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【第2部18章】ある旅路の終わり (13/16)【帰還】

【目次】

【血潮】

「グヌ……ッ」

 アサイラは、額に浮いた汗を手の甲でぬぐう。

 どれくらいの時間、どれほどの距離を歩いただろうか。太陽も月も失われた次元世界<パラダイム>の残骸では、時間感覚もあいまいになる。

「ふむ……だいじょうぶかね……?」

 黒髪の青年に身をあずけ、ほとんど引きずられるような状態の『伯爵』が言葉を発する。ぜえぜえ、と荒く浅い呼吸音が聞こえる。アサイラは、声の主を横目で一瞥する。

「他人の心配をしている場合か……おまえが死んだら、俺の苦労も骨折り損だ。せいぜい、見せたいものとやらを披露するまでは生きておけ。ヒゲ貴族」

「ははは……貴公に言われずとも、我輩、必死で生存にしがみついていいるとも」

 顔を動かすことなく、満身創痍の伊達男は薄く笑う。黒髪の青年はふたたび、黙々と足を動かす。

 漆黒の沼、闇をたたえた天上、影のようにまとわりつくガス霧、たゆたう細糸のごとく心許ない道……変わることのないと思われた風景が、異なる様相を見せはじめる。

 視界をさえぎるガス霧が、次第に晴れはじめる。相変わらず光源はとぼしく、明るいとは言い難いが、周囲の様子を確認できる。

 地平線まで世界の残骸を満たす黒い力場のよどみのうえに、アサイラと『伯爵』の歩みを進める以外の細く長い道が、ひとつ、ふたつと姿を現す。

 ぽつぽつと増え始めた足場はすべて、二人の男の向かう方角へつながっている。やがて、満身創痍の伊達男を引きずる黒髪の青年は、広く大きな円形の台地にたどりつく。

「これは……」

 アサイラは、思わずつぶやく。向こうはしがかすんで見えないほどの、アリーナよりも大きな規模の足場だ。

 重力沼にすべてを呑みこまれた場所かと思っていたが、これほどの地面が残されているとは思わなかった。

 天を突くような塔を造ろうとしたならば、その基部はこれほどの規模となろうか。

「……世界樹の始祖の亡骸だよ。この次元世界<パラダイム>が健在であったころは、『聖地』であり……我輩の旅路の目的地でも、あるかね……」

 目を丸くし、立ちすくむ黒髪の青年が抱く疑問に対して、『伯爵』は応える。アサイラの身から離れて、よろめきながらも満身創痍の伊達男は自分の足で歩きはじめる。

 なるほど、言われてみれば自分たちが立っている足場は、巨大な切り株のようにも見える。そう思ったところで、黒髪の青年は『伯爵』の容態を思いだし、呼び止めようとする。

「気遣いは無用かね、アサイラ……貴公のおかげで、体力を温存できた。なにより……ここから先は、他ならぬ我輩の手で為さねばならない……」

 満身創痍の伊達男は、足を引きずりながら切り株状の台地の中央へ向かっていく。アサイラは、少し遅れて『伯爵』のあとに続く。

「ふむ……このあたりで、よいかね……」

 黒髪の青年にはわからないなにかを見極めたかのように、満身創痍の伊達男はつぶやく。狩猟服の懐から、黒い呪符の束を取り出す。アサイラには、見覚えがある。

 アサイラが、旧セフィロト社のスーパーエージェントだった『伯爵』と対峙したとき、さんざん苦しめられた引力と斥力を操る札だ。

「たしか『重力符<グラヴィトン・ウェル>』と言ったか……さっきのグラトニア征騎士と戦うときは、使わなかったのか?」

「ふむ。トゥッチにも似たようなことを言われたかね……この符は、いま別の用途に使っているのだよ。むしろ……こちらの使い方が、本来の有り様に近い……」

 黒髪の青年は眉を傾け、満身創痍の伊達男の背に向かって怪訝な表情を浮かべる。

「あの重力フィールドは、ヒゲ貴族の転移律<シフターズ・エフェクト>じゃなかったのか?」

「まさに、この世界の残骸を満たす重力兵器の残存エネルギーを召喚して、操っていたのは間違っていないかね。だが……この召喚符は本来、別の存在を呼び出すために作られたのだよ……」

「俺とやりあったときは、手を抜いていた……ってことか?」

 アサイラは、わずかばかり不機嫌な顔をする。『伯爵』は首をかしげ、にやりと笑ってみせる。

「いやあ……貴公とセフィロト本社で競りあったとき、我輩も死にものぐるいだったことは、確かかね……」

 ぐらり、と満身創痍の伊達男の身が揺らぐ。黒髪の青年は、あわてて駆け寄り、支えようとする。どうにか『伯爵』は踏みとどまり、アサイラをにらみつける。

「……来るな、アサイラッ!」

「グヌ……」

「いや……声を荒げて、すまない。これは……他ならぬ我輩が、一人でやり遂げねばならない仕事なのだよ……」

 瀕死の重傷を負った身にもかかわらず、満身創痍の伊達男には、黒髪の青年が思わず足を止めるほどの気迫があった。『伯爵』は、ふらつきながらも作業に着手する。

 22枚の呪符を、円を描くように等間隔に配置していく。納めるべき刃を失った鞘を棒代わりに手にすると、地面に置いた黒い札たちが多角形の頂点となるように、魔法陣を描いていく。

 アサイラに魔法<マギア>の知識はないが、いままで出会ってきた魔術師たちの技と照らしあわせても、『伯爵』が相当に複雑な術式を組んでいることは理解できる。

 なるほど、壮年の紳士の矜持や信念を抜きにしても、素人が手を出せるような仕事ではないようだ。黒髪の青年は、あらためて傍観に専念する。

「これは、我が血脈……宿り木の一族に伝わる術のなかでも、秘中の秘とされるものだ……本来であれば、余人に見せることもはばかられるのだが……貴公には、借りを返す一環もかねて、披露しよう……」

 背中にかついでいた耐衝撃ケースを、『伯爵』は地面に降ろし、格納していたシリンダーを取り出す。アサイラには、見覚えがある。

「その容器に入っている光のかたまり……確か、セフィロト本社で……」

「そうだ。かつて……次元間巨大企業の文字通りの心臓だった、メインジェネレーターのコアにして……『世界樹の種』だよ……」

 緑色の輝きを放ちながら明滅する光源が収納されたシリンダーを、『伯爵』は魔法文字<マギグラム>が複雑に絡みあう魔法陣の中央へ、そっと置く。

 儀式の準備が整った。言葉はなくとも、これから執りおこなわれることを、黒髪の青年は直感的に理解した。

【再誕】

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