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【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (12/16)【増蝕】

【目次】

【決壊】

「戻れッ! 『希望転輪<ループ・ザ・フープ>』!!」

 メロは両手をかざし、窪地の側面に張りついていたふたつのリングを遠隔操作する。手元に戻るまえに空中で激しく回転させ、遠心力で粘体の残滓を吹き飛ばす。

「うええ……染みとか、臭いとか、残らないといいんだけど……」

 手持ち武器として取り扱えるサイズまで縮小させた輪をキャッチしつつ、魔法少女は露骨に顔をしかめる。

 一方のクラウディアーナは、高度を保ったまま旋回しつつ、『落涙』の動向と周辺の様子に視線を走らせる。

 さらに体積を増した大質量の粘体は、『聖地』へとほぼ直線のルートとなる河川から外れ、反対側の低地に広がる原生林にあふれ出した。

 巨怪なスライムは、河を遡上し山越えするルートをあきらめ、急峻な地形を迂回して『聖地』を目指す進路をとったように見える。

 直進するより、多少の時間は稼げたことだろう。龍皇女は、思う。もっとも、活動限界には遠くおよばない。

 まるで洪水のように、流体の『落涙』が無数の古木のあいだに広がっていく。ただし、単純な自然現象と異なり、触れたそばから樹々は枯れ朽ち果てていく様が見える。

『──ルガアァァ!!』

 白銀の上位龍<エルダードラゴン>が、咆哮する。六枚の龍翼を広げ、魔力を収束し、龍の口から放たれた直視できないほどのまばゆい閃光に、メロは思わず前腕で目元をおおう。

 扁平に広がる粘体の進行方向の先で、最大出力の光の吐息<ブレス>が大地を刻む。

 視界をつぶす輝きが鎮み、龍の背の魔法少女がおそるおそるまぶたを開くと、眼下には巨大な渓谷のごとき塹壕が長々と掘りこまれている。

「さすがなのね、ディアナさま! これだけの崖があれば……」

『……気休め程度ですわ。活動限界までには、ほど遠い』

 地形すら造りかえる上位龍<エルダードラゴン>の圧倒的な力を目の当たりにして快哉をあげるメロに対して、龍皇女は抑揚のない声音で返事をする。

 はじめ魔法少女はクラウディアーナの言葉を疑い、次に眼下の光景を見て驚倒する。

 さらに体積を増した『落涙』は、龍皇女の造りだした地の果てまで伸びるがごとき塹壕のなかに流れこむも、あっという間に空隙を満たして、すぐにあふれながら乗り越えようとしている。

「あわわ、どうしよう……どうすればいいのね、ディアナさま!?」

『……せめて、ミナズキだけでも救出しなければ』

 慌てふためくメロを背に乗せた龍皇女は、空中で反転して、山頂を越える進路をとる。同時に『探査』の魔法<マギア>を詠唱し、ミナズキの現在位置を探る。

 黒髪のエルフ巫女が執りおこなっている聖別の儀式と干渉しているのか、クラウディアーナの魔法<マギア>では、なかなか正確な場所を把握できない。

 それでも、白銀の上位龍<エルダードラゴン>は意識を集中し続ける。滑空軌道を微調整しつつ、原生林の樹冠をこするぎりぎりまで高度を落とす。

「ディアナさま、あそこなのね!」

 龍皇女の背から身を乗り出しながら、メロが声をあげる。長い首をめぐらせて魔法少女の指さす方向に視線を向ける。梢の隙間から、ゆっくりと地を歩くミナズキの姿が見える。

『メロ! わたくしの背まで、ミナズキを引きあげられますか?』

「まかせて、ディアナさま!」

 メロは白銀の上位龍<エルダードラゴン>の背から飛び降りると、杉の大樹の枝を踏んで落下速度を調節しながら、苔むした地面に着地する。

「あわわ……おっとっと!」

 魔法少女は足をすべらせそうになりながらも、どうにか踏みとどまり、ゆっくりと歩を進めていく黒髪のエルフ巫女の背を追いかける。

「ミナズキさん、緊急事態なのね! 儀式は中断して、はやく避難しないと!!」

「森羅万象、天地万物、諸事万端……」

 メロのせっぱ詰まった声も聞こえないどころか、その接近すら気づかないほど集中した状態で、黒髪のエルフ巫女は呪言を唱え続けている。

 魔法少女は、ミナズキを羽交い締めにしてでも動きを止めようとして、思いとどまる。黒髪のエルフ巫女は触れることすらはばかられる、鬼気せまるほどの没入状態だった。

 メロは観念したように首を振ると、顔をあげ、梢のすきまから見える直上をホバリングするクラウディアーナの姿を見る。

「メロたちが、本当にくじけそうなときなのに……ディアナさま! ミナズキさんは歩き続けるつもりなのね!!」

 魔法少女は叫び声をあげながら、リングを握った手を大きく振ったあと、上空の龍皇女に両腕を交差させてみせる。

 森のなかをのぞきこむように首を伸ばしていた白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、メロに対してうなずきをかえす。

『仔細承知ですわ、メロ。そなただけでも、うえに登ってきなさい』

 魔法少女はミナズキの背を一瞥したのち、身軽に跳躍する。大樹の幹を蹴って三角跳びし、クラウディアーナの背に戻る。

 赤い空の中央に浮かび、まばたきひとつせず地を睥睨し続ける三日月の『瞳』を、白銀の上位龍<エルダードラゴン>は忌々しげに見あげる。

『ミナズキは、なにがあろうとも最後まで儀式を遂行する覚悟ですわ。わたくしたちも、できるかぎりあがきましょう』

 龍皇女の覚悟を秘めた言葉に、メロも腹をすえて首肯する。一人の少女と一頭の上位龍<エルダードラゴン>は、『落涙』の方角を見やる。

 しん、と異様なほどの沈黙のあと、視界いっぱいに広がる大波ほどに体積を増した粘体が山すそを乗り越え、森の樹々を呑みこみながら『聖地』へ向かって迫ってきた。

【足掻】

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