【第2部9章】月より落ちる涙一粒 (2/16)【生還】
【頭上】←
『仇敵をまえにして、なんと不遜な……千年前と変わらず、喰えぬ姉龍じゃ! あらためて、この場で咬み殺してやろうか!?』
「言いたいことがあるなら、そんな大声でがなり立てずとも十分ですわ。カルタ、わたくしの友人がおびえています。とりあえず、人間態におなりなさい」
「龍皇女陛下……此方らのことを、友人と認めてくださっているとは……」
「ミナズキさん! 感動している場合じゃないと思うのね!?」
オーバーオールの金髪少女と黒髪のエルフ巫女を一瞥した暗緑色の上位龍<エルダードラゴン>は、不承不承、四枚の翼をたたむ。
カルタと呼ばれた妹龍の全身が紫電の輝きに包まれ、見る間に縮んでいく。空気の焦げる臭いを残して、巨樹の粉砕された中心点に一人の少女が立っている。
「どうじゃ、クラウディアーナ! これで文句あるまい!?」
「うふふ、人化の法は忘れていないようですね。結構ですわ、カルタ」
「ええい、かしましい姉龍め! どこまで我を小馬鹿にすれば気が済むのじゃ!!」
純白のドレスに身を包んだ女を見あげる妹龍は、暗緑色の髪を頭頂付近で左右に束ね、薄い胸と細い腰まわりのみを龍の鱗を思わせる革でおおい、魔獣の牙や爪らしき装身具を身につけている。
龍態のときとは打って変わり、人間態の妹龍カルタは、この場にいる四人のなかでもっとも小柄だった。
「えーと、その……カルタ、ちゃん?」
「かしましいわ! 我を侮辱にするか、人間の女童め……貴様の百倍は生きておるわッ!!」
おそるおそる名前を呼んだメロに対して、妹龍カルタヴィアーナはがなり声を張りあげて地団駄を踏む。
「かしましいのはそなたのほうですわ、カルタ。そんなに騒いだら、そこら中の魔獣が集まってくるでしょう」
「ふん。我とディアナの殺しあいに首を突っこみたい命知らずがいるというなら、いくらでもよってくるがいいわ」
「わたくしたちに問題がなくとも、うしろの二人は話が別ですわ。そもそも、カルタと戦いに来たわけでもありません……さしあたって、最寄りのエルフの村へ案内してもらえませんこと?」
かんしゃくを起こした子供のようにわめき立てるカルタヴィアーナに対して、クラウディアーナは諭すように妹龍へ語りかける。
へそを曲げたかのごとく、ぷいっと顔を横に背けたカルタヴィアーナは、しかし、三人に背を向けて歩き出す。
「ついてくるがいいわ……言っておくが、我は案内するだけじゃ。交渉するなら、貴様らが勝手にしろ。頑固者のエルフが言うことを聞くとも思えんがな!」
頬をふくらませ、胸を張って森のなかをずんずん進んでいく少女の姿の妹龍は、機嫌を損ねた子供以外の何者でもなかった。
───────────────
「よかった……ようやく人里にたどりつけたかしら」
「えーっと、その、なんというか……自然派志向、なのね?」
カルタヴィアーナの先導で、一同はエルフの村にたどりつく。ミナズキは安堵に胸をなでおろし、都会育ちのメロは見慣れぬ集落に首をかしげる。
深い森が開けた場所に築かれていたのは、しっかりとした木製の柵に囲まれ、丸太の壁と茅葺きの屋根の家が並ぶ粗末な集落だった。
「あんたたち……何者?」
中型の魔物ていどなら侵入を防げるであろう囲いの向こうから、数人のエルフの女が一行に気づいて、声をかけてくる。
「旅人ですわ。もしよろしければ、食事と寝床をお願いしても?」
あとは知らん、といった様子でそっぽを向くカルタヴィアーナの横をすり抜け、クラウディアーナがまえに出る。女エルフたちは、じろじろと一行を見る。
あまり開放的な気配ではない。見慣れぬ、しかも四者四様の統一感に欠けた面々だ。警戒されても、無理はなかろう。ミナズキがそう考えていると……
「んん……あんた、エルフか。それなら、なかに入りな! 泊められるかどうかは、出かけている村長が帰ってからになるけど……」
「はへっ? 此方のことかしら……」
「やった! ミナズキさんの人徳なのね」
エルフの女たちの視線がミナズキに止まると、急に村民たちの警戒心がゆるんだ。カルタも含めた一同は、集落のなかへと招き入れられる。
息を潜めるがごとく森のなかにたたずむエルフの村は、柵の外から見たのとほとんど変わらない質素な有り様だった。
「あ、子供たちもいるのね。こんにちは!」
建物の影から見慣れぬ客人を覗く、警戒心と好奇心を天秤にかけたような雰囲気の子供たちへ向かって、メロはフレンドリィに手を振ってみせる。
「みんな、こういうのは好きなのね? よ……っと!」
オーバーオールの金髪少女は、両腕にはめたリングをはずすと、その場でジャグリングを披露する。一人、また一人とメロのもとにエルフの子供たちが近づいてくる。
「かしましい女童め、気楽なものじゃ……エルフのガキどものほうが年上だと、わかっていないのか?」
「うふふ。人の成長速度は、種族によって様々ですわ。単純に年月で測れるものではありません。それとも、カルタ。そなたも混ざりたいのですか?」
「かしましいわっ!」
村の広場のすみ、無造作に置かれた丸太のうえに腰かけ、カルタは不機嫌そうに頬づえをつく。ディアナは、屈託なく微笑みかける。
別の場所では、ミナズキがエルフの女たちに混じって家事を手伝っている。妹龍のかたわらの龍皇女は、二人の同行者が村人たちになじんでいるの見やる。
「あんたたち、道中、オークに襲われなかったかい……いや、鉢あわせにでもなったりしたら、そもそも村までたどりつけなかったか。なによりだよ」
香草茶の入った木製のコップを手渡しながら、エルフの女がディアナに話しかける。
「オークを……恐れているのですね、そなたたちは」
龍皇女の隠しきれない高貴な気配に、若干面食らいながらも女エルフはうなずく。
「そりゃあ、そうさ。女所帯だとなおさら、ね……」
「ふん。頑固者のエルフよりも、オークのほうが我の言うことをまだ聞くわ……あふっ!?」
妹龍の悪態を、クラウディアーナはその足を踏むことで黙らせる。香草茶を持ってきてくれたエルフの女は、戸惑いながらも家屋に戻っていく。
女エルフは言葉を濁したが、龍皇女はオークの生態をよく知っている。豚の頭を持つ野蛮で好戦的な亜人種は牡しか存在せず、繁殖するためにほかの人族の牝を捕らえる。
必然、この次元世界<パラダイム>ではエルフの女が標的となるだろう。恐れるのは、当然と言える。クラウディアーナは、目を細めて森の民の集落を眺め、かたわらの妹龍を見おろす。
「なんじゃ。まだ、なにか言いたいことがあるのか?」
「……つもる話なら、いくらでもありますわ」
「男衆が帰ってきたよ──!!」
村の入り口のほうから、見張りを勤めていたと思しき女エルフの声が響く。集落の住人たちが、いっせいにそちらへ向かう。カルタ以外のディアナ一行も、遅れて続く。
「今日は、大物をしとめたぞ! 運良く、手負いのワイバーンと出くわした……これも森の精霊の加護だな!!」
リーダーらしき先頭の若いエルフが、大声をあげる。村人たちは、歓声で答える。どうやら、成人の男たちは狩りに出かけていたらしい。
翼竜の身体は羽や尾、首ごとでおおざっぱに解体され、細身のエルフの狩人たちは自分の体長の数倍もある収穫物を軽々と引きずるなり、かつぐなりして村に運びこんでいく。
「あわわ、エルフって見た目以上に力持ちなのね。メロ、びっくりしちゃった」
「そうかしら? 此方には、なんらかの魔法<マギア>を使っているように見えるけど……」
「ミナズキの言うとおりですわ。エルフは魔法<マギア>と親和性の高い種族。『軽化』の呪文を使っているのでしょう」
「んん? あんた、見慣れない格好をしているが……」
リーダー格の若い男エルフが、ミナズキへ視線を向ける。集落の住人たちの人垣が、左右に割れる。長耳の巫女は、思わずあとずさる。
「あの、此方が……なにかしら?」
「その黒髪、瞳の色……見覚えがあるぞ。三十年ほどまえ、『落涙』にやられた隣村の生き残りか!」
エルフの男が声をあげると、村人たちがざわめき出す。ミナズキは事情を呑みこめず、きょとんと目を丸くしていた。
→【出生】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?