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【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (15/16)【暗中】

【目次】

【蚕食】

「なんとなればすなわち……じつに奇妙な光景かナ」

 中央制御区画へ足を踏み入れたドクター・ビッグバンは、抑揚のない声でつぶやく。『塔』の管理を任された技術局長によって召集された無数の兵員たちが、通路の至る所に倒れ伏している。

 甲冑型パワードスーツに身を包んだ重装兵から、より軽量の装備にとどめた警備兵まで、ひとりの例外もなく通路のうえに転がっている。

 兵士たちに誰かの襲撃を受けた傷もなければ、互いに争った形跡もない。呼吸をしている様子も、脈拍を打っている気配もなく、当然、白衣の老科学者の進路を妨害することもない。

 彼らは、征騎士序列2位モーリッツのコピー脳を頭部に移植された『脳人形』たちだ。『脳髄残影<リ・ブレイン>』が解除されたいま、思考中枢となる器官は消滅し、もはや二度と立ちあがることはない。

「死屍累々といったありさまかナ。隔壁が開いているところを見るだに、リーリスくんが上手くやってくれた、と見るのが妥当だが」

 白衣の老科学者は、動かなくなった甲冑兵を飛び越えながら、中央制御室にたどりつく。導子ハッキングでロックを解除しようとすると、内側からひとりでに扉は開かれる。

「遅かったじゃないの、『ドクター』?」

 ドクター・ビッグバンを出迎えたのは、濃紫のゴシックロリータドレスに身を包んだ女──リーリスだった。中央制御室のディスクのうえに腰かけ、手持ちぶさたに足をぶらぶらと揺らしている。

「ミュフハハハ。このワタシは、見た目相応の老体かナ。アサイラくんやシルヴィアのような若人の身体能力と比較するのは、無理がある」

「まえから気になっていたんだけど……あなた、何歳なんだわ?」

「なんとなればすなわち、その質問、キミにかえしてもかまわないかナ?」

「……グリン。レディに年齢を尋ねるとは、いい度胸だわ」

 不適な笑みを浮かべる白衣の老科学者に対して、机のうえのリーリスは肩をすくめてみせる。

「それはそうと、あなたが到着するまでのあいだに私がデータのサルベージをしなくてもよかったわけ?」

「モーリッツくんが、強毒性の電脳ウィルスを残している可能性がある。専門家であるこのワタシに任せてもらいたい……なんとなればすなわち、彼はどうなったかナ?」

 ドクター・ビッグバンの問いを受け、リーリスは親指を立て、無言で自分の背後を指ししめす。白衣の老科学者は、自身からは死角となっていたディスクの背後へとまわりこむ。

 表情を変えることなく、ドクター・ビッグバンは床を見おろす。そこには、首からうえがきれいに消滅したモーリッツ・ゼーベックの死体が、仰向けに倒れこんでいた。

「ずいぶんとウブな男ね。唇をくっつけたら、舌を入れるまえに自爆しちゃった……おかげで、ロクな情報も引き出せなかったのだわ」

 白衣の老科学者と背中あわせのまま、リーリスは中央制御室の高い天井をあおぐ。ドクター・ビッグバンは、かつての教え子であり同僚であった男の首なし死体に歩み寄ると、片ひざをつく。

「なんとなればすなわち、モーリッツくん。いま、ここに告白させてもらおうかナ。このワタシは誓って、一度たりともキミを見くびったことはない……」

 つい先刻まで監視カメラと館内放送ごしに殺しあいを演じていた相手に対して、白衣の老科学者は頭を垂れる。

「……キミは、天賦の才を持つ工学者だった。ともすれば理論に偏りがちなこのワタシやララとは違い、理論と実践を結びつける力があった。なんとなれば、いずれ新しいタイプの導子学者となるだろう、とひそかに心を躍らせていたかナ」

 黙祷するようにまぶたを閉じるドクター・ビッグバンに対して、リーリスは顔をあわせることなく、わざとらしいため息をつく。

「グリン。『ドクター』、あなたねえ……いまの言葉、セフィロト社時代に言ってあげればよかったんじゃないの?」

 白衣の老科学者は、ゴシックロリータドレスの女の背に対して、アイロニーに満ちた笑みを浮かべる。

「リーリスくん。もし、キミの言うことが叶っていたのならば……なんとなればすなわち、セフィロト社は、より強固な組織になっていたかナ?」

「あー……それはそれで困るのだわ」

「まったく、歳をとればとるほどに己の未熟を突きつけられる。このワタシは、ウォーレス教授のようにはいかないかナ……」

「誰だわ、それ?」

 ドクター・ビッグバンは、ハンカチーフを取り出し、モーリッツの頭部があっただろう場所にかけると、立ちあがる。

「なんとなればすなわち、だ……理解に苦しむのは、グラトニア帝国のスタンスかナ。機密保持のためとは言え、モーリッツくんという貴重な導子技術者を見殺しにした。ここは敵の拠点、しかも戦力には余力があるだろうにも関わらず、だ」

 かつかつ、と靴音を鳴らしながら、白衣の老科学者はふたたびリーリスと対面するようにディスクをまわりこみつつ、話題を変えるように、現状に対する疑問を口にする。

「グリン。それは私も思っていたのだわ。艦への攻撃といい、なんというか……なりふりかまっていないというか、まるで、この戦いのあとのことを考えていないみたいというか……」

──ガゴォンッ!

 ゴシックロリータドレスの女の言葉をさえぎるように、中央制御室が、『塔』全体が大きく揺れる。直後、照明が落ちて、リーリスとドクター・ビッグバンの周囲は暗闇に包まれた。

【模索】

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