【第2部26章】ある導子学者たちの対話 (12/16)【矜持】
【屈辱】←
直接的なきっかけとなったのは、もう少ししてから耳に挟んだうわさ話だ。あの『ドクター』が、とある少女を養子として引き取ったという。
ララという名の少女は、『ドクター』直々の薫陶を受け、見る見る才能を花開かせていった……少なくとも、うわさではそういうことになっていた。技術開発部部長であるスーパーエージェント以外で、唯一、導子理論を完璧に理解する人間だ、と。
ことの真偽もわからぬまま、モーリッツは激しい嫉妬を覚えた。『ドクター』が、なぜ自分ではなく、小娘を選んだのか理解できなかった。わからないことが、憎かった。
モーリッツは激情に身を任せ、自分から『魔女』にコンタクトをとった。こうして、セフィロト社の中枢に在籍しつつ、グラトニア・レジスタンスに便宜を図るようになった。
武器を横流しし、企業機密を渡し、人体実験の素体を提供した。ときには、グラトニア・レジスタンスの人間に直接、導子技術のレクチャーをした。悶々とした日々を送りながら、数年の時間が流れた。ついに『あの日』がやってきた。
単身、セフィロト本社に乗りこんできた出自不明の次元転移者<パラダイムシフター>──社内におけるコードネーム『イレギュラー』が、オワシ社長を殺害し、モーリッツの手がけた人造次元世界<パラダイム>である本社を崩壊させた。
モーリッツは、本社崩壊に巻きこまれ、虚無空間に放り出された。「セフィロトの命運は長くはない」と口にした、まるで未来を見てきたかのような『魔女』の言葉が、脳裏にリフレインした。死を覚悟しつつも、奇妙な安堵感を覚えた。
だが、モーリッツは生き延びた。『魔女』によって、回収されたのだ。次元転移者<パラダイムシフター>となったのは、このときだ。
次元転移者<パラダイムシフター>は、転移律<シフターズ・エフェクト>という異能を持つ。モーリッツも、知識としては知っていた。自分でも、試してみた。
右手からピンク色の肉塊が現出し、べちゃり、と音を立てて地面に落ちた。どういう意味と機能を持つのかわからない。『ハズレ』の能力を引いた、と思った。負け犬の死に損ないである自分には、お似合いだと。
それでも、熾火のようにくすぶる科学者の矜持があった。モーリッツは、自分が生成した肉塊の成分をサンプリングし、分析した。結果は……脳髄、それも人間のものだった。
人工髄液のなかに浮かべ、電極を取り付け、導子コンピューターに直結し、対話を試みた。結果、モーリッツは驚きを隠せなかった。モニター越しに現れた記憶と人格は、間違いなく自分自身だった。ようやく、己に与えられたギフトの意味を理解した。
モーリッツは自らの転移律<シフターズ・エフェクト>に、『脳髄残影<リ・ブレイン>』と名付けた。単独では、なんの役にも立たない異能。しかし、導子工学の知識と組みあわせれば、無限の可能性が広がる。
新たなる力と、グラトニア帝国技術局長および征騎士序列2位という肩書きを手に入れたモーリッツは、『魔女』から本題を切り出される。『塔』の建造だ。
「……軌道エレベーター規模の構造物? 目的は、なんだ。求められる機能によって、設計も建築もまったくの別物となるだろう」
「そうですね……必要な機能は、頑丈であること、くらいでしょうか。ただ、そこにあること、が大切なので……」
「到底、解せないな。国威発揚のモニュメントとしては、コストパフォーマンスが悪すぎるだろう?」
「グラトニアを、宇宙でもっとも偉大な次元世界<パラダイム>とするためです。偉大なるグラー帝による次元融合を、一気に進行させるためには不可欠なので」
宇宙に存在するすべての次元世界<パラダイム>を、グラトニア帝国のもとに統合する。稚気じみた……どころか狂人の戯言のごとき目標。それでも、モーリッツはなにかに魅入られたような高揚感を覚えていた。
──宇宙に存在する、全次元世界<パラダイム>の融合。
欠片も合理性を感じられない目標だが、少なくとも『ドクター』が残した偉業よりも大きなプロジェクトとなるのは間違いない。モーリッツにとっては、それで十分だった。
魔法<マギア>の見地から『魔女』はモーリッツに、次元融合を達成するための知見を述べた。その言葉を理解するために、技術解析部時代の経験が生きた。
グラトニアの新たな指導者であるグラー帝は、ほかの次元世界<パラダイム>を己の版図に取りこむ転移律<シフターズ・エフェクト>を持つ。『塔』は、その能力の増幅装置として機能する……ということらしい。
モーリッツは、『魔女』に対して2段階の青写真を提示した。『塔』の建造を含めた下準備を進める第1フェイズ、そして『塔』の完成後に実行することになる本命の第2フェイズだ。
「全体的な方向性としては、悪くないだろう。あとは、工期の問題だが……」
「それは、あなタにお任せします。専門家が判断すべきことなので……ただし、早ければ、早いほどいい」
「そうだな。最短ならば……半年、といったところだろう」
モーリッツは、自分で自分が口にした提案を疑った。言葉が、のどから勝手に転がり出てきたようだった。
半年? ありえない。次元世界<パラダイム>の天を突かんばかりの巨大建造物だ。ふつうに考えれば、10年単位の時間を要求される超巨大プロジェクトだ。
それでも、モーリッツは発言を撤回する気にはならなかった。『魔女』は満足げにうなずき、征騎士のなかでも序列4位以上のみで真相を共有する極秘プロジェクトとして、『塔』の建設事業は動き始めた。
グラトニア帝国の技術局長にして征騎士序列2位でもあるモーリッツの仕事は、『塔』の建設だけではない。軍用兵器をはじめとする導子技術全般の問題解決に加えて、大小様々な国家事業に対する科学者の視点からの助言。やることは、多い。
にも関わらず、モーリッツの仕事は順調に進んだ。次元転移者<パラダイムシフター>で構成された征騎士たちのほかの転移律<シフターズ・エフェクト>……未来予知や人心掌握といった異能が、役に立った。
だが、決定的なブレイクスルーは、モーリッツ自身の能力だった。コピー脳を作り出す『脳髄残影<リ・ブレイン>』と導子工学の組みあわせだ。
旧セフィロト社の無人建設機材をかき集め、コピー脳を中心にした制御ユニットを組みこむ。モーリッツの用意した建設機械群は、ほかならぬモーリッツ自身のコピー脳が制御する。
巨大プロジェクトにおいて厄介な障害となるのが、関わる労働者と統率者との意思疎通の手間だ。これは事業の規模が膨らむほどに、ひどくなる。
計画の説明だけでも相当な時間を喰われるのみならず、人数が増えるほど伝言ゲームで指示はねじ曲がり、真意の伝わらぬまま動かれようものなら進捗は後退する。
だが、コピー脳により、モーリッツ単独で工事現場を仕切っているようなものである以上、連絡、報告、相談に割かれる時間は、完全にカットされる。せわしなく動く建築機械たちは、技術局長本人と同質の思考によって制御され、誤解の生じる余地はない。
かくして、大人数の統率というボトルネックを解決した『塔』建設プロジェクトは、恐るべきスピードで邁進した。モーリッツは、建設機械群に適用したシステムを、『塔』そのものの維持と管理にも応用した。
さらに、この派生として産まれた成果物である『脳人形』……知的生命体の頭の中身を、モーリッツのコピー脳にすげ替えた存在は、優秀かつ忠実な兵士や作業員、あるいは侵略先の先住民の諜報員化など、多岐にわたる実績を残した。
グラトニア帝国が成立してから、わずか3ヶ月。同志たちから畏敬をこめて『プロフェッサー』と呼ばれるようになったモーリッツは、寸分の狂いもなく、スケジュール通りに建造の進む『塔』をノンフレームの眼鏡越しに見あげた。
「見ていろ、『ドクター』……今度こそ、ぼくは貴方に勝利するだろう……ッ!」
旧セフィロト社で屈辱と苦渋を味わわせられ続けた、元技術開発部長にして導子理論の創始者に対する雪辱を晴らさんと誓い、モーリッツは血走った目を見開いた。
→【潜在】
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