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【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (14/16)【蚕食】
【潜在】←
「許すことは、到底、できない……ぼくと『ドクター』の対話の邪魔をした対価は、高くつくだろう……『淫魔』!」
モーリッツは、目にも止まらぬ速度でタイピングを開始し、中央制御システムを直接、動かしはじめる。膨大な電子情報をスキャンし、潜りこんだ異物を洗い出す。
サブモニターで監視している『ドクター』が、『塔』の通路を走っている。男は、ノンフレーム眼鏡越しに、苛立ちげに一瞥する。
256あるコピー脳のひとつが、白衣の老科学者を先に処理するプランを提案する。モーリッツは、即断で却下する。
一瞬、『脳人形』の兵士たちを『ドクター』の迎撃に向かわせる案が脳裏を去来し、ノンフレーム眼鏡の男は、このアイデアも振り払う。
「これは、ぼくと『ドクター』の決闘だ……ならば、先に排除すべきは邪魔者のほうだろう……!」
まばたきひとつせずに凝視するモニターには、濁流のごとく無数の文字列が走り抜けていく。リアルタイムに変動する電子情報のなかから、モーリッツはバクテリアのようにシステムに潜りこんた異物を見つけだす。
「KILL──ッ!」
ノンフレーム眼鏡の男は、中指で勢いよくエンターキーを打鍵する。手術刀のごとき鋭利な抹殺プログラムが起動し、悪性電子情報をピンポイントで摘出し、消滅せしめようとする。
「やったか! いや……」
一瞬、快哉をあげかけたモーリッツは、息を呑む。プログラムは、異物の排除に成功したとノーティスをかえす。インターフェイスの応答を信用せず、操作者はモニター上の電子情報を奔流をにらみ続け、状況の把握につとめる。
「手応えは、あった。そして違和感も、だ……『淫魔』の能力は、精神感応と電脳潜行、それに幻覚……なるほど、システムもだませるのだろう……」
ノンフレーム眼鏡の男は、液晶画面に顔をつきあわせたまま、キーボードをたたき続ける。他人も、機械も、あてにはならない。信じられるのは、己のみだ。
わずかに歯車がずれたような感覚をたよりに、モーリッツはいまだ制御システムのなかに潜み続ける侵入者の痕跡を探し続ける。雌蜘蛛の引く細い糸をたどり、その先へ向かおうとしたとき──
『Alert、Alert、AlertAcceptAlertrctAcleApet』
『Reject、Reject、RejectRetryRejecteRttycRjree』
『Success、Success、SuccessSuccubusSuccesscsSuuucbesuscSc』
ポリマー製のシリンダー内で人工髄液に浮かぶ、本来であればモーリッツを補佐するはずの256個のコピー脳たちが、てんでデタラメな操作と報告をはじめる。
「『淫魔』の精神感応能力にやられたか! 煩わしいにもほどがあるだろう……消えろ、『脳髄残影<リ・ブレイン>』ッ!!」
ノンフレーム眼鏡の男は、鬼の形相を浮かべながら、振りあおぎざまに右手をかざす。蛍光色の液体のなかにたゆたっていた脳髄たちが、塵のごとく分解し、はじめから存在しなかったかのように消滅する。
もし精神体の『淫魔』が、256個のコピー脳のいずれかに潜りこんでいたのならば、巻き添えとなって一緒に消滅するはずだ。だが、モーリッツは楽観視をしない。
「セフィロトに刃向かいながら、本社崩壊まで生き延びた、したたかなコウモリ女だ……到底、この程度で始末はできないだろう……」
やせ気味の男は、人差し指で眼鏡のつるを押しあげると、ディスクの引き出しを乱暴に開く。なかから、脳波操作ヘルムを取り出し、自らの頭部に装着する。
「片手間で処分できる相手ではない、ということは、あらためて理解した……『ドクター』を迎えるまえに、全力で排除してやる……ッ!」
モーリッツの精神が、電脳ネットワークへダイブする。無数の文字列が左巻きの螺旋を描く空間のなかに、ノンフレーム眼鏡をかけたやせ気味の男の姿が現出する。
モーリッツの電脳体の指が、ヴァーチャルキーボードを叩き、物理操作を遙かに凌駕する速度でシステムをコントロールする。探査プログラムを起動し、『淫魔』の位置座標を補足する。
中央制御室の管制者に発見されたことを、向こうも気づいたのだろう。電子情報の塊に身を隠すように旋回していた毒婦は、モーリッツのもとへ一直線に飛翔するように方向転換する。
「話が早いだろう。悪くない……確実に、しとめてやるッ!」
前屈みになって『淫魔』を待ち受けるノンフレーム眼鏡の男は、複数の攻性プログラムを立ちあげ、待機状態で維持する。禍々しい文字列たちが、魔法陣を思わせる様相でモーリッツを中心に回転する。
電子空間における概念的距離が、視覚に変換されて脳へと流れこんでくる。はじめは黒点のようだった『淫魔』が、ぐんぐん接近してくる。背から伸びたコウモリのごとき翼を視認できる。
「まだだ。到底、回避されるだろう……確実に消滅せしめる距離まで、引き寄せるッ!!」
戦闘機を思わせる速度で、『淫魔』は近づいてくる。いまや、はためくイメージの濃紫のゴシックロリータドレスまで見てとれる。悪趣味なデザインだ。モーリッツには、理解できない。
「KILL! KILLKILLKILL……KILLッ!!」
ノンフレーム眼鏡の男が、叫ぶ。ともすれば一瞬で懐まで潜りこまれかねない概念距離まで、相手を待ち受けたモーリッツは、アイドリング状態の攻性プログラムを一斉に解き放つ。
うごめく文字列が、無数のミサイルのイメージに変換されて、侵入者に向かって殺到していく。『淫魔』が、目を見開く。回避運動をとるような素振りを見せるが、間にあわない。
「到底、迎撃する余裕などない、とでも思っていたのか? まったく、気にくわない……『ドクター』といい、『淫魔』といい、ぼくのことを侮りすぎだろう!」
漆黒の翼で身を外套のようにまとい、侵入者は防御姿勢をとる。電子情報の弾頭が、着弾する。無数の文字列をまき散らしながら、まばゆい閃光が電脳空間にほとばしる。
モーリッツは、ヴァーチャルキーボードのホームポジションに指を置いたまま、『淫魔』の動向を注視する。やがて、電子情報の爆炎の晴れていく。
ゴシックロリータドレスの侵入者は、背中から生えた翼を引きちぎられて、失速し、電脳空間を漂っている。
いまの斉射でしとめきれなかった。ノンフレーム眼鏡の男は、小さく舌打ちしつつ、タイピングを再会する。それでも、機動力は殺いだ。次は、確実に排除する。
無重力空間に放り出された宇宙飛行士のように浮遊する『淫魔』は、上下反転した状態でモーリッツと目があう。その口元が、にやりとゆがむ。
「──ッ!?」
ノンフレーム眼鏡の男は、息を呑む。ゴシックロリータドレスの侵入者の背中から。まるで何事もなかったかのように2枚の黒翼が現出する。モーリッツの目をくらますように、『淫魔』は急発進し、電脳空間をジグザグに飛翔する。
「いまのダメージを、瞬時に再生したというのか!? いや、到底、ありえない……最初の翼は、ダミー、兼、防御プログラムか! 『ドクター』が用意したというところだろうッ!!」
「ぬふっ。ご明察……」
女の甘ったるい声が、電脳空間にこだまする。ノンフレーム眼鏡の男は、歯噛みする。モーリッツが起動準備している攻性プログラムの間合いの内側へ、するりと『淫魔』は潜りこんでくる。
ノンフレーム眼鏡の男は、とっさに防壁プログラムへ起動を切り替えようとする。それよりも早く、ゴシックロリータドレスの侵入者はやせ気味の情報体の首に両腕をまわし、接吻をほどこそうとする。
モーリッツの意識が、現実に引き戻される。ノイズの走るモニターから『淫魔』の上半身が這い出し、ノンフレーム眼鏡の男と唇を重ねている。
毒々しい甘味感が流れこみ、モーリッツの精神をかきまわす。ゴシックロリータドレスの侵入者は、挑発的な眼差しを向け、やせ気味の男はにらみかえす。
(『淫魔』の……精神感応能力ッ! このまま、ぼくの脳から情報を引き出そうという算段だろう……そうは、させる、もの……か!!)
モーリッツのこめかみに、青筋が浮かぶ。ゴシックロリータドレスの侵入者は、なにかを察して目を丸くすると、唇を離し、ノンフレーム眼鏡の男の肩を突き飛ばす。
仰向けに、モーリッツの身体が倒れこんでいく。征騎士序列2位の男の頭蓋は、小さな爆発音とともに破裂した。
→【暗中】
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