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【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (14/16)【手玉】

【目次】

【足掻】

『ゴババアァァーッ!!』

 龍態のカルタヴィアーナの口から噴出する激流が、迫り来る粘体の大波へぶつかり、勢いを殺ぎ、その場に押しとどめる。

 暗緑の上位龍<エルダードラゴン>は、なおも胃袋にためこんだ水を吐き続ける。ついには『落涙』がわずかに地面から浮き、大質量は押し返されはじめる。

『なるほど、水流……これなら触れることなく、与える苦痛も最小限で、押し返すことが可能ですわ!』

「やったのね……!」

 上空でホバリングするクラウディアーナと、その背から一部始終を見守っていたメロが、小さく快哉をあげる。

 放水の勢いに負けた粘体は地面から引きはがさると、球形の涙滴に丸められて、山の斜面を登るように転がっていく。

 カルタヴィアーナは、すでに放水を止めている。『落涙』は慣性のまま跳ね飛ばされて、山頂から空中に放り投げられる。

「抜かすわ、女童……まだ初手じゃ。ここで呆けているひまなどないわ!」

 真紅の空の下、巨大な球状が放物線状に飛んでいく非現実的な光景をまえにして、暗緑の上位龍<エルダードラゴン>は、四枚の龍翼を広げて力強く地面を蹴る。

『わたくしたちもカルタに追随しますわ、メロ!』

「うん、ディアナさま!」

 龍皇女は頭部から尾の付け根までをまっすぐ伸ばし、六枚の龍翼をたたみ、流線型の高速飛行の体勢となる。

 メロは、ほふく姿勢となってクラウディアーナの背にしがみつく。白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、巨人の放った投げ矢のごとく、空のうえをすべっていく。

 それでも徐々に差を広げられていくほど、妹龍の飛翔速度は速い。稲妻のごとき軌跡を描きながら、不吉な赤い天を切り裂いていく。

 光も通さない不気味な粘体の巨球が、放物線の頂点を通過し、下降しはじめる。三日月の瞳が、落下地点の狙い定めるように見開かれる。

『どいつもこいつも、我を小馬鹿にしおって……気に喰わんわ。いったい何百年、何回の『落涙』を相手にしてきたと思っているのじゃ!!』

 カルタヴィアーナは、粘体球の落下予測地点に先まわりする。背と腹をひっくり返した体勢で、墜ちてくる『落涙』を待ち受ける。

『ゴバアアァァァ──ッ!!』

 暗緑の上位龍<エルダードラゴン>は、粘体球に向かって再度の放水を放つ。ぱんぱんに膨らんでいたカルタヴィアーナの腹部が、しだいにへこんでいく。

 巨怪なスライムの落下は水の勢いに押し返されて空中で止まり、球形がゆがんだかと思うと、さながらジャグリングのようにふたたび赤い天へ向かって弾きとばされる。

『カルタ! だいじょうぶですわ!?』

 上空から見守っていたクラウディアーナが、叫ぶ。妹龍の身体のあちこちから、じゅうじゅうと肉の焼けるような音が立ち、鼻の曲がるような悪臭が漂っている。

 粘体球を弾きかえすさいに飛び散った『落涙』の細かい雫が、カルタヴィアーナの全身のあちこちにかかり、その肌を焼いているのだ。

『かしましいわ、クラウディアーナ! この程度、慣れたもの……それよりも、いまは『落涙』の相手が最優先じゃ!!』

 暗緑の上位龍<エルダードラゴン>は身を反転させると、ふたたび粘体球を追いかけるように低空飛行する。

「カルタさんは、どこを目指しているのね……?」

『おそらく、あれですわ』

 上空から妹龍を追いかけるクラウディアーナの背のうえで、メロはつぶやく。龍皇女は、背のうえの少女に指し示すように首をめぐらせる。

 粘体球の放物線の先、そしてカルタヴィアーナが飛翔する向こうには、広大な湾が広がり、海水が空の赤い色を反射している。

「海に落とそう、ってことなのね? でも、それだと……!!」

 宙をジャグリングされる『落涙』の勢いが、わずかに足りない。粘体球は、下降軌道に入る。先ほど同様に、カルタヴィアーナは首をもたげて待ち受ける。

『ゴバアァァー……ッ!!』

 妹龍の喉から噴出される水流の勢いが、先ほどよりも少しばかり弱い。どうにか『落涙』のかたまりを空へと押し返すが、そこで水の奔流は途絶える。

『ゴブウッ! 吐き尽くしたわ……!!』

 カルタヴィアーナは空中でよろめき、むせこみながら制動する。空に向かって粘体球の描く放物線は、小さい。このままでは、湾手前の砂浜に『落涙』が着地する。

『メロ! わたくしの背から降りて!!』

「了解なのね! でもディアナさま、なにを……!?」

 メロは魔法少女として強化された身体能力で、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の背から飛び降りる。

 クラウディアーナは、龍翼を広げたまま人間態へと変じ、地表へと急降下していく。空中のメロは、龍皇女の行く先を見る。湾に水を注ぐ河が、流れている。

「『操水』の……魔法<マギア>!」

 河川の中央に着地したクラウディアーナは、ドレスが濡れるのもいとわず、両手の指を水に浸す。上位龍<エルダードラゴン>の膨大な魔力を、注ぎこむ。

 流水が白銀の輝きを放ちはじめたかと思うと、重力に逆らって浮かびあがる。河を構成するすべての水が、巨大なヘビのごとく宙を駆ける。

「カルタ! これを使うのですわッ!!」

 空中をうねる流水は、えづく暗緑の上位龍<エルダードラゴン>の方向へ飛んでいく。カルタヴィアーナはひとにらみすると、息を吐き、真水を思い切り吸いこむ。

『……ゴバアアァァァーッ!!』

 妹龍は、胃袋に収めたばかりの水を、いままさに着地しようとしていた粘体球に向かって即座に吐き出す。

 砂浜に落下する直前だった『落涙』は、真横から激流の直撃を受けて、はじき飛ぶ。水切りのように海面を三度バウンドしたあと、巨怪なスライムは動きを止める。

「あわわ……だいじょうぶなのね!?」

 古樹の梢にしがみついていたメロは、ことの成り行きを見守る。半分だけ海面に頭を出した粘体球は、どうにか陸地に戻ろうと身を震わせている。

 しかし、上手くいかないようだった。脚代わりに触腕を伸ばそうとすると、引きちぎれ、小さな粒に分かれて本体から離れていってしまう。

 そうこうしているうち、海流に捕まった『落涙』のかたまりは、ゆっくりと沖に向かって流されていく。

 天上の三日月の欠けた部分から覗く瞳は、一瞬だけ大きく見開かれる。やがてあきらめたかのごとく、徐々にまぶたが閉じるように細くなっていく。

 月の瞳が完全に見えなくなると、不気味な空の赤も元の色……霧におおわれた、くすんだ青へと戻っていく。

『フウゥゥ……』

 龍態のカルタヴィアーナは、ようやく緊張をほどき、大きく息を吸いこむ。かたわらに、ふたたびドラゴンの姿へ戻ったクラウディアーナが着陸する。

『これで……終わりですか、カルタ』

『海岸線に漂着せぬよう、完全に消滅するまで見張る必要はあるわ……ついでに言えば、近海の魚介は全滅じゃ……』

 苦々しげに言った暗緑の上位龍<エルダードラゴン>は、姉流のほうも見ずに鼻を鳴らす。

『最後の水……礼は言わぬからな、クラウディアーナ?』

『無論ですわ。むしろ、わたくしのほうこそ前言を撤回しなければ……そなたは、なにもしていないわけではなかった……十分な仕事をしていたのですわ』

『なんじゃ、やぶからぼうに……我をおだてて寝首をかこうとしても、無駄なことじゃ』

 カルタヴィアーナは照れくさそうに、姉龍から顔を背ける。かたわらにたたずむ白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、おだやかな笑い声をこぼす。

『うふふふ。姉として、血をわけた妹の成長が嬉しいだけですわ』

『かしましいわ……いつまでたっても子供扱いしおってからに』

 クラウディアーナから顔を隠そうとした妹龍は、全身を丸め、産まれたばかりの獣のような格好になった。

【聖別】

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