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【第2部29章】至高の騎士、最強の刃 (6/16)【対話】

【目次】

【剣戟】

「たあッ!」

「ぬんっ!」

 着地と同時に、フロルは右腕を伸ばして剣を振るう。視覚を封じられてはいるが、第六感の導くとおりならば、切っ先が首筋を捉えるはずだ。

 少年の耳と指先に、肉を斬り裂く感触の代わりに、刃同士がぶつかりあう硬質な響きが伝わってくる。トリュウザが、長尺の刀でフロルの剣撃を受け止めた。

 初老の剣士の足音は、聞こえなかった。おそらく、背を向けたままの体勢で一撃をはじいた。目を向けずとも360°隙がない、なんという剣さばきか。少年は、舌を巻く。

「ぬぅん!」

「──ッ!」

 踏みこみの振動が、あらためて足元から伝わってくる。トリュウザが、こちらへ向きなおりつつある。殺意を孕んだ風切り音が、振り向きざまの斬撃の襲来を、フロルに教える。

 少年は三歩、大股で跳び退き、初老の剣士の刃を回避する。一度は、巨蛭の背の端まで追いつめられたフロルだが、トリュウザの背後を奪うことで、足場に余裕ができた。

 間合いを切った少年は、ようやく顔に巻きついた真紅の布をはぎとる。初老の剣士から投げつけられた征騎士のマントは、熱波にあおられて見る間に灰と化す。

「花は桜木、人は武士。いまの差し合いを、五体満足で切り抜けるとは……若人、見事にて御座候」

 どこか嬉しくてたまらないといった声音でつぶやきながら、トリュウザは長尺の刀を構えなす。対するフロルは、片手で剣をぶらさげ、切っ先を足場に向けている。

「トリュウザさま……僕たちは、こうして斬りあわなくてはならないのですか?」

「……ふむ?」

 少年の問いかけを聞いて、初老の剣士はいぶかしげに眉根を寄せる。トリュウザの殺気を、びりびりと全身で受け止めながら、フロルは前のめりとなる。

「僕は、グラトニアの、ほかの次元世界<パラダイム>を踏みにじる、グラー帝の暴虐を止めたいだけ……トリュウザさまと戦う理由は、ありません。できることなら……僕とともに、グラー帝と戦っていただきたいくらいです」

「ははは……なにを言い出すかと思えば、若人」

 滑稽だ、と言わんばかりに、トリュウザは含み笑いをこぼす。誠心誠意、腹の内を言葉にしたフロルは、馬鹿にされたように感じて少しばかり不機嫌となる。

「……トリュウザさまほどの剣士がなぜ、唯々諾々とグラー帝に従うのですかッ!?」

「若人、異なことを聞く……騎士も、武士も、主君の勅命には従うものにて御座候」

 まるで辞書を引いたような無感情な返答を口にする初老の剣士に対して、少年は苛立ちを覚える。一寸でも間合いを見誤れば即、首が飛ぶ視線をまえにして、フロルは身を乗り出す。

「それは違う! 主君が王道に反する行いをしたとき、それを制止し、正すのが真の騎士のはずだ! イクサヶ原の武士だって……!!」

「……ふぅむ」

 少年の必死の主張に対して、トリュウザは顎の下をさすりながら、悠長に思案するような素振りを見せる。フロルは、少しばかり拍子抜けする。

「ああ、なるほど……騎士とは、武士とは、そのようなもので御座候……この齢になるまで、某、ついぞ知らなんだ」

「トリュウザさま……?」

 少年は、戦いの途中であることも忘れて、一歩踏みだそうとする。風切り音をともなって長尺の刀が円弧を描き、フロルは慌てて首を引っこめる。

「若人、死合の最中にて御座候……某、己のことをサムライだと思ったことは、ない……武士になり損ねた男よ。ただ一介の人斬りなり。修羅であれば、人以外も斬るがな」

 少年は我に帰り、己の得物である異形の剣を、とっさに構えなおす。初老の剣士の斬撃がすぐに飛んできて、刃同士がこすれあい、空中に火花を散らす。

「若人のごとき、大層な大義名分……某には、ない。ただ強者と対峙し、斬りあうことこそ、我が本懐にて御座候」

「だったら、なおさら……! 僕と一緒に、グラー帝と戦ってほしいんだよッ!!」

 トリュウザの重く、正確な一振りが、フロルの剣をはじく。少年は、初老の剣士の斬撃をいなしつつ、相手の勢いを利用して次なる攻め手を迎え撃つ。

「花は桜木、人は武士。その申し出は、半年ほど遅く御座候……某、皇帝陛下と戦う約定は、すでに取りつけておる」

 フロルは、トリュウザの言葉を疑問に思う。いずれグラー帝と戦うというのならば、なぜ、いまは従っているのか。

 互いの刀身を何度も激しく打ちあわせながら、少年の心情を察したかのように、初老の剣士は唇を動かす。

「いままさに皇帝陛下は、宇宙に存在するすべての次元世界<パラダイム>をグラトニアのもとに融合しようとしてる最中にて御座候」

「それが……どうしたって言うんだよッ!」

「花は桜木、人は武士。我が願いは、まだ見ぬ修羅と死合うことにて御座候。すべての次元世界<パラダイム>がひとつにまとまれば、探す手間は省ける。某とて、もう若くはないからな……」

「……くうッ!?」

 トリュウザの剣戟の速度が一段階、増す。フロルは体勢を崩しつつも、どうにか喰らいつく。

「強者であればあるほど、帝国の支配を良しとせず、皇帝陛下に刃向かうであろう。某は、それを斬る。そして、すべての修羅を斬り尽くしたのち……最後は、あのグラー帝と死合う約定にて御座候」

 フルコース料理を目のまえにした餓鬼のごとく初老の剣士は、ずるり、と舌なめずりする。対峙する少年は、必死に剣を振るいつつ、背筋が凍りつくほどの怖気を覚える。

(この人は、僕とはあまりにも違う……違いすぎる! トリュウザさまにとって……「戦い」は手段ではなく、目的なんだよ……ッ!!)

 首を刈りとろうとする一振りを、フロルは身をかがめてかわす。刃がかすめ、後頭部の髪が飛び散り、高温環境によって灰と化す。

(僕だけじゃあ、ない……ほかの征騎士や、次元転移者<パラダイムシフター>だって、なにか目的があって「戦って」いるはずだよ……獣だって、生きるために戦うんだ)

 前かがみになった少年を上段から両断しようと、初老の剣士の斬撃が背に迫る。フロルは、自分に背を向けて剣を受け止めたトリュウザの動きを真似て、肩越しに刃をまわして防御する。

 足場にひざをつきそうになる衝撃を、どうにか受け流すと、反撃よりも体勢の立て直しを優先する。額に浮かぶ汗が即座に蒸発していくなか、フロルは初老の剣士を見据える。トリュウザの双眸の輝きが、まるで地獄にくすぶる炎のように見える。

(そういえば、トリュウザさまは『剣鬼』というふたつ名で呼ばれていた……いまなら、わかる。人の姿をしているけど、中身は別物だよ……文字通り、鬼だ……ッ!)

 序列1位の征騎士の存在を聞いたとき、少年は漠然とした憧れを抱いていた。イクサヶ原最強の剣士。それほどまでに武術を極めた人間が、どのような精神性に到達するのか、夢想した。

 フロルの憧憬が、瓦解する。己が未熟だから、理解できないわけでない。根本の部分から、思考の形態が違う。あの暴虐龍、ヴラガーンのほうが、まだ共感できる。

「花は桜木、人は武士。若人よ。其方は、もっと強くなれる……」

 正中線にそって剣を構えなおす少年に対して、トリュウザは斬撃を止め、目を細めながら惜しむようにつぶやく。息のあがるフロルは、つとめて呼吸を整えなおす。

「……だからこそ、まだ芽が出たばかりのいまここで、斬り捨てねばならぬことが、無念にて御座候」

 少年は、心臓を鷲掴まれる感覚を味わう。思わず、息が止まりかける。自分自身もまた、眼前の鬼の『目的』のひとつに過ぎなかったことを、無理矢理に理解させられた。

【幻滅】

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