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【第2部4章】少年はいつ、大人になる (1/4)【儀式】

【目次】

【第3章】

──ドン、ドン、ドドドン……

 月の見えない夜の闇に、大きく打ち鳴らされる太鼓の音が一定のリズムで響きわたる。いくつものかがり火に照らされているのは、石造りの直方体の『遺跡』だ。

 セフィロト社の植民地時代にも現地人によってどうにか維持されてきた建国王時代の『遺跡』は、いまや完全に修復され、在りし日の姿を取り戻している。

 石造りの構造物は、水路が直下に曲がりながら絡みあい、遺伝子の二重螺旋を抽象化したかのような形状をしている。

『遺跡』の足下を、グラトニアの伝統的な装束に身を包んだ司祭たちが取り囲み、楽器の音にあわせて祈りの言葉を読みあげている。

 石造りの直方体に隣接するようにやぐらが組まれ、その階段には無数の人間たちが自分の順番を待っている。

 新月の今宵、この『遺跡』では重要な儀式が執りおこなわれている。グラトニア帝国に仕える最精鋭、征騎士の選抜だ。

201003パラダイムパラメータ_グラトニア帝国

「……次の者!」

 ほとんど一定間隔の司祭のかけ声が、やぐらの最上部から聞こえてくる。征騎士選抜の儀式に参加する人間は多く、また様々だ。

 残党狩りによって捕らえられた元セフィロト社の戦闘員、グラトニアへの忠誠心あふれる憂国の士、単純な重犯罪で懲役に処されていた犯罪者……

 征騎士に選ばれることは、イコール、グラー帝に対する忠誠の証明とされ、等しく罪は許され、一躍、特権階級の待遇を受けることになる。ゆえに、志望者は多い。

 もっとも選抜の儀式を突破できた者は、きわめて少ない。そもそも、現時点で皇帝直轄の征騎士は十二名しかいない。

 そして、儀式に脱落した者がどうなるかは──誰にも知らされていない。

「……次の者!」

 司祭のかけ声とともに、やぐらの階段を登る列が少しずつ前進していく。征騎士志望者の列のなかに並ぶ少年、フロル・デフレフは即席の高楼の最上部へたどりつく。

「……グラトニア帝国、万歳ッ!」

 先頭に立っていた男が、やぐら上部から『遺跡』の内側に向かって飛びおりる。石造りの構造物の高さはおよそ十メートルある。

 生身の人間が落下すれば死にかねない高さだ。よしんば命を拾ったとしても、大けがはまぬがれえない。

 もやのかかったような頭で、フロルはぼんやりと思う。目の前で人の生き死にに関わるような事態が起こっているのに、恐怖や疑念を感じることはできない。

(たぶん、薬が盛ってあったんだよ……)

 虚ろな目つきで、少年は言葉にならないつぶやきをこぼす。参加者は全員、儀式の開始前に酒を飲まされた。そのなかに向精神薬が混ぜてあったのだろう。

 高楼のふちから『遺跡』の底をのぞきこんでいた司祭は、無感情に首を振る。伝統衣装に身を包んだ進行役は顔をあげ、次の儀式参加者へ視線を向ける。

「……次の者!」

 司祭の声に応じて、フロルのまえの男が歩み出て、やぐらのうえから飛びおりる。少年の視界が開ける。かがり火に照らされた『遺跡』を上方から見渡せる。

(そういえば、あの子……この『遺跡』をうえから見たい、って言っていたっけ)

 少年は、おぼろげに過去の記憶を思い出す。かつて、セフィロトの観光都市からやってきた少女──確か、ララという名の──を、『遺跡』まで案内した。

 好奇心旺盛で聡明な少女は、まるで珍しいおもちゃを手にしたかのように『遺跡』の周囲ではしゃぎまわり、フロルのことを質問責めにした。

(建国王の『遺跡』……いったい、なんなんだろう。なんの目的で造られたんだろう)

 向精神薬がまわった状態では思考はまとまらず、頭のなかに浮かんだ疑問は細切れとなって飛散していく。

 石造りの『遺跡』は、水路を組みあわせて形造られている。修復された現在は、その内に水が満たされ、流れが生じている。

 しかし、見ればみれるほどに水が左右のどちらに向かっているのか、上に登っているか、下に降っているのかすらわからなくなっていく。薬のせいだけとは思えない。

(ララが……なにか、言っていた気がする。たしか……『不可能物体』だっけ?)

「……次の者!」

 一瞬だけまとまりかけた思考は、進行役の司祭の声によってばらばらに吹き飛ばされる。フロルの身体が、自分の意志とは思えないおぼろげな足取りで歩み出ていく。

 なんの恐怖も感慨も覚えないまま、少年はレミングスのようにやぐらの最上部から跳躍し、『遺跡』の内側へと身を踊らせる。

(僕は……このまま、死ぬのかな?)

 一切の感情はなく、単純な事実としてフロルは独りごちる。痛いだろうな、とだけ思う。自然とまぶたが降りて、視覚をふさぐ。

 自分の身体の風を切る音が、妙に耳につく。そして、いくら時間が経過しても、地面へ衝突しない。奇妙な浮遊感が、全身を包む。

「──ッ!?」

 少年は、反射的に目を見開く。そこは、『遺跡』の内部ではなく、グラトニアのどこかでもなく、およそ『世界』と呼べるような場所ですらない。

 フロルは、どこまでも広がる漆黒の空間のなかに浮かんでいる。上下左右全方位には、はるか遠くに無数の星々が瞬いている。

 それ以外は、なにもない。文字通り『虚無』という言葉がふさわしい空間を、重力感覚を喪失したまま、少年は漂っている。

「なんだよ……これッ!?」

 自分の存在が希薄化し、そのまま消滅してしまうような感触にフロルは捕らわれる。少年は、歯を食いしばって耐える。空間感覚に続いて、時間感覚まで喪失する。

「ぐ……ッ! ググ、グググ──!!」

 一秒かと思えば、千年とも感じられる瞬間を、フロルは漂流する。灰色のビル街、赤焦げた荒野、龍の舞う原生林……無数の景色が、まぶたの裏に去来していく。

「ぎゃむ──ッ!?」

 少年は、たたらを踏む。気がつけば、地に足がついていた。無数のかがり火が自分を照らしている。痛みは、ない。けがらしいけがも、していない。

 周囲の宵闇から、どよめきが聞こえてくる。フロルは『遺跡』の内側、その底の地面に着地していた。

「おぉ、これは……新たなる征騎士の誕生であるッ!!」

 司祭の一人が、感極まった歓声をあげる。応じるようにかがり火が左右に揺れて、いっそう大きく太鼓が打ち鳴らされる。

 少年は、まだ状況を呑みこめないまま、周囲を見まわす。そして、息を呑む。フロルの足下には、無数の死体が転がっている。先に飛びおりた儀式の参加者たちだ。

 頭から両断された者、身体の内側より破裂した者、水分を絞りつくされミイラのようになった者……滑落が死因とは思えない、異様な屍たちのうえに少年は立っていた。

【街並】

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