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【第2部4章】少年はいつ、大人になる (2/4)【街並】

【目次】

【儀式】

「お出かけですか? フロルさま」

 頭上にシャンデリアがぶらさがる広すぎる玄関で背中から声をかけられ、少年は小さくため息をつく。気配を殺したつもりだったのだが、どこで気がつかれたのか。

「うん……ちょっと散歩に行ってくるだけですよ」

「フロルさま、敬語は不要にございます。私どもは、征騎士の身辺の世話を皇帝陛下から仰せつかった使用人にすぎませんので」

 少年は再度のため息をつくと、あきらめて背後を振りかえる。フロルの倍以上の年齢であろう男性が、いかにもといった執事然とした風貌で立っている。

 この屋敷にいるのは、眼前の執事だけではない。メイドが五人、専属の料理人が一人、住みこみで働いている。少年の面倒を見るためだけに、だ。

(慣れろ……っていうほうが無理だよ。これ)

 フロルは、胸中で独りごちる。正式な叙勲はまだだが、征騎士に内定したとたんにこのVIP待遇だ。手狭の集合住宅で一人暮らしだった少年には、落差が大きすぎる。

「ときにお出かけでしたら、運転手を手配いたしましょうか?」

「散歩だよ。車に乗ったら、散歩にならないでしょ?」

「左様にございますか。それではフロルさま、お気をつけて」

 執事然とした男は、深々と頭を下げる。背を向けた少年は、ようやく両開きの大きな玄関扉を押し開く。往来に出るまで一分ほどかかる敷地のなかを歩く。

 青い空と冷涼な風のもと、大仰な門にたどりつくまでのあいだには歩道が敷かれ、左右には丁寧に整えられた庭木と花壇が並んでいる。

 ここは、かつてセフィロト社が運営する観光都市であり、グラトニア・リゾートと呼ばれていた。現在は、帝国の暫定首都として利用されている。

 征騎士たちには、かつてセフィロト社の重役や富裕者が利用した高級邸宅が、個々人の屋敷として与えられる。フロルは門をくぐり、往来へと出る。

(ララは……元気にしているのかな? 観光客みたいだったから、さすがにいまもこの街にいたりはしないと思うけど……)

 革命成功まえ、この観光都市からやってきた少女のことを、少年は思い出す。交流を持ったのはごくわずかな時間だったが、戦乱に巻きこまれなかったことを願う。

(もう会えない、というのも寂しいかな。できれば、もっといろいろと話をしたかった……それはそれとして)

 人通りの少ない並木通りの木陰を歩きながら、車道のカーブミラーを利用して、背後の様子をフロルはうかがう。

 帽子を目深にかぶり、サングラスをかけ、灰色のスーツに身を包んだ男が二人、物陰に身を隠しながら、少年のあとをついてきている。

(護衛なのか、監視なのか、両方なのか……仕方ないのかもしれないけれど。グラトニア征騎士、だものなあ)

 フロルは、己が背負うことになる称号の重みをあらためて意識する。革命の立役者、偉大なるグラー帝直属の忠実なる騎士たち。

 セフィロト占領時代からレジスタンスとして活動していた少年は、愛国心から選別の儀式に参加したが、いざパスしたとなると逆に実感がわかない。

 聞くところによるとグラトニア征騎士は全員、次元転移者<パラダイムシフター>であり、例外なく常人を凌駕する能力を持つという。

(僕も、そうなのかな……ちょっと試してみようか?)

 自分の思いつきに、フロルは年齢相応のイタズラ心を刺激される。前傾姿勢になり、なんの前触れもなくいきなり駆けはじめる。

「ぎゃむ──ッ!?」

 自分でも戸惑うほどに、疾い。軽く加速しただけで、乗用車なみの速度になる。背後をあおぎ見ると、慌てふためくグレースーツの男たちがどんどん小さくなる。

 フロルは、歩道を直角にターンし、路地に入る。袋小路に行き当たるが、かまうことなく跳躍する。壁を飛び越え、塀のうえを速度をゆるめず走り続ける。

「気分いいなあ! ちょっとしたパルクールってところだよ!」

 少年は上機嫌になりながら、家々の屋根のうえを飛び渡る。大通りの面した建物や高級邸宅ならいざしらず、路地裏の住居にはいまだ革命の戦禍の爪痕が残る。

 風のように失踪したフロルは、メインストリートの街路樹の木立に飛びこみ、枝をつかんでようやく停止する。

 生い茂る青い葉ごしに、頭上をあおぐ。太陽の位置が、高い。ちょうど昼食時だ。適当なカフェでランチをとって、夕方まで街をぶらぶらしよう。

 そう思った少年は、大通りの一画のざわめきに気がつく。数十メートルほど離れた地点、まさに昼食の候補として考えていた喫茶店だ。

「……入ってくるんじゃねえ! はやくカネとクルマを持ってこい!! 人質の命が惜しくないのかあ!?」

「黙れ、セフィロト残党の犯罪者め! 貴様たちこそ、逃げきれると思っているのかあ!!」

 プロテクターとサブマシンガンで武装した治安維持部隊が拡声器ごしに怒鳴りつける。周囲を遠巻きに囲む野次馬たちが、そうだそうだ、と同調する。

 どうやら、立てこもり事件のようだ。この手のトラブルは、それなりによく起きる。投降しそびれたセフィロトの人間は、行き場を失い、このような犯罪に走る。

 しかし、人質をとった立てこもり犯とグラトニア治安維持部隊のにらみ合いは、膠着状態に陥っている。セフィロト残党は戦闘訓練を積んでいるため、油断ならない。

「……いけるかな?」

 フロルは、街路樹のうえに身を隠したまま、彼我の距離を測る。目を凝らし、ひびの入ったガラス越しに店内の様子をうかがい、人質と犯人たちの位置関係を把握する。

「相手は三人……よし!」

 少年は、樹の幹を蹴る。しなる枝を踏みきり台のように使って、跳躍する。

「とぁりゃああぁぁぁーッ!!」

 空中でひざを抱え、くるくると回転しながら、少年は滑空する。自らの身体を砲弾のように丸めて、犯人たちの立てこもる店内へと飛びこんでいく。

──ガシャアンッ!

 治安警備部隊と野次馬が唖然とするなか、ガラスの割れる派手な音を響かせつつ、フロルは喫茶店のなかに着地する。

 少年は、ゆっくりと顔をあげる。ハンドガンで武装したセフィロト残党たちの動きが、スローモーションに見える。

「……いけるッ!」

 フロルは立ち上がりざまに、人質へ銃口を突きつける男のこめかみを殴りつける。相手は反応する間もなく、まともに拳を受けて、吹き飛ばされる。

「げふデべ──!?」

 少年は苦悶する立てこもり犯を無視して、人質となっていた女店主のよろめく身を支える。残り二人のセフィロト残党が、ようやく状況を認識しはじめる。

「立てますか? 逃げてください!!」

「は、はい……っ!」

 女店主は、店外に向かって走りはじめる。残りの立てこもり犯が、拳銃をかまえる。フロルは、自ら壁になるようにセフィロト残党のまえに立ちふさがる。

「なんだ、このクソガキは……死ねえッ!」

「待て、殺すな! コイツを、代わりの人質に……」

 敵がトリガーを引くよりも、コンマ数秒、少年の動きが先んじる。フロルは、手近なテーブルを思いきり蹴りあげる。

「ぐあッブ!?」

 真正面から飛んできた質量体が衝突して、立てこもり犯の一人は大きく体勢を崩したまま発砲する。連射された銃弾は、むなしく天井に穴を穿つ。

 最後に残った犯人は、少年の足に銃口を向けてトリガーを引く。フロルは相手の狙いをそらすようなステップで、自ら投げつけたテーブルを踏みつけるように前進する。

 テーブルと正面衝突した男の首根をつかむと、少年は自分の足を狙った敵に向かって、己よりも大きな体躯を投げつける。

「ぶグおギョ!!」

「ぐぉワへゲぇ!?」

 二つの身体がぶつかって、吹き飛ばされ、残された立てこもり犯たちは壁に激突する。ほぼ同時に、治安維持部隊が店内に踏みこんでくる。

「……ご協力、感謝します。よろしければ、お名前などを」

「お気になさらず。グラトニア市民として、当然のことをしたまでですから」

 防弾ヘルムのバイザー越しに敬礼する兵士に対して、フロルは笑顔で手を振り、外に待ち受ける野次馬を避けるように裏口から店をあとにする。

「パーカーがぼろぼろだよ。ランチも食べ損ねたし……ちょっとやりすぎたか」

「そうですよ、フロルどの。正式な叙勲まえに、騒動を起こされては困ります」

 路地裏の少年は背後から声をかけられ、ぎょっとして振りかえる。そこには、護衛と監視の任を帯びたと思しき、グレースーツの男たちが立っていた。

【出迎】

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