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【第2部11章】地底にある星 (1/16)【降下】

【目次】

【第10章】

──ヒュオオォォォ……

 吹雪が荒れすさむなか、一頭のヒポグリフが厚く灰色の雲のしたを飛翔している。鞍と手綱がついていることから、飼い慣らされた乗騎とわかる。

「バッド……と思ったが、このていどの悪天候、ここでは日常茶飯事か。浮島の常春気分に、すっかりたるんじまっただろ」

 ヒポグリフ毛皮の防寒具を身にまとった、手綱を握る人影のフードの奥から、女の声が冷たい嵐のなかに響く。

 鷹馬の背にまたがる人影は三つ。御者と最後尾に座る二人に挟まるように、小柄な人影が座っている。

「ララ、しっかりつかまっているんだな。落ちたら、助けられない」

「もちろん、わかっているってことね! ああ、ドヴェルグ族の坑道を見られるなんて、本当に楽しみ!!」

 強風の音に混じって一番後方から聞こえる女の声に、まんなかから快活な少女が返事をする。

 どこか浮き足だった様子で、小刻みに身体を動かすララの感触が、手綱を握るナオミの背中に伝わってくる。

 御者は小さくため息をつくと、ヒポグリフのバランスにいっそうの注意を払う。吹雪の含んでいる潮の臭いが、シルヴィアの嗅覚に頼るまでもなく、わかる。

 鷹馬の背にまたがっているのは、先頭から順にナオミ、ララ、シルヴィアの三人だ。

 一行は、次元跳躍艇『シルバーコア』の修理に使う魔銀<ミスリル>を調達しようと、ドヴェルグ族の居住区を目指して凍原へ降りてきた。

 よそ者であるナオミたちがドヴェルグ族と接触することに、当初ヴァルキュリアたちは難色を示し、交渉には時間がかかった。

 とはいえ、牧場主夫妻のエグダルが、ドヴェルグの部族のひとつであるビョルン氏族、その長の弟であったのは幸いだった。

 少なくとも、牧場主夫妻は、一貫して協力的だった。ナオミの懐には、エグダル直筆の紹介状がおさめられている。

 赤毛の御者は手綱を操作し、地表が見える高度までヒポグリフを下降させていく。三人の重量をものともせず、有翼の魔獣は悠々と吹雪のなかをすべる。

「……とはいえ、ララは別に来る必要はなかっただろ。なんなら、ウチ一人でも十分なくらいだ」

 ナオミは、独りごちる。止むことのない吹雪ごしに、地表が見えてくる。ごつごつとした灰色の凍原に、亀裂のように渓谷が伸びる。

「船の修理担当として、マテリアルの質の確認は欠かせないってことね。せっかく取ってきてもらって使えませんでした、じゃ話にならないでしょ?」

 二人の年上の女性に挟まれたララは、凍死と転落死がとなりあわせの環境にもかかわらず、楽しそうにばたばたと両足を振る。

「バッド。わかりやすすぎるウソだろ、ララ。社会見学が待ち遠しいって、全身で言ってるぜ?」

「わあっ、ばれちゃった? でも、材料の検品が大事というのも、本当のことね!」

「ララ、いい加減はしゃぎすぎで危ないのだな。『狩猟用足跡<ハンティングスタンプ>』で固定するぞ?」

 フードのなかに狼耳を隠した獣人娘──シルヴィアが、興奮する少女の頭を厚手の手袋ごしにぽんぽんとたたく。

 同時に、その肉食獣の瞳は氷雪の大地にあやしい影がないかを探っている。魔獣のたぐいや、交渉相手のドヴェルグ族に攻撃されてはたまらない。

「しかし、まあ……あの頑固なヴァルキュリアたちが、よくウチらに許可を出したもんだろ」

「交渉を取り次いでくれた、奥方と御亭主に感謝だな。だけど……そのためにマスターとリーリスは人質になった」

 前方に視線をすえたままのナオミに対して、背後からシルヴィアが返事をする。一行の中心人物であるアサイラとリーリスは、いま、天空城にいるはずだ。

 よそ者が魔銀<ミスリル>を欲すること、そのためにドヴェルグと接触することに、天空の支配種族である戦乙女は、簡単に首をたてにふらなかった。

 要望を伝えてから何日も待たされ、最終的に許可がおりたとき、同時に告げられたのがアサイラとリーリスの天空城への招待だ。

 名目上、賓客ということだったが、相手の本丸への連行だ。保護されている立場のうえ、無理を言いだしたのはこちらが先では、断れない。

 妙なことをされないための人質と考えたほうが、しっくりくる。シルヴィアだけではなく、ナオミもそう考えている。

「いま、誰かが一人になるのは危ない、ってことね!」

 自分たちの現状を理解しているのかいないのか、ララは朗らかな声をあげる。

 こうして三人が連れだって地表を目指している理由ではあるが、少女にしてみれば退屈な留守番をまぬがれ、好奇心を満たす絶好の機会となった。

「バッド。ララがそんなにお気楽だと、調子が狂うだろ……そうでなくたって、ウチは腹芸が苦手なんだ」

 これから交渉に臨むとあれば、正直、人心の機微に通じたリーリスのほうが同行者としてありがたい。ナオミの偽らざる気持ちだ。

「ナオミは、手綱に集中するのだな。ララの面倒は、こちらがしっかりやる……ほら。あれがエグダルさんの言っていた目印じゃないか?」

 地表すれすれを滑空するヒポグリフのうえから、シルヴィアは渓谷の曲がり角を指さす。寒風に吹きさらされて、ぼろぼろになった革製の旗が踊っている。

 ナオミは有翼の乗騎を旋回させると、氷河のひび割れのごとき谷間の底へ、ゆっくりとホバリング下降していく。

 鷲馬のひづめとかぎ爪が、雪だまりに着地する。御者が手綱を緩めると、ヒポグリフは顔についた雪を払うように、ぶるぶると首を左右に振る。

 シルヴィアは、ララを背負って乗騎のうえから飛び降りる。ナオミは周囲の崖を見まわす。ごつごつとした岩肌に、坑道の入り口らしき横穴は見あたらない。

「──動くなッ! おまえたち、なにをしにきた!?」

 突然、なにものかの声が渓谷に響く。岩影、旗の下あたりだ。シルヴィアは、馬上のナオミに目配せをしつつ、歩みを止める。赤毛の御者は、うなずきをかえす。

「ビョルン氏族の首長は弟君、エグダルどのからの紹介状を持っている! 取り次ぎを頼みたい!!」

 ナオミは、かつてイクサヶ原でサムライをやっていたころの名乗りを思い出しながら、大声を張りあげる。

 少しの間をおいて、岩影からピッケルやハンマーを手にした数人のドヴェルグたちが顔を出した。

【珍客】

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