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【第2部14章】戦乙女は、夜這いを仕返す (3/3)【逢引】

【目次】

【逢瀬】

「よし、しゃんと背筋を伸ばして立て。引きずられた状態で案内することなどできないからだ」

 アンナリーヤは騒がしい母屋のドアを閉じると、腰をかがめた格好のアサイラの背中をぽんぽんとたたく。

「俺は、捕虜かなにか? まるで、逢い引きのやり方を知らない……んだったな、おまえたちは」

 黒髪の青年は背筋をのけぞらせて、身体を伸ばす。ヴァルキュリアの王女は、無表情にアサイラのほうを見つめる。

「……そういうことになる。自分ら戦乙女<ヴァルキュリア>は、姉妹しか存在しない。恋愛というものを、体験しようがないからだ」

「恋……という言葉自体は知っているのか」

「幼きころ、絵物語で読んだだけだ。初代の女王はドヴェルグの英雄と恋仲だった、と言い伝えられているからだ」

「ヴァルキュリアとドヴェルグ……仲の良かった時代もあるのか」

 それきり、黒髪の青年と戦乙女の姫君は話題につまり、黙り込んだまま並んで歩きはじめる。

 冷たく透き通った空気は、満点の星々の輝きをたたえ、足元の牧草についた夜露が光を反射し宝石のようにも見える。アンナリーヤは、もごもごと口を動かす。

「っ、つ……月が、きれいだな……ん、くしゅん!」

 アサイラは立ちすくみ、くしゃみをしたアンナリーヤのほうへ視線を向ける。ヴァルキュリアの王女は顔を真っ赤にして、伏し目がちで黒髪の青年のほうを見返してくる。

「どうした……急に。悪いものでも食べたか?」

「うるさい……ッ! 初代の女王が使ったという口説き文句を、引用してみただけだからだ……はくしゅんっ!!」

「人間、慣れないことはするもんじゃない……か」

 戦乙女の領域である雲上の浮島は、昼間こそ常春のように暖かいが、日が沈んだあとの冷えこみは厳冬のごとく厳しい。

「夜風で身体を冷やしたか。羽織っておけ、風邪を引くぞ」

 アサイラは自らのジャケットを脱ぎ、戦乙女の王女の肩にかけてやる。背中の翼に引っかからぬよう、前後逆向きだ。

 黒髪の青年の前腕にくくりつけられた魔銀<ミスリル>製の手甲が上着の下から現れ、月光を反射して神秘的な輝きを放つ。

 次元跳躍艇の修理のかたわら、牧場主の夫であるエグダルが用立ててくれたものだ。武人であるヴァルキュリアの王女は、目ざとく視線を向ける。

「魔銀<ミスリル>製とは、良い籠手を付けているな。自分たちが使うものよりも薄い造りだが、これは……ビョルン氏族の仕立てか。そういえば、シェシュの夫君の出身だったな……」

 アンナリーヤは、夜の寒さも忘れて食い入るようにアサイラの腕をのぞきこみ、流暢に武具の知識を披露をする。

「色恋沙汰よりも、武器防具の話のほうが得意か」

 アサイラは、笑う。戦乙女の姫君は、はっと顔をあげると頬をふくらませて、そっぽを向く。

「……どうせ、自分は武辺者だからだ」

「そんなところでへそを曲げてどうする。風邪をこじらせたいのか?」

 いつもの倍ほどの時間をかけてたどりついた離れの扉を、アサイラは開く。牧場主夫妻の手によるものか、寝具は整えられ、暖炉のなかでは柔らかい炎が揺らめいている。

 一瞬だけ躊躇する様子を見せたアンナリーヤも、黒髪の青年に促されるまま室内に足を踏み入れる。

 ドアを閉めたヴァルキュリアの王女は、室内のぬくもりに包まれて、ほっとため息をつく。天空城から牧場まで、寒さを耐えて飛んできたのだろう。

 アサイラは、小型の丸テーブルのうえに置かれた魔法<マギア>仕掛けのカンテラに手をかざす。青年の意志に応じ、ガラスの内側で、ぽっと明かりが灯る。

(こいつの扱いにも、ずいぶんと慣れてしまった……か)

 黒髪の青年は、胸中で独りごちる。思えば、相当この次元世界<パラダイム>に長居した。この離れも、すっかり自分の部屋となってしまった。

(名残惜しいと思う……ってことは、やはり、そろそろ去り時か)

 アサイラは、ヒポグリフ革のベルトで固定された前腕の手甲を外す。魔銀<ミスリル>製の武具は羽のごとく軽いが、女性の柔肌に触れる邪魔となるだろう。

「アンナリーヤどの、念のため確認しておくが……いいのか、本当に」

 黒髪の青年は振り返りつつ、戦乙女の姫君に問う。暖炉の炎で多少は身体が温まったのか、ヴァルキュリアの王女はアサイラのジャケットをいすの背もたれにかける。

「本来であれば、自分の側から貴殿にただすところだが……愚問だと返しておこう。自らの意志でここに立っていることが、答えに他ならないからだ」

「……わかった」

 暖炉のなかで火がはぜるなか、アサイラのズボンのベルト外す金属音が、かちゃかちゃと室内に響く。

 黒髪の青年の下半身は、靴のほかは下着と、手甲とセットでしつらえられた魔銀<ミスリル>のすね当てのみとなる。アサイラは足の防具を外そうと身をかがめる。

「待て……!」

「……グヌッ!?」

 急に近づいてきたアンナリーヤが、アサイラの肩を突き飛ばす。黒髪の青年は、寝台のうえで尻もちをつく。

「貴殿のすね当ては……自分が外させてもらう」

 ベッドの縁に座るような体勢となった黒髪の青年のまえで、戦乙女の姫君がひざまずく。アサイラは、その姿をいぶかしむ。

「そんなことをして……いいのか?」

 眼前のアンナリーヤの、主人である騎士の防具の着脱を任された侍女がごとき格好を見て、黒髪の青年が問う。

「貴殿の懸念も、もっともだ。いま、自分はヴァルキュリアの王女にあるまじき行為をしているからだ」

 戦乙女の姫君は細くしなやかな指で、すね当てを固定する金具を外そうとする。普段は、逆の立場だからだろう。アンナリーヤの手つきは、ぎこちない。

「かつてドヴェルグの女たちは、戦から帰ってきた夫の防具を外す習慣があったと聞く。今宵一時、貴殿には自分のことを姫ではなく、対等な女として見て欲しいからだ」

「アンナリーヤどの……」

 アサイラが名前を呼ぶと、ヴァルキュリアの王女は、きっ、と上目遣いに黒髪の青年をにらみつけ、すぐに自分の手元へ視線を落とす。

「アンナ、と呼んでくれ……アサイラ」

「……アンナ。おまえたちは、自分の母親を助けるため、俺たちの船を利用するつもりじゃなかったのか?」

「気が変わった。自分個人の考えであり、姉妹の創意ではないが……己のことは、自身の力で解決するのが当然のことだと思ったからだ」

 黒髪の青年が自分でする倍ほどの時間をかけて、すね当てがようやく外れる。アンナリーヤは、手甲と並べて丸テーブルのうえに置く。

 暖炉の炎の光とカンテラの灯火が、磨きぬかれた魔銀<ミスリル>の表面で混じりあい、艶めかしい色合いの輝きを反射した。

【第15章】

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