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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (5/16)【剣戟】

【目次】

【名乗】

──ガッ、キイィィン!!

 業物の刃同士のぶつかりあう音が、天上まで届く勢いで甲高く響く。トリュウザに対して、わずかにフロルの踏みこみが遅れたのか、異形の刀身がはじかれる。

 しかし、少年が初老の剣士に対して、おくれをとっているわけでは決してない。その証拠に、両者の得物はともに、わずかながら刃こぼれする。

「つ──ッ!」

 龍剣解放の境地へ到達しているフロルは、武器と感覚を共用しており、刀身の欠けも鋭い痛みとして伝わってくる。その点の条件はトリュウザも同じはずだが、見るかぎりは涼しい表情を浮かべている。

 初老の剣士の足が、ふたたび地面を蹴る。なめらかに滑るように上半身が動き、瞬く間に、少年との間合いを詰めてくる。若年の騎士は、負けじと体勢を立てなおしつつ、己の得物を振るう。

 ドラゴンの骨から鍛えあげられた刀剣同士がぶつかりあい、火花を散らす。対峙する両者は、鍔競り合いの体勢となる。

「花は桜木、人は武士……セフィロトの手による『龍剣』、いかほどのものかと思っていたが……なるほど、なかなか悪くない業物にて御座候」

「ぐっ、ぬぬぬ……」

 トリュウザの涼しい声に、フロルは返事をするどころではない。体格と膂力で勝る初老の剣士のほうが、至近距離での圧しあいでは有利だ。小柄な少年は、力ずくで足場に押し倒されそうになりながら、どうにか踏みとどまる。

 圧倒的負荷に、ふくらはぎが震えている。このままでは、剣戟を交わすまでもなく膝を折り、身を伏せることになる。相手の力を、どうにか左右にいなし、反撃の端緒につなげなければ。フロルが、そう思ったとき──

「──ッ!?」

 急に、自分を圧す力が無くなる。少年が、いぶかしがる間もなく、コンマ秒のうちに大きな衝撃が襲う。だんっ、と踏みこむトリュウザの足音が、遅れて聞こえてくる。

「ぎゃむ……ッ!!」

 初老の剣士は、長尺の刀の柄を握る拳で、シンプルにフロルを押した。少年は、よろめきながら、3歩ほど後退する。とっさに異形の剣をかまえなおしながら、双眸を見開く。

 フロルの眼底は、禍々しく淀んだ幾本もの曲線を捉える。第六感が捉えた、トリュウザの殺気だ。ほぼ同時に初老の剣士の斬撃が走る。少年は、反射的にバスタードソードを振るい、相手の刃を受け止める。

「……あグ!」

 重く、速く、そして鋭い。トリュウザの暴風のごとき無数の剣筋を、フロルの眼は追いきれない。反射と直感に頼って防御しつつ、少しずつ後退する。

 初老の剣士が握る刀の間合いは、長い。簡単には、逃れられない。永遠に感じられる斬撃を浴びせられ続け、少年は己の剣で必死にさばき続ける。

 かろうじて、致命傷を避ける。長尺の刀の切っ先が頬をかすめ、血がつたい、熱風にあおられて即座にかさぶたと化す。体幹が、徐々に乱れていくのを自覚する。

(このままじゃ、そう保たずにやられる。大見得切っておいて、このざまじゃあ……どうにかして捉えるんだよ。トリュウザさまの、斬撃を……ッ!)

 フロルの脳裏に、不機嫌そうなヴラガーンの横顔が、真剣な眼差しの戦乙女の視線が去来する。グラトニア・レジスタンスの同士たちの顔が、帝国となったあとの市民たちの姿が思い起こされる。

 火傷するほど高温の上昇気流を、背中に感じる。足場となっている鉛色の巨蛭の背とて、その面積は有限だ。このまま後退し続ければ、いずれ灼熱の大地に落下して、塵芥のように死ぬ。

(いま、僕は、最強の征騎士と戦っているんだ。出し惜しみなんて、する理由はない……使えるものは、全部使うんだよ……持っているすべてを!)

 初老の剣士が放つ殺意を、かろうじて受け止めながら、少年は己を叱咤する。

 剣を握る両手は、トリュウザの年齢からは想像もつかない膂力と正確性を備えた剣撃を叩きつけられ、じんじんと痛みを感じる。

 ただでさえ高密度のドラゴンの骨を、さらに圧縮と研磨をくりかえして産み出された『龍剣』の刃同士のぶつかりあう甲高い音が、フロルの両耳に反響する。

(剣の動きを視力で追えきれなくとも、耳と肌で感じ取っている情報もある……ほかの感覚は、どうなんだよッ!?)

 少年は、自分自身に問いかける。嗅覚が、熱波に焦がされる頭髪と外套の臭いを伝えてくる。刃がこすれあって飛散した微粒子の、ざらつく殺意を孕んだ味を、舌のうえに拾う。

 必死にバスタードソードを振りまわすフロルの脳裏で、五感の捕まえた情報が統合され、立体的に再構築されていく。第六感が彩色を加えれば、リアリティが増していく。

「こう……か!」

「む……っ?」

 目にも止まらぬ無限の剣さばきを、表情を変えることなく繰り出していた初老の剣士は、わずかに口元を動かす。少年の防御の仕方が、わずかに変わる。

 異形の刀身を持つバスタードソードが、長尺の刀を真正面からではなく、ほんの少しの角度をつけて受け止めていた。衝撃の一部が、剣先へと流れ、逃れていく。フロルの足の後退が、止まる。

「さらに……こうッ!」

「……ぬぬ!」

 トリュウザの次なる斬撃を、少年の剣が受け止める。小柄な身体が、くるりと回転して、フロルは足を払うように刀身を振るう。初老の剣士は小さく跳躍して、反撃を回避する。

「花は桜木、人は武士……若人、見事な一振りにて御座候」

 長尺の刀を振りかぶったトリュウザは、着地の勢いを乗せてたたきおろす。フロルは、剣と自分の体幹を大きく傾け、衝撃を逃がす。

 あと半歩下がれば、足場から滑落する。巨昼の背の端まで追いつめられながら、それ以上、少年が退くことはない。対峙する両者は、どちらからともなく剣戟を止め、互いににらみあう。

(……遠いんだよ)

 フロルは、独りごちる。先刻まで密着していたと思ったトリュウザの姿が、いまは、あまりにも離れて見える。

 初老の剣士が振るう長尺の刀は、少年の身の丈ほどの長さをほこる。守りから攻めへ転じるために今度は、さきほどまで必死に逃れようとしていた広い間合いの内側へ、潜りこまなければならない。

(それでも……まえへ進まなければ、どこにもたどり着けないんだよ!)

 フロルは互いの呼吸の間隙を突き、剣先を相手に突きつけたまま、前方へ向かって踏みこんでいく。トリュウザは、ふう、と小さく吐息をもらす。

「花は桜木、人は武士……短い期間ながら、よくぞここまで鍛えあげた。その場、その場でよく見、考え、学んでいる。しかして……いささか、素直すぎる剣筋にて御座候」

 初老の剣士は、長尺の刀の柄から左手を離すと、己の襟首にまわす。迫り来る少年に向かって、勢いよく腕を振るう。

「……ぎゃむッ!?」

 フロルが、うめく。足元がもつれ、歩調が乱れる。トリュウザが投げつけたのは、彼の背負っていた征騎士のマントだった。赤い外套が、少年の頭部に巻きつき、視界をふさぐ。

(落ち着け……もとから、目で剣筋は追えていないんだよッ!)

 平静な心と鋭敏な感覚を保とうと、フロルは自分に言い聞かせる。初老の剣士が振るう長尺の刀の風圧が、聴覚と触覚を通じて伝わってくる。殺意の味と臭いが、濃くなってくる。下方向から斬りあげる、逆袈裟とも呼ばれる一撃だ。

「ここ、だよッ!」

「……ほう?」

 両手に力をこめて、フロルは剣先を落とす。トリュウザは、感心したように嘆息をこぼす。『龍剣』の刃同士のぶつかる衝撃が、びりびりと少年の腕に伝わり、肩へと抜けていく。

 それでもフロルの膂力は、トリュウザに大きく劣る。このままでは、少年のバスタードソードはかち上げられ、返す刀で胴体を両断されるだろう。

 初老の剣士の斬り上げを押し止めるために両足を踏みしめようとはせず、あえてフロルは足場を蹴る。トリュウザのみなぎる膂力によって、少年の身体は剣ごと宙に浮く。

「ほほうッ!」

 昂揚した初老の剣士の声音が、フロルの耳に届く。てこの原理を利用して、みずから上方へ打ちあげられた少年は、空中で身軽に一回転すると、トリュウザの背後を奪うように着地した。

【対話】

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