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【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (1/16)【頭上】

【目次】

【第8章】

「メロ、どう? 出られそうかしら」

「おっとっと、もう少しなのね……あわわ!」

 蔦のからまる古樹の幹にぽっかりと開いた虚穴から、二人の少女の声が聞こえてくる。やがて、そのなかから一人の少女が転がり出てくる。

 金色の髪に動きやすそうなオーバーオール姿の少女は、ごろんと回転しつつ、苔むした地面のうえに大の字で倒れこむ。

「あいたたたー……」

 太い樹の根が這いまわるごつごつとした大地のうえで、少女はうめく。彼女がまろび出てきた虚穴から、さらに二人の女性が姿を現す。

「メロったら、だいじょうぶかしら……?」

「うふふ。この程度でしたら問題ないはずですわ、ミナズキ」

「むー、ディアナさまったら冷たいのね!」

 ディアナと呼ばれた銀髪に純白のドレスの女性が、高貴な見た目にそぐわぬ身のこなしで苔むす地面のうえへ危なげなく降り立つ。

 ディアナの腕のなかには、もう一人の少女が抱きかかえられている。巫女装束を身にまとい、まっすぐ伸ばした黒髪から長い耳がのぞくエルフ──ミナズキだ。

「それで……この次元世界<パラダイム>が、ディアナさまの言っていた中継地なのね?」

 オーバーオールの少女──メロは勢いをつけて立ちあがると、背中についた針葉樹の葉を払いながら、周囲を見まわす。ディアナの腕のなかから降りて、自分の脚で立ったミナズキも同様だ。

 周囲には、幹に蔦や苔を飾りつけた杉の原生林がどこまでも広がっている。頭上にわずかばかり覗く空は濃い霧におおわれ、昼だというのに薄暗い。

 深い森の奥からは、不気味な魔獣どものうめき声が反響してくる。周囲には街や村はおろか、道らしきものすらなく、文明の気配そのものが見あたらない。

200526パラダイムパラメータ‗アーケディア

「なんだか……メロたち、すごいところに来ちゃったのね。まるで、原始時代みたい。人間の住んでいない次元世界<パラダイム>かなあ?」

「たまたま、人里離れた場所に出てしまったのかしら……霊紙さえあれば、此方が式神を飛ばして周囲の様子を探れるのだけど」

 生まれて初めて目にする原生林に目を丸くするメロと、無念そうな表情を浮かべるミナズキは、保護者然としたディアナのまえで顔を見あわせる。

「わたくしの記憶が正しければ、この次元世界<パラダイム>にはエルフたちが暮らしているはずですわ……それにしても、この荒れよう。あの娘ったら、ちゃんと仕事をしていないみたい……」

 純白のドレスの女性は、あきれたようにため息をつく。

「グギャアァァーッ!!」

「ギャギャ、ギャボ!?」

 頭上から、けたたましい魔獣の叫び声が聞こえてくる。オーバーオールの少女と巫女装束のエルフは、あわてて頭上をあおぎ見る。

 梢のすき間から、前腕が翼となった巨大なトカゲのような魔獣が二頭、互いに爪と牙をつき立て、血をまき散らしながら相争っている。

「翼竜<ワイバーン>の縄張り争いですわ。こちらには気づいていないようですから、心配にはおよびません」

「それは助かるのですが……もっとうえから、なにか監視されているように思えるのは、此方の気のせいかしら……」

「……うえですか、ミナズキ?」

 魔法<マギア>に対する適正が高いエルフの産まれであり、陽麗京という次元世界<パラダイム>で符術巫として修行を積んだミナズキの言葉に、ディアナは耳を傾ける。

 純白のドレスの女は、梢のすき間から空を見あげる。すでに翼竜<ワイバーン>どもの戦場は別に移っていった。霧のヴェール越しに、昼間にも関わらず白くはっきりと浮きあがった三日月が見える。

「待って、二人とも……森のなかにも、なにかいるみたいなのね!」

 両耳に手を当てたメロが、突然、声をあげる。それを合図としたように、大樹の幹の影からいくつもの影がのっそりと姿を現す。

「狼? それにしては、ずいぶんと大柄な……此方たちも、縄張りに踏みこんでしまったということかしら」

「もしかしたら、メロたちのことをお昼ごはんにするつもりなのかもしれないのね」

 額に冷や汗を浮かべる二人の少女をかばうように、ディアナが一歩まえへ出る。一般的な狼の三倍ていどの体躯を持つ群獣たちが、うなり声をこぼす。

「巨狼<ダイアウルフ>ですわ。凶暴な魔獣ではありますが、せっかくです。わたくしの魔法<マギア>で操って、道案内をしてもらいましょう」

「さっすが、ディアナさま! 頼りになるのね」

「メロ……やはり貴台は龍皇女陛下に対して少々なれなれしすぎではないかしら」

 編みこんだ銀髪の龍皇女は、しなやかな人差し指をつき立てつつ一歩踏みだし、呪文を詠唱しようとする。

 ほぼ同時に巨狼<ダイアウルフ>の群は、なにかに気がついたかのごとく身をひるがえし、森の奥へと一目散に走り去っていく。

「龍皇女陛下の魔法<マギア>を勘づかれてしまったのかしら……?」

「ううん、またなにか違う音が近づいてくるのね……今度は、うえのほう!」

 メロの声につられて、ディアナとミナズキも上空をあおぎ見る。すぐに、ばさりばさりと力強く羽ばたく音が、はっきりと聞こえてくる。

 巨大な影がか弱い日差しをさえぎり、三人の頭上を横切る。直後、ばきばきと付近の古樹のへし折れる音が響く。

「あわわ……なんなのね!?」

「これは、龍……かしら?」

 周囲の樹々を強引に倒しながら降りてきたのは、暗緑色の翡翠のような鱗と二対四枚の翼を持つ巨大なドラゴンだった。

『──こんなところまで、なにをしに来たのじゃ!!』

 暗緑色の巨龍は、巨木を小枝のように踏みしめながら、叫ぶ。鼓膜のやぶれそうな怒声に、メロとミナズキは慌てて耳をおさえる。あまりの音量に、周囲の樹々の葉がびりびりと震える。

 一方、二人の少女のまえに立つディアナは泰然とした態度を保っている。心なしか、その口元には微笑みすら浮かんでいるように見える。

「がさつでかんしゃく持ちなのは、相変わらずですこと。それでも、壮健そうでなによりですわ」

『血みどろの殺しあいをした相手に言ってくれるわ……クラウディアーナ!!』

「……ディアナさま、知り合いなのね?」

 メロは耳に当てた手をわずかに浮かせ、おそるおそる純白のドレスの女に尋ねる。ディアナは柔和な笑みをたたえた表情で、背後の二人を振りかえる。

「ええ。この娘の名前は、カルタヴィアーナ。わたくしの妹龍ですわ」

 上位龍<エルダードラゴン>である龍皇女クラウディアーナは、優雅さすら感じさせる素振りで、背後の荒ぶる龍を指し示した。

【生還】

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