【第2部12章】運命の交叉路 (4/4)【暁光】
【星見】←
「わたくしは、グラトニアへ向かいますわ」
旅の同行者、メロとミナズキを囲んでの晩餐を終えた龍皇女は、一同に告げる。側近龍たちがわずかにどよめき、用意された絹製のバスローブをまとった二人の少女が目を丸くする。
「龍皇女殿下。帰還早々、また宮殿を離れられては、我々も気が気でないのですよ。『伯爵』どのが言っていたことを、本気にしているのですか?」
「それだけではありません。魔術師ギルドより報告された天体の異常も、かの地に何事かが起きていることを示していますわ。実際にこの目で確かめ、問題があるならば対処せねば」
側近龍たちを代表するアリアーナの問いに対して、宮殿の主は滔々と理由を述べる。君主の決意に、侍女筆頭は軽くため息をつく。
「左様ですのならば。我々、側近龍のなかぁら何名かを指名し、名代として派遣してくださいませ。龍皇女殿下には、政をお願いしなければならないのですよ」
アリアーナの代替案に対して、上位龍<エルダードラゴン>は無言で首を振る。側近龍の代表は再度、嘆息する。君主の強情さを、よく知っているのだ。
「政こそ、そなたたち側近龍に、わたくしの名代として全権を任せますわ。龍都の民や、各ギルド、諸国に異常を知らせ、起こり得る事態への準備を進めなさい」
「ディアナさま。メロとミナズキさんは、どうすればいいのね?」
龍皇女と側近龍のやりとりに、金髪の少女が心配そうに口をはさむ。己の名を呼ばれたクラウディアーナは振りかえり、実の娘に向けるような慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
二人の少女は、宮殿の主の指示により浴室で湯浴みを済ませたあと、側近龍たちより錬金術師の調合した疲労回復効果のある精油を用いたマッサージを受けた。
次元世界<パラダイム>のあいだを渡る過酷な旅の緊張がほどけたせいか、メロとミナズキの表情は少しばかり弛緩しているようにも見える。
「メロ、それにミナズキも。二人は、わたくしが戻ってくるまで、この宮殿に逗留なさい。衣食住と、さしあたっての安全は保証できますわ」
龍皇女の指示に対して、二人の少女は顔を見あわせて、当惑の表情を浮かべる。責任感の強いメロとミナズキは、いささか拍子抜けしたようでもあった。
「アリアーナ、次元間の航図を用意ですわ。グラトニアへの『道』はわかりまして?」
「少々、お待ちくださいませ。まずは、テーブルのうえから食器を片づけるのですよ」
側近龍たちは、広い卓上のうえに所狭しと並べられた空の皿をまとめはじめる。
長旅の消耗を補うかのように、クラウディアーナは人間ぶんにして十人まえはくだらない量の料理を、ぺろりと平らげた。メロとミナズキは、目を丸くしていた。
やがて食器が下げられると、紅茶の入ったティーポットとカップがテーブルを囲む三人のまえに置かれ、少し遅れてアリアーナは古めかしい巻物を持ってきて広げる。
「これは……天文の図かしら」
黒髪の少女、ミナズキは身を乗り出しながら、卓上に現れた図面に見入る。
そこには、空に広がる星々を思わせる配置で無数の点で描きこまれ、それぞれが線で結ばれ、聞き慣れない名称が書き添えられている。
「五百年以上は昔の、古い資料ですが……これによりますと、まず我々のいるフォルティアがここ、さきほどから話にのぼっているグラトニアがこちらになるのですよ」
テーブルの中央に広げた巻物の図上の二点を指さしながら、アリアーナは説明する。
「フォルティアからグラトニアへ向かうには、こちらの次元世界<パラダイム>……カルミデスを経由する『道』が、最短になるかと」
「カルミデス! メロの街の名前なのね!!」
点と点を結ぶ線を指先でなぞるアリアーナの言葉をさえぎるように、金髪の少女が言葉をあげる。側近龍の指が止まっている中継地点は、グラトニアからほど近い。
「ディアナさま! やっぱり、メロも一緒に連れて行ってほしいのね! なにか起こっているのなら、シスター・マイアや孤児院のみんなを助けないと!!」
「でしたら、龍皇女陛下。此方も是非、ご同行させていただければ。陛下はもちろん、アサイラさまにも大恩がございます身ゆえ、最後までお手伝いをいたしたく……」
アリアーナの説明と、メロやミナズキの訴えに、クラウディアーナはしばし沈黙を守り、思案する。やがて視線をあげて、一同を見まわす。
「アリアーナと側近龍たちは、さきほど言ったとおりに……メロ、ミナズキ。そなたたちに関しては、翌朝、どうするかを伝えますわ。今夜はゆっくり眠り、疲れをとりなさい」
威厳をまとった龍皇女の言葉に対して、二人の少女と側近龍たちは緊張した面持ちでうなずきを返した。
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──チチ、チチチッ。
夜明けまえだというのに、目覚めの早い小鳥のさえずりが響く。龍皇女の庭園に豊かな生態系が息づいている証であり、クラウディアーナの自慢でもある。
陽が顔を出す直前のこの時間帯が、もっとも暗い。暗闇のなかで、上位龍<エルダードラゴン>の瞳がぎらりと光る。
クラウディアーナは、夜の帳に身を隠して、宮殿から伸びる裏道を足早に歩む。メロ、ミナズキとともに、人知れず帰還するときにも使った小径だ。
龍皇女は、夜闇に歌う小鳥の乗った枝を指先で揺らす。臆病なはずの奏者は、自身を睥睨する大きな影に気づく様子もない。『隠身』の魔法<マギア>が効いている証だ。
ドレスのスカートのすそが地面にこすれないよう、少しばかりつまみあげつつ、クラウディアーナは先を急ぐ。足音も、草が揺れる音も周囲に響くことはない。
夜空を見あげる。晴れ渡っているというのに、星の数は妙に少ない。そのなかでひとつだけ、月のごとく存在感をはなつ不吉な輝きは、グラトニアか。
魔術師ギルドの観測や『伯爵』の言葉は、おそらく正しい。ならば、大いなる災いが待ち受けている可能性は高い。メロやミナズキ、アリアーナたち側近龍を、危険にさらしたくはない。
「──ならば、フォルティアの管理者として当然の責務を果たすまでですわ」
次元世界<パラダイム>の外から迫る危機に対処するのが、管理者の務め。クラウディアーナは、決意を新たに先を急ぐ。
「ディアナさまったら、やっぱり、黙って一人でいくつもりだったのね!」
「お待ちくださいませ、龍皇女陛下……此方らも、お供いたします!」
龍皇女の道をふさぐように、茂みのなかから、ふたつの人影が飛び出してくる。クラウディアーナは思わず歩を止め、小さく飛び退く。
「メロ、ミナズキ……わたくしの『隠身』の魔法<マギア>は、二人に破られる程度ではないはずですわ……」
龍皇女の瞳は夜闇のなかでも、ふたつの人影の正体を見抜く。メロはオーバーオール、ミナズキは巫女装束といったいつもの出で立ちだ。
「申し訳ありません、龍皇女殿下……二人に、どうしても、と頼みこまれたのですよ」
草むらから、二人の少女に続いて、もうひとつ大きめの影が現れる。こちらは、姿を見るまでもなく、正体がわかる。側近龍アリアーナだ。
「龍皇女殿下は、宮殿をあとになさるさい、我々に結界の制御権限の一部を委譲されました。ゆえに、出入りをする者を詳細に把握することができるのですよ」
「なるほど……これは、わたくしのうかつですわ。メロとミナズキに出し抜かれるとは、二人とも、思った以上に成長していたのですね」
クラウディアーナは小さく笑い、その後、厳しい視線で三人を見まわす。
「わたくしたちを待ち受けているのは、おそらく死地であり、戦乱であり……いままで以上の試練ですわ。メロ、ミナズキ、覚悟はよろしくて?」
龍皇女の問いに、二人の少女は力強くうなづいてみせる。クラウディアーナは満足げに微笑み、アリアーナのほうを見る。
「アリアーナ、そなたはどうするのですか? 二人と同様、共に行きたい、と?」
君主の問いに、側近龍は首を横に振る。
「側近龍一同、我々は宮殿に残ります。そして、龍皇女殿下、メロどの、ミナズキどの……それに、アサイラどのを迎えるために、留守を全力で守るのですよ」
アリアーナの返答を聞いて、クラウディアーナは満足げなうなずきをかえす。台地のうえから降りる裏道から、白みはじめる地平線が見える。
「出陣ですわ、メロ。ミナズキ」
「はい、なのね! ディアナさま!!」
「御意にございます、龍皇女陛下」
龍皇女は、決意に満ちた表情の二人の少女を連れて、朝陽へ向かって歩きはじめる。君主たちのうしろ姿を、側近龍アリアーナは、まぶしそうに目を細めて見送った。
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