【第2部18章】ある旅路の終わり (12/16)【血潮】
【足音】←
「どうせ追いかけても、足止めされる……それなら、ここからしとめる、か!」
自分の身長の3倍近い長さはある石柱を抱えたまま、その場でアサイラはハンマー投げの選手のごとく回転を始める。
突然、眼前に現れた質量体の竜巻を『伯爵』は唖然として見あげつつも、黒髪の青年の思惑を理解する。重力波測定ゴーグルを、精密観測モードに切り替える。
ぐんぐんと回転速度を増していくアサイラの足元ごしに、満身創痍の伊達男は闇のなかへと逃れようとひた走るトゥッチの姿を捉える。
戦友である老博士から託された観測装置が、荒波のごとくうねる力場の波を可視化する。刻一刻と変化していく引力のラインから、わずかな間隙を見つけだす。
「聞こえるかね、アサイラ……! 目標から左へ約30°、仰角は約45°で投擲したまえ……ッ!!」
もはや灰色のハリケーンと化した青年からの返事はない。それでも、『伯爵』は己の意図するところが伝わったと確信する。
「……ウラアッ!!」
アサイラの叫び声が、重力沼の闇のうえに響きわたる。黒髪の青年の手から野太い石柱は離れ、ぶんぶんと音を立てながら回転飛翔していく。『伯爵』の指示したとおりの角度だ。
通常であれば、目標であるコーンロウヘアの征騎士にはあたり得ない明後日の方角。しかし、不可視の力場によって投擲軌道は不自然にゆがむ。
トゥッチが、回転しながら飛びきたる質量体をあおぎ見る。表情はわからず、声も聞こえない距離だが、驚愕したであろうことが見てとれる。『伯爵』は、してやったり、と口元をゆがめる。
ガス霧の向こうにかすんで見えるコーンロウヘアの征騎士の身体に、ななめ横から石柱が激突したのが見える。トゥッチは吹っ飛ばされ、そのまま重力沼へと滑落していった。
「片づいたか……」
アサイラはつぶやき、残心のごとく投擲姿勢を保つ。その喉から、荒い息づかいが聞こえてくる。黒髪の青年もまた、ここに来るまでかなりの消耗を強いられたのだろう。
「すまない……手間をかけたかね……」
「そんなことは、どうでもいい。それよりも……状況を説明しろ。ここは、どこか? なぜ、ハゲ博士は俺をここへ送りこんだのか?」
「ふむ……その様子だと、ドクのほうも詳細な説明をする余裕はなかったと見える……」
うつ伏せ姿勢のまま苦しげに身をよじると、『伯爵』は一度、息継ぎを挟む。
「ここは、十年ほどまえに滅亡した次元世界<パラダイム>の残骸だ……名を『ユグドラシル』という……貴公を呼び寄せたのは、ひとつは我輩への援軍として、もうひとつは見せたいものがあってのことだ……」
「見せたい? なにを、か?」
アサイラの表情と声音に、怪訝な色が宿る。満身創痍の伊達男は、両腕の力を振り絞り、一度ひざ立ちになったあと、よろめきながらどうにか立ちあがる。
「……この先にある……貴公は、ついてくるといい……」
そう言った『伯爵』は、三歩前進すると、力なくうつ伏せに倒れこむ。全身に蓄積したダメージはもちろん、右肩の傷と出血量がひどい。
「ここまで来て……無念かね……」
満身創痍の伊達男は、倒れ伏したままうめく。指一本動かすことすら、あまりにも困難だ。這って進もうにも、目的地にたどり着くより、命の火が燃え尽きるほうが早いだろう。
「ヒゲ貴族……導子力、っていうのか? 俺のなかに詰まっているエネルギーは、ふつうの人間よりも相当、量が多いらしい……リーリスが言うにはな」
「……ふむ?」
唐突なアサイラの言葉に、『伯爵』はわずかに眉を動かす。目のまえが、かすむ。首を動かして、青年をあおぎ見る余力すらない。
「宿賃代わりだって、リーリスのやつにはベッドのうえで、こってりと搾り取られた……とはいえ、俺には男色の趣味はないから、別の方法になるか……」
満身創痍の伊達男の右肩に、なにか生あたたかい液体がしたたり落ちる。血管の中身が鉛に変わったかと思うほど重かった身体が、とたんに軽くなる。
「くう……ッ」
鮮烈な痛みが走り、『伯爵』はうめく。鈍化した感覚が回復した証拠だ。満身創痍の伊達男は、意を決して四肢に力をこめる。身体が、起きあがる。立ちあがることが、できる。
「なるほど……そういうことかね」
顔をあげた『伯爵』は、アサイラのほうを見やる。
黒髪の青年は、どこで拾ったのか壮年の紳士が持っていたコンバットナイフを手にし、己の手の甲を切り、傷口からあふれる血液を満身創痍の伊達男の銃創に注いでいた。
アサイラと『伯爵』のあいだで血を介しての、導子力──生命のエネルギーの譲渡がおこなわれていたことを、壮年の紳士は理解する。
「吸血鬼というものがいれば、このような気分かね……それはそうと、貴公には大きな借りができてしまったようだ。アサイラ」
「さっきのグラトニア征騎士のぶんも、か。全額、耳をそろえて返せよ。ヒゲ貴族?」
「ふむ、無論。利子もつけねばなるまい。それはそうと……我輩のことは『伯爵』と呼んでくれないかね?」
「そのザマでも、口のほうは減らないか」
満身創痍の伊達男は、ふたたび歩き始める。その足取りはよろめき、おぼつかない。黒髪の青年は小さくため息をつくと、壮年の紳士の背に腕をまわし、肩を貸す。
「……貸しを追加か」
「ふむ。背に腹は返られぬかね。これは、綿密な返済計画を考えねばならないようだ……」
アサイラと『伯爵』は二人三脚で、闇のなかに伸びる細い道を、ゆっくり一歩ずつ進んでいった。
→【帰還】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?