【第2部16章】戦乙女は、凍原に嘆く (4/4)【慷慨】
【悲憤】←
「たあアァァーッ!」
地を這う種族の感覚を惑わすように微妙な高度差をつけながら、アンナリーヤは片手剣で大男を斬りつける。
(むぐ……ッ!?)
やはり、硬い。骨はおろか、肉を裂けた感触すらない。だが、あきらめる理由にはならない。一撃で貫けないならば、手数で攻めるだけだ。
「──ァァァアアッ!!」
空中で鋭角に身をひるがえした姫騎士は、男の首筋に狙いを定めて剣を振り抜く。常人相手ならば必殺の一撃だが、それで終えるつもりはない。
アンナリーヤは、宙を舞うツバメのように無数の空中反転をくりかえし、凶暴化した蜂のように何度も男へ刃を突き立てる。
(この男……ッ!)
高速機動のさなか、ヴァルキュリアの王女はいぶかしげに目元をゆがめる。
魔銀<ミスリル>の刃によって、豪奢な装束こそ斬り裂かれていくものの、それをまとう男自身は涼しげで、余裕に満ちた、つまらなさそうな表情を浮かべている。
「悲憤慷慨──だからだッ!」
アンナリーヤは、憤怒に身を任せて吼える。自身の飛翔速度を、さらに増そうとする。そのとき、頭部を引っ張られるような抵抗感を覚える。
風にたなびく己の金色の髪を、男がつかみとったのだと気づく。『皇帝』は、無造作に腕の力をこめる。
「ごほおッ!?」
有翼の姫騎士の肢体が、自身の意志とは異なる軌跡を描く。そのまま、氷原の雪のうえへと叩きつけられる。男が金色の髪をつかんだまま、引きずり落としたのだ。
全身を鈍い痛みが貫き、一瞬、アンナリーヤの意識が遠のく。まだくすぶる戦意にすがりつき、どうにか姫騎士は立ちあがろうとする。
顔をあげたアンナリーヤの視界に入ったのは、装束がぼろぼろになりながら、傷ひとつついていない男の背中だった。
「どうかいたしましたので、陛下?」
「……飽きた。腹ごなしにもならぬ児戯である」
敗者に対する嘲笑を含んだエルヴィーナの問いかけに、『皇帝』は目を閉じて、無感情な声音で応える。目の前の玩具に飽きた子供のような反応だった。
アンナリーヤから、男の背中がゆったりとした歩調で離れていく。倒れ伏す有翼の姫騎士に、追撃の余力は残されていない。
それでも、アンナリーヤは震える指で魔銀<ミスリル>の柄を握りしめる。よろめきながら立ちあがろうとして、雪のうえに転倒する。
「あらあら、アンナ。そんな状態で、さらに無理を重ねるつもりなので?」
「だまれ、裏切り者、エル、ヴィーナ……悲憤、慷慨、だから、だ……」
戦乙女の姫君には、『皇帝』を名乗る男が、裏切り者のエルヴィーナ以上に自分たちの一族に差し迫った危機であることが理解できた。
ここで、止めなければならない。この場で、討ち斃せねばならない。だけど、自分の力では届かない。『あの日』から、なにも変わっていない。
無力さと屈辱に、アンナリーヤの目尻から涙がこぼれる。雫は、すぐに一粒の氷球となって雪原のうえに落ちる。
「エルヴィーナ。『これ』の処遇は、汝に一任である」
「御意でございます。陛下」
深紅のローブの影で、エルヴィーナの口角が邪悪な笑みに歪む。『魔女』の長くしなやかな指先が、倒れ伏す戦乙女のほうへと向けられる。
アンナリーヤの身体の下に、つつっ、と超自然のラインが走る。にちゃり、と粘液質の音を立てて肉坑が開き、幾本もの触手が這い出てくる。
ヴァルキュリアの王女の脳裏に、かつての惨状がフラッシュバックする。姉であるはずのエルヴィーナの裏切りで、母たる女王を奪われた『あの日』……
どこで間違ったのか。なにが悪いのか。これが、戦乙女<ヴァルキュリア>の一族が背負った罪と罰なのか。アンナリーヤは、答えのでない自問を繰り返す。
「それでも……だとしても、自分は……」
魔銀<ミスリル>の鎧のなかに入りこみ、肢体を拘束する触手のおぞましい感触に身悶えながら、姫騎士は小さくつぶやく。
「この夜明けの刹那に、なくしたものを……後悔など、していない……」
アンナリーヤの言葉は誰の耳にも届かず、彼女の身体は肉坑の底へと呑みこまれていく。超自然の線が閉じ、雪原に開いた坑は消滅する。
戦乙女の姫君が消えた雪原のうえを、まるで最初から何事もなかったかのように『皇帝』と『魔女』は、並び立って歩を進めていく。
「陛下、そろそろメインディッシュのお食事でございますか?」
「うむ。頃合である」
「御意でございます。準備を整えている征騎士たちのもとに御案内しましたのち、わたシは御召し物の替えの用意を……」
切り裂かれた装束の破れ目から彫像のような諸肌をあらわにする男と、深紅のローブを目深にかぶった小柄な女は、寒さを気にとめる様子もなく雪原を進む。
先ほどまで陽光が差しこんでいた蒼天は灰色の厚い雲におおわれ、白い大地には一時やんでいた吹雪がふたたび風立ち荒み始めた。
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