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【第2部18章】ある旅路の終わり (15/16)【大樹】

【目次】

【再誕】

「これは……?」

 双眸を見開いたアサイラは、自分の目を疑った。幻影の続きを見ているのかと思った。

 先刻まで自分が立っていた、闇に沈む次元世界<パラダイム>の残骸とは似ても似つかぬ光景が広がっている。

 風にそよぐ木の葉のヴェール越しに、青く澄んだ空が見え、のどかに白い雲が浮かんでいる。

 たわむれあう純白の生き物の群れが、空を駆けていく。鳥かと思ったが、違う。背中に翼が生えた四足の獣……天馬<ペガサス>たちだ。

 さんさんと降りそそぐ陽光に照らし出される山脈越しに、のしのしと大きな人影の歩いていく姿が見える。実物を見るのは初めてだが、単眼巨人<サイクロプス>か。

 見通しの良さから、アサイラは自分が相当な高所にいることに気がつく。足元に注意を払いながら、わずかに視線を下へ傾ける。

 眼下に広がる草原が、微風になでられ、エメラルドグリーンを思わせる光沢を放つ。緑色のじゅうたんのうえに村々が点在し、麦畑らしき農地が広がっている。

 いくつか大きな街があり、ほかの建造物より頭ひとつ高い城塞も見える。人々の、文明の営みが息づいている。そのすべてから伸びる道は、例外なくこちら側へ向かっている。

「どうかね、アサイラ……我が故郷は、美しかろう……? 多少、サイズは縮んでしまったかもしれないが……龍公女どのの世界にも、引けを取らぬ、と自負しているよ……」

 黒髪の青年は、足元から自分の名を呼ぶ『伯爵』の声に気がつく。そこでようやく自分たちが、あまりにも巨大な樹、その枝のうえにいる現実を自覚する。

 満身創痍の伊達男は、野太い梢のうえでぐったりと脱力して身を横たえていた。全身に刻みこまれた痛々しい傷とは裏腹に、一日の仕事を終えて床についたかのような、おだやかな表情だ。

「ヒゲ貴族……ッ!」

 アサイラは、巨樹の枝にひざをつき、『伯爵』へ顔を近づける。

「なにが起こったのか、まだ、わからないぞ! 死ぬまえに、細かく説明してもらおうか……」

「やれやれ、ようやく一息つけると思ったら……貴公も、なかなかに人使いが荒いかね……?」

「……貸しが、あるからな。持ち逃げするつもりか?」

「ははは……貴公、とんでもない高利貸しであることかね……これでは我輩、地獄の底まで追いかけられかねん……」

 黒髪の青年のつぶやき、満身創痍の伊達男は薄く笑う。まぶたを閉じたまま、難儀そうに唇を動かす。

「この次元世界<パラダイム>の名は、『ユグドラシル』。そして……我が宿り木の一族は、その『管理者』の家系だ……」

 そのまま、いつ動かなくなっても不思議はなさそうな、『伯爵』のとぎれとぎれで消え入りそうな言葉にアサイラは耳を傾ける。

「我が故郷は……10年ほどまえ、他次元世界<パラダイム>から大規模な攻撃を受けて、崩壊した……我輩は、ユグドラシル復活の悲願と『世界樹の種』ともに、虚無空間へと逃れた……」

 満身創痍の伊達男は、そこまで話すと、苦しげに息をつきながら一拍置く。顔面から血の気が引いているのが、黒髪の青年にも見てとれる。

「まあ、その後、セフィロト社に確保されてしまったわけだがね……我輩は、エージェントとして身をやつし……獅子身中の虫として、『世界樹の種』奪還の機会をうかがっていた……」

 自嘲気味な笑みが、『伯爵』の口元に浮かぶ。唇が蒼白だ。アサイラは、救命処置の方法を思案する。

 もっとも、己の身体<フィジカ>能力にものを言わせて強引な戦い方を繰り返してきた黒髪の青年は、治癒魔術はおろか、初歩的な医療の知識も持ちあわせていない。もう一度、血を分けあたえるか。それで、どれほど効果があるのか。

「『世界樹の種』というものは……なにか?」

 会話が途切れた瞬間、満身創痍の伊達男の命も消えかねない。アサイラは、かぶせ気味に質問をかさねる。

「宿り木の一族の伝承には、世界樹の太母を死より救いだす存在であり……ドクの言葉を借りるのならば、次元世界<パラダイム>の記憶と存在を納めた脱出カプセル、らしい……オワシ社長にとっては、ただのエネルギーソースだったようだがね……」

「その種を……セフィロト社は、そんなにも欲しがったのか……?」

「……うむ」

 うなずこうとした『伯爵』は、かなわず、かすかにあごを震わせる。

「そもそも、世界樹は……次元世界<パラダイム>の壁を超えて繁茂する植物……その始祖が産みだした『種』ともなれば、次元転移<パラダイム・シフト>にもっとも適した波長の導子力を抽出できる……らしい。ドクの、受け売りだ」

「セフィロト社の次元転移ゲートは……『世界樹の種』とやらのおかげ、というわけか」

「ふむ、ご明察……もっとも、実用化は、ドクの碩学による……前世代型の次元転移<パラダイム・シフト>の技術の礎が……あってこそのことかね……それは、そうと……」

「……なにか?」

 アサイラは、耳を澄ます。もはや満身創痍の伊達男の声は、そよ風にすらかき消されかねないほど弱々しくなっていた。

「貴公には、感謝しても感謝しきれない……貴公がオワシ社長を打ち倒してくれねば、我が故郷の復活はおろか、『世界樹の種』すら取り戻せなかっただろう……」

 普段はやや高慢の気がある『伯爵』は、めずらしく殊勝な様子でつぶやく。

「俺は、あのクソジジイに殺されそうになったから、やり返してやっただけ、か……」

「その簡単なことが、我輩にも、ドクにもできなかったのだよ……社長との膠着状態が続けば、いずれ『世界樹の種』の導子力は……搾り尽くされていたかね……」

「おい……ッ! ヒゲ貴族!?」

 満身創痍の伊達男は小さく吐息をこぼすと、満足した様子でまぶたを閉じる。アサイラは、反射的に『伯爵』の肩をゆすった。

【継承】

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