リングの片方を天に掲げつつ、叫ぶ。フラフープは魔法少女はもちろん、上位龍<エルダードラゴン>の胴体も上まわる直径へと拡大する。
──ギュルンッ!
まるで巨大な天使の輪のように広がったメロのリングは、浮遊しながら高速回転する。内径越しの風景が、さざ波のように揺らいで見える。
アメーバのネットは、掃除機に吸われるように輪の内側に呑みこまれていく。魔法少女の身や上位龍<エルダードラゴン>の背に触れることはかなわない。
リングの内側に作ることのできる亜空間へ、メロは粘体の網を吸いこんだのだ。
『よく……やってくれたのですわ、メロ』
「ディアナさま、だいじょうぶなのね!?」
龍皇女の声にわずかな苦痛のうめきが混じっていることを、魔法少女は聞き逃さない。
視線をめぐらせれば白銀の龍翼の先端、そのところどころから輝きが失せ、錆のような染みができている。
メロが吸いとりきれなかった粘体の雫が、クラウディアーナの翼に触れて、その魔力を蝕んでいた。
『気にするほどではないですわ……そろそろ、『落涙』のうえを越えます。メロも準備を!』
「……了解なのね、ディアナさま!!」
メロはリングを逆回転させ、亜空間に閉じこめた粘体のかたまりを眼下に投棄する。輪の直径をフラフープサイズまで縮小させると、両手でかまえる。
原生林を貪欲に呑みこみ続ける『落涙』の前線を、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の身体が越える。
龍皇女は身をひねり、白銀の龍翼を目一杯に広げると、魔力を収束していく。六枚の翼が、全身の龍輪が太陽のごとく輝きを放ち、大きく開いた顎の奥に灼光が宿る。
『──かしましい真似は止めぬか、クラウディアーナ! これ以上、我の次元世界<パラダイム>を穴だらけにする気か!?』
極大出力の光の吐息<ブレス>をいままさに放とうとしたそのとき、赤い空を引き裂くような怒声が響きわたる。
龍皇女は対地砲撃を中断し、首をめぐらせて、声の聞こえてきた方角に視線を向ける。四枚の龍翼を羽ばたかせ、暗緑色の翡翠のごとき鱗を持った上位龍<エルダードラゴン>が飛んでくる。
『カルタ! いままでなにをしていたのですか!?』
『……湖を三つほど、飲み干してきたわ』
カルタヴィアーナは姉龍の真横につけながら、うめく。見れば、妹龍の腹部は、ぱんぱんに膨らんでいる。
『先刻から、危なっかしい真似ばかりしおってからに……貴様らは、そこで見ておるがいい! これが『落涙』の対処法じゃ!!』
妹龍はゆっくりと高度を落としていき、原生林の樹々をへし折りながら、迫り来る粘体の大波の真正面へと着地する。
『ゴバアアァァァ──ッ!!』
大きく顎を開いたカルタヴィアーナは、喉の奥から大量の水流を『落涙』に向かって勢いよく吐き出した。
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