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【第2部12章】運命の交叉路 (1/4)【客人】

【目次】

【第11章】

「シュー、シュー、シュー……」

 染みひとつない白亜の宮殿、そのだだ広い謁見の間に、トカゲの吐息のような呼吸音が響く。音の主は、大部屋のまんなかにあぐらをかいて座る一人の男だ。

 ごつごつとした岩山を思わせるがっしりとした筋肉を身につけた男は、褐色の諸肌をさらし、血走った瞳で前方をにらみつけている。年の頃は、三、四十歳……人間であれば。

 大きく取られた窓から差し込む陽光は、徐々に西へと傾きはじめている。腕組みしたまま、壮年の男は微動だにしない。視線の先には、座る者のいない玉座がある。

200526パラダイムパラメータ‗フォルティア

「ヴラガーン! 今日も、そこから動かないつもりかね? まったく、長命種の忍耐力というものは、人間の身には想像もつかんよ」

 謁見の間に、別の男の声が響く。ヴラガーンと呼ばれた壮年の男は、首を動かす。キャスケット帽をかぶり、片眼鏡<モノクル>を身につけ、カイゼル髭が特徴的な男が大部屋に入ってくる。

「ふん。貴族かぶれが……どこで動くも動かないも、オレの勝手ぞ」

「厨房を借りて、コーヒーを淹れたのだよ。よかったら、貴龍もどうかね?」

 ドスの利いた壮年の言葉を聞いてか聞かずか、中世貴族を思わせる風貌の男は、ヴラガーン──人間態のドラゴンの眼前、床のうえに直接、コーヒーカップを置く。

 器を満たす芳しい香りの立つ漆黒の液体を、壮年の姿をとった龍はしげしげと見つめる。やがて取ってをつかむと、中身を一気にあおる。苦みに、表情がゆがむ。

「ははは。まず飲み方を教えるべきだったかね。香りを楽しむものなのだよ、コーヒーは」

「馬鹿にしているか、貴族かぶれが! かみ殺すぞ!!」

「暴れるなら、外でしてください。というか、いますぐにでも出ていってもらいたいくらいですよ。暴虐龍?」

 謁見の間に、鈴の音のような声が響く。金色の髪に、シンプルな純白のドレスをまとった女性が、左右の手にひとつずつ小皿を持って広間に入ってくる。

「『伯爵』どの。その、コーヒー? とやらには、甘い菓子があうとのことでしたが、これでよろしくて?」

「ふむ。完璧ではないかね、アリアーナどの。龍皇女どのは、すばらしい器量の部下をお持ちのようだ」

 アリアーナと呼ばれた女は、ヴラガーンのまえに焼き菓子の載った小皿を置き、カイゼル髭の男には直接、手渡す。

 壁に背をもたせた『伯爵』は、窓枠をテーブル代わりにして、皿のうえのアップルタルトを満足げに口へ運ぶ。

「おだてたところで無意味なのですよ。『伯爵』どのは、ヴラガーン同様、我々にとって招かれざる客なのですから」

 アリアーナの毅然とした指摘を受けて、『伯爵』は返事をするかわりに、自分の髭を指先でなでる。床に腰をおろすヴラガーンは、焼き菓子を不作法に手づかみして、口のなかに放りこむ。

「アリアーナ、龍皇女はいつ戻ってくる。今日か、明日か?」

 指先を長い舌でなめとった暴虐龍は、正面を見据えたまま、宮殿の主のことを尋ねる。名を呼ばれた龍皇女の側近は、深々とため息をつく。

「暴虐龍。菓子の感想も言わずに、それですか? それは、我々が知りたいくらいなのですよ」

「龍皇女どのが宮殿を離れてから、半年ほどかね。貴龍、せっかく目の前に空いた玉座があるのだ。せっかくだから、奪ってみてはどうか?」

「『伯爵』どの! 洒落にならないようなことを口にしないでください!! 暴虐龍は冗談が通じないのですよ!?」

「ふん……オレは、あの牝龍を一発ぶん殴ってやりたいだけぞ。玉座や王位のような、面倒ばかりのものに興味はない」

 純白のドレスの女は、小さく首を振ると、腰をかがめてヴラガーンのまえに置かれた空の食器を回収する。

「本当に、あなたという龍は……結界ごと吹き飛ばさんという勢いで宮殿のまえに現れたかと思えば、謁見の間に座りこみ……客間を用意すると言っても、聞く耳を持たず……」

「ふむ。この宮殿の客間は、手入れが行き届いていて、実に居心地がよい。旅の疲れも忘れるというものだ。貴龍も使わぬのは、損ではないかね?」

 龍皇女の側近にカップと皿を手渡した、カイゼル髭の男はヴラガーンに言う。当の暴虐龍は、ふたたび腕組みした格好となり、てこでも動かんと言わんばかりだ。

「オレが玉座から目をそらしているうちに戻ってきて、気づかぬまま、ふらりと消えられては困る。龍皇女の姿をこの目で確かめるまで、オレはどかんぞ」

「ふむ。貴龍も強情であることかね」

「厄介なのは、『伯爵』どのも同じなのですよ。一週間ほどまえ、するりと結界のなかに入りこんできて……宮殿の留守を預かる我々の、沽券に関わります……」

「しかし、アリアーナどの。先日、龍都のほうを散策してきたが……龍皇女どのの不在のなかでも、街の復旧は順調、人々も平穏に暮らしているように見えた。この次元世界<パラダイム>は、安定しているのではないかね?」

 厨房に戻ろうとしていた純白のドレスの女は足を止めて振りかえり、目を細めて『伯爵』をにらみつける。

「……不穏な兆しがあるのですよ。龍皇女殿下が戻り次第、判断を仰がなければ」

 今度こそ退室しようとしたアリアーナは、廊下に出る寸前、謁見の間に駆けこんできた別の側近の女と鉢あわせになり衝突しかける。

「あ、アリアーナ! 龍皇女さまが帰還なされましたッ!!」

「なんですって!?」

 二人の女の会話を聞いたヴラガーンは、目を血走らせて、勢いよく立ちあがる。暴虐龍と龍皇女を対面させるわけにはいかない、アリアーナはとっさに思案する。

「……アリアーナ、それにほかの側近龍たちも。わたくしが留守のあいだ、ご苦労をかけました」

 広間の外に伸びる大回廊から、聞き慣れた声が反響する。自らが仕える上位龍<エルダードラゴン>が、二人の少女とともにやってくる。思わず側近龍は、手で自分の頭をおさえる。

「龍皇女殿下! いま、謁見の間はいけません……!!」

 アリアーナが叫ぶと同時に、背後から燃えるような殺気が立ちあがる。振りかえれば、暴虐龍が大きく息を吸いこんでいるところだ。吐息<ブレス>を放つ気だ。

 宮殿の主が大広間に踏み入るタイミングにあわせて、ヴラガーンは肺腑で圧縮した空気弾を撃とうとする。その寸前、『伯爵』が壁を蹴る。

「ドォ──ウッ!?」

「……ふんッ!!」

 一瞬の踏みこみで暴虐龍の懐に潜りこんだカイゼル髭の男は、掌底であごをかちあげる。暴虐龍の狙いが大きくそれて、謁見の間の天井が吹き飛んだ。

【交叉】

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