【第2部18章】ある旅路の終わり (14/16)【再誕】
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「ヒゲ貴族……おまえは一体、なにをしようとしているのか……?」
アサイラは、『伯爵』に問う。害意のたぐいは、感じない。しかし、ただならぬことを為そうとしていることだけは、わかる。
「なにをするか……それを、これから、お見せするのだよ……おそらく、再演はない。興味があるならば、しっかりと目に焼きつけておきたまえ……」
満身創痍の伊達男は背筋を正し、大きく深呼吸する。右肩を撃ち抜かれた銃創が痛々しい。他にも大小さまざまな傷が、生々しく全身に刻まれている。
「開闢の灯を胸に抱く、闇に産まれし。大地の底に眠り在る、星となりし。久遠より来たりて、普天率土に宿りし。天と地の精霊たちの空駆ける風、大気に潜む無尽の水。太円に満ちて星々を巡り、顕れよ。煌めく雫の刻々と、闇より出でる光となれ──」
朗々と謳うように、『伯爵』は長い呪文を淀みなく詠唱する。壮年の紳士のバリトンボイスに、黒髪の青年は思わず聞きほれる。あとには、沈黙と緊迫感が残る。
満身創痍の伊達男が、実演する、と言った以上、アサイラから口を挟む言葉はない。永遠にも感じられる数秒を、息を呑んで見守る。
やがて、円形の台地が小刻みに鳴動しはじめる。揺れは次第に大きくなる。『伯爵』が平然としているなか、黒髪の青年はよろめく。
「グヌ……ッ!?」
思わずアサイラは、ひざをつく。一方、満身創痍の伊達男は、相も変わらず直立姿勢を崩さない。足元の鳴動は、もはや大規模な地震と言っても差し支えないレベルに達している。
「なにを、しているんだ……ヒゲ貴族ッ!」
黒髪の青年は危機感を覚え、とっさに同じ質問をくりかえす。『伯爵』は軽く息を吐くと、アサイラに対して薄く笑いかける。
「ふむ。さきほど、これからお見せする、と言わなかったかね? 貴公、勇猛だが……意外と、せっかちな男であることだ……戦士としては、泣き所となりかねんぞ……」
乱れたカイゼル髭を気にする素振りを見せる満身創痍の伊達男は、同行者と対照的に、まるで危機の山場は過ぎたと言わんばかりのリラックスした様子だ。
「こんな宇宙の片隅で、ヒゲ貴族がなにをしようと勝手だが……俺まで巻き添えになるのは、勘弁か……このまま安らかに成仏でもさせられたら、かなわんッ!」
「貴公の懸念に関しては、ふむ……心配無用、と言っておこうかね……我輩が為そうとしていることは、成仏とか、昇天とか……そういったものとは、真逆だよ」
台地の鳴動の震源地、複雑な幾何学模様を描く魔法陣の中心へ『伯爵』は視線を向ける。つられてアサイラも、そちらを見やる。
「これは、再誕の儀式だ……今日が、約束の日だ……いまこそ、復活の刻だ……」
鎮座された金属シリンダーのなかに宿る灯火が、周囲の揺れと連動するように輝きを増している。満ち満ちた闇のなかの唯一の光源が、満身創痍の伊達男の長い影を作る。
「我輩は、この儀式を執りおこなうために……セフィロト社崩壊後、22の次元世界を巡り歩き、方々の『聖地』を訪ね、契約を交わしてきた……その旅路の途中で、グラトニア帝国の発足と、侵略を知った……」
誰に語るわけでもなく、『伯爵』はみずからの道のりを振りかえるように、静かにつぶやく。はっ、となにかを思い出したかのように顔をあげ、黒髪の青年のほうをあおぎ見る。
「ふむ。今回の一件以前に、アサイラ……貴公には、大恩があったかね。セフィロトのオワシ社長を打ち倒してくれねば……『世界樹の種』の奪還は、困難だった……」
「俺は、ただ……グヌッ!?」
黒髪の青年が言葉を返そうとした瞬間、魔法陣からほとばしる輝きが、いっそう強くなる。幾何学図形の頂点に配置された22枚の呪符からも、光の粒があふれ出す。
ぱりん、と音を立てて、金属シリンダーの小窓が割れる。見る間に、光の奔流が周囲を呑みこみ、アサイラの視界を、ついで他の五感を埋め尽くす。
不快感は、ない。むしろ、おだやかなぬくもりすら感じる。規模は段違いだが、治癒魔術をかけられたときの感覚に近い。
『ち……ち……う、え……父上……』
七色の光のなかで、意識すら溶け出しそうになる黒髪の青年の脳裏に、どこからか声が遠く響く。若い男性のものだ。年の頃は、アサイラを同じくらいか。
『……父上。どうしても行かれるのですが?』
『無論だとも。何度も聞くではない、我が息子よ……これは宿り木の一族の当主である、我輩に課せられた責務だ。逃れることは、許されない』
もう一人の言葉が聞こえる。声音から判断するに、こちらは初老にさしかかった男性のものか。黒髪の青年は、硬く閉じたまぶたをおそるおそる開く。
おそらく、幻影であろう。親子と思しき二人の男性の姿が、光のなかに浮かんで見える。父親らしき紳士が、頭上のシルクハットを傾ける。
『我が息子よ。まだ一人前とは言い難いが……おまえに、エルトリート家の秘伝の教授を一通り済ませていたことは、不幸中の幸いだったとも……為さねばならぬことは、わかっているな?』
息子と思しき若者が、泣き出しそうな顔でうなずく。
『よし。ならば、急げ。伝承の通りならば、世界樹の樹冠に『種』ができているはずだとも。それを確保して、おまえは次元世界<パラダイム>の外へ逃れるのだ……さすれば我らが故郷、ユグドラシル復活の希望はつながる』
『しかし……父上。あの秘術は、歴代当主でも実行したものはいないと聞きます。それに……』
『そうだとも、我が息子よ。おまえは、宿り木の一族における秘中の秘とも言える儀式を執りおこなう、最初の当主となる。父として、鼻が高い』
『父上ッ! ともに逃げるわけには、いかぬのですか……!?』
息子の悲痛な叫びに対して、父親は静かに首を横に振る。かぶっていたシルクハットを、目尻に涙を浮かべた我が子の頭に乗せる。
『わかっているはずだとも、我が息子よ。誰かが、世界を引き裂くあの黒い染みを食い止め、時間を稼がねば共倒れだ。なれば……行け! 振り向くなッ!!』
親子は、互いに背を向けて走り出す。輝きがいっそう強くなり、アサイラの視界にはなにも見えなくなった。
足元の振動がじょじょに鎮まっていく、やがて止まる。光の奔流が少しずつ弱まり、周囲の風景が姿を現した。
→【大樹】
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