【第2部12章】運命の交叉路 (3/4)【星見】
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「龍皇女殿下、よろしいのですか。『伯爵』どのは、あのセフィロトの尖兵だった男なのですよ?」
アリアーナが、君主に問う。龍皇女と側近龍は、『伯爵』を連れて、宮殿の裏に広がる庭園を歩んでいた。この先に、フォルティアの世界の中心──『聖地』がある。
「アリアーナ。セフィロトは、我が伴侶の尽力もあり、滅びました。『伯爵』が、その意志を継いでいるとも思えません」
不安げに背後の『伯爵』の様子を気にする側近龍に対して、龍皇女はまっすぐまえを向いたまま、足早に緑茂る樹々のあいだを進んでいく。
カイゼル髭の男は、キャスケット帽を目深にかぶり、その表情と真意を見通すことはできない。
「とはいえ、『伯爵』を完全に信用しているわけではありません。不穏な動きを見せれば、わたくしたちが実力で止めます。そのために、そなたを連れてきたのですわ。アリアーナ?」
「我輩と貴女らのあいだに遺恨があることも、厚顔無恥な頼みをしていることも自覚しているつもりだ。そのうえで、迅速な許可を与えてくれたことには感謝している」
『伯爵』はキャスケット帽のひさしを傾けつつ、自身へちらちらと視線を向ける側近龍を見つめかえす。
「ときに、アリアーナどの。貴女の君主に伝えねばならないことが、あったのではないのかな?」
「……信用できない者がいる場所で、話すと思いますか?」
「かまいません、アリアーナ。わたくしが不在のあいだに、なにか看過できぬことがあったのなら、お伝えなさい」
自らが仕える上位龍<エルダードラゴン>の言葉を受けて、アリアーナはまえへ向きなおる。
「……魔術師ギルドが、天体観測の結果の異常を訴えております。目で見てわかるほど星の数が減り、かわりにただひとつだけ大きさを増している星がある、と」
「『伯爵』、そなたはここに来るまでに数多の次元世界<パラダイム>を巡り歩いてきたのでしょう。いまのアリアーナの報告に、なにか心当たりは?」
「セフィロト社の崩壊から、半年。その間、我輩がなにをしていたかお見通しかね」
振り返ることのない龍皇女の背に向かって、『伯爵』は自慢のカイゼル髭を指先でなでながら、にい、と笑ってみせる。
「……あちこちの次元世界<パラダイム>で、グラトニア人が組織だった活動をおこなっていた。彼らは、グラー帝なる君主の名を口にしていたかな……」
「グラトニアは、歴史ある次元世界<パラダイム>。わたくしも、その名は知っていますが……彼らが、次元転移<パラダイムシフト>の方法を手に入れたと?」
「状況証拠ということになるが……そうとしか考えられないかね。部隊規模で、ほかの次元世界<パラダイム>へ人員と物資を送りこむなど……」
「……アリアーナ」
龍皇女は、自分のすぐ真横を歩く側近龍を、ちらりと一瞥する。アリアーナの表情には、不安の色が浮かんでいる。
「星々のまたたきは、次元世界<パラダイム>の輝き……ひとつだけ光を増しているという星が、どの世界に対応しているかわかりますか?」
「グラトニア……なのですよ」
君主の問いに、アリアーナは震える声で答える。『伯爵』と側近龍の言が一致した。龍皇女は平静を保ちつつも、己の鼓動が速まるのを感じる。
歩み続ける三人の眼前から、豊かな森の梢が、ぱっと消える。澄みきった水をたたえ、鏡面のように陽光を反射する池が、視界に現れる。
「到着しました。ここが、我がフォルティアの『聖地』ですわ……宿り木の一族の末裔よ」
「滅びた次元世界<パラダイム>の肩書きかね。いまの我輩は『伯爵』で結構……それはそうと、貴女の協力に重ねて感謝を申しあげる」
少し照れたように鉤爪のような髭を指でなぞった男は、道をあけた龍皇女のまえを横切り、ブーツをはいたまま水域へと足を踏み入れる。
池の水深は、浅い。くるぶしほどまで水につかりながら、『伯爵』は不必要に水面を乱さぬよう、ゆっくりと歩を進める。
「くりかえしになりますが、『伯爵』。わたくしたちは、そなたを完全に信用しているわけでがありません。少しでも不穏な気配を見せれば、吐息<ブレス>を撃ちこみますわ」
龍皇女は、岸よりカイゼル髭の男の背に語りかける。『聖地』とは次元世界<パラダイム>の急所でもある。
それなりの魔法<マギア>の心得があれば、世界を害する毒を流しこむことも難しくはない。上位龍<エルダードラゴン>は、側近龍とともににらみを利かせる。
振り返ることなく『伯爵』は、ユグドライトから削りだした漆黒の呪符を取り出すと、水面の中央に置く。背筋を伸ばし、まぶたを閉じて、儀式魔術の詠唱を開始する。
「二十二の芽吹き、五十六の花弁。聖なる癒しの枝葉よ、遠き闇を払い。命ささえる大樹よ、深き根源より甦らん。来たれ、此へ集え。大輪、天空に舞い、清らかなる星となりし天と地の精霊たちの躍動を刻め──」
龍皇女は耳をそばだて、目を細め、宿り木の一族の秘術、その一部始終を監視する。術式自体に、悪意は感じない。
(ああ、これは──)
目を細める上位龍<エルダードラゴン>は、ふたつのことに気がつく。ひとつは、アーケディアの『聖地』で察知した術式が、『伯爵』の手によるものだったこと。
もうひとつは、宿り木の一族の秘術は命令や強要のたぐいではなく、世界に対する『懇願』であること。
(──なれば、わたくしから言うべきことは、なにもありませんわ)
水面が、淡い輝きを放ちはじめる。世界が、『伯爵』の懇願に応じた。
龍皇女は、この次元世界<パラダイム>の管理者ではあるが、支配者ではなく、ましては所有者でもない。世界の意志に、意義を挟む権限はない。
西日にも負けない輝きを放つ光の粒は、線となって漆黒の呪符へと流れこんでいく。幽玄とした光景は、数十秒で終わる。『伯爵』は、水面に置いた札を懐にしまう。
「完了だ。重ね重ね感謝するよ、龍皇女どの」
宿り木の一族の男は、ゆっくりと岸へ向けて戻りながら、ことの成り行きを見守っていた上位龍<エルダードラゴン>と側近龍に語りかける。
「『伯爵』、せっかくですから、我が宮殿で入浴と晩餐はいかがですか? わたくしとしても、いま少し聞きたい話がありますわ」
「せっかくの申し出、ありがたいかぎりだが……我輩も、急ぎでね。すぐ、次の行動へ移らねばならない……結界内からの退出許可を頼めるかね?」
龍皇女は、うなずきを返す。『伯爵』は、小型デバイスを操作する。独特の振動音をともなって、緑色の光で構成された楕円形の次元転移ゲートが展開される。
「……ああ、そうだ。龍皇女どの?」
「なにか?」
『門』をくぐりかけた『伯爵』が、足を止める。人間態の上位龍<エルダードラゴン>は、小首を傾げる。
「あの青年……アサイラ、と言ったかね? 彼と会いたいのならば、グラトニアに向かうとよいだろう」
「お待ちください、『伯爵』どの……それは、どういう……!?」
君主に代わり、アリアーナは男の背に問いかける。『伯爵』は振り向かず、かわりに片手をあげる。やがて緑色の光の扉にノイズが走り、来訪者とともに姿を消した。
→【暁光】
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