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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (2/24)【皇帝】

【目次】

【摩天】

「余は、グラトニア帝国皇帝グラトニオ・グラトニウスである……牙をむく汝は、何者か? 一応、聞いておこう」

「俺の名は、アサイラ・ユーヘイ。名乗るほどの肩書きは、ない……強いて言えば、故郷を目指す旅人といったところか」

 虚空のうえを大股で歩きながら、グラー帝は問う。アサイラは返事をしつつ、いっそう呼吸を深める。全身をめぐる血液の酸素量を増やし、肉体の外側のみならず、内面までも戦闘態勢へとシフトしていく。

『アサイラお兄ちゃん……艦を後退させる……?』

「問題ない……いまの位置を維持できるか」

『……了解ということね』

 カメラ越しでも偉丈夫のプレッシャーを感じているのか、耳のなかにはめこんだ導子通信機からララが小声で問う。黒髪の青年は、短く現状維持を指示する。双眸の蒼黒い瞳は、グラトニアの専制君主を見据え続ける。

「無知なる迷い人よ、汝らは、余の征騎士たちを手にかけた、とエルヴィーナから聞いている……何故か? あの者たちは、一言以ておおうならば精強なる忠臣であり、帝国の得難き財産である」

「……先に乱暴狼藉を働いていたのは、おまえの子分どもだったようだが? グラトニアには、暴力を取り締まる法律はないのか」

「乱暴、狼藉……ふむ?」

 グラー帝は、ぴたりと空中で足を止める。アサイラの言葉を吟味し、かみしめるように、あごの下に指をあて、首を傾ける。

 黒髪の青年は、戦乙女たちに攻撃をしかけた帝国軍との戦いを思いかえす。あのときはなんとか撤退させられたものの、アサイラたちが助力しなければ、一方的な虐殺に発展しかねなかった。

 その後、ナオミから聞いた話では、地下世界に暮らすドヴェルグ族への攻撃は、旧セフィロト社に負けず劣らずの悪辣さだったという。

 さらに、ドクター・ビッグバンの言葉を信じるならば、このグラー帝なる男とグラトニア帝国は、いくつもの次元世界<パラダイム>に対して同様の侵略戦争をしかけている。

 浮遊する偉丈夫に相対する黒髪の青年は、開け放たれた火薬庫をまえにしたかのように、いつ爆発するかわからない危機感の高まりを肌に感じとる。

「余の偉大なる覇道侵略政策の真意を理解できぬ蛮族の目には、そのように映るやもしれぬ。これもまた、無知のなせるわざか……一言以ておおうならば、憐憫である」

 アサイラが言葉を挟む余地もなく、帝国の専制君主は勝手に言葉を咀嚼し、理解する。破裂寸前の空気を孕んだ超高々度で、ふたりの男は微動だにせず、にらみあう。

「無知による過誤であれば……余は、許そう。君主には、臣民を受け入れる度量が必要である。ただし……汝には、臣下の礼を示してもらう。いま、この場で」

「……断る。そんなこと、できるか」

 グラー帝の要求を、アサイラは間髪入れず拒絶する。空中に仁王立ちする偉丈夫は、信じられない言葉を聞いた、と言わんばかり目を丸くする。

「何故か? 蛮人の考えることは理解できぬ……余は罪人に対して、一言以ておおうならば皇帝にふさわしい寛容を示した……さらに言えば、これより余は、全宇宙の頂点に立つ、あらゆる次元世界<パラダイム>の支配者、すなわち神にも等しき存在となる。汝は、その瞬間に立ち会う栄誉に浴しているのだぞ」

「笑えない冗談か。神とか、絶対の支配者とか、全宇宙の頂点とか自称するヤツは、妄想癖のあるヤツだけだ」

 帝国の専制君主の独演に対して、黒髪の青年は皮肉で応じる。だが、息を呑んだのはアサイラのほうだ。グラー帝のまとう覇気の質が、変わった。会話の時間が終わったことを、言葉よりも如実に物語っている。

「──ウラアアァァァ!」

 黒髪の青年は、『シルバーブレイン』の甲板から跳躍して、空に浮く偉丈夫に向かって跳び蹴りを放つ。隙が見えたわけではない。だが、先手を打つ。少しでも、戦いの主導権をたぐり寄せる。

 対空ミサイルのように放たれた脚が、グラー帝の胸板に命中する──そう思った刹那、アサイラの平衡感覚が、ぐちゃぐちゃにかきまわされる。

「グヌウ……ッ!?」

 気がつけば、黒髪の青年は『塔』の屋上に転がり、倒れこんでいた。一瞬の間に、グラトニアの専制君主が無造作に腕を振るい、アサイラの身が虫のように払い飛ばされたことを遅れて理解する。

「無知のみならず、愚劣でもあったか……」

 跳び蹴りの手応えは、ない。空中にいる偉丈夫は、ダメージを受けていない。黒髪の青年は、とっさに立ちあがり、身構える。浮遊するグラー帝が、ゆっくりと振り返ったかと思うと、次の瞬間、その姿が消える。

「──ッ!!」

 アサイラが、ふたたび専制君主の気配をとらえたときには、すでに背後に回りこまれている。黒髪の青年よりも偉丈夫の反応のほうが、圧倒的に速い。

「グオラ」

「グヌッ!?」

 グラー帝は、アサイラの背を足の裏で小突く。それだけで、黒髪の青年のバランスが大きく崩れる。うつ伏せに倒れそうになりながらも、よろめきつつ、どうにか踏みとどまる。

 背後を振りあおいだとき、そこに専制君主の姿はない。アサイラは、気配を探る。偉丈夫は、自分の真後ろ、すでに回りこまれた位置にいる。

「グオラ」

「グヌウ!!」

 黒髪の青年は、ふたたび蹴り飛ばされる。なんとか転倒をまぬがれた、次の瞬間にグラー帝はアサイラの背後にいる。また、足の裏をぶつけられる。それを何度も繰り返される。

 偉丈夫の攻撃動作は、無造作に脚をまえに突き出す、俗にケンカキックなどと呼ばれるものだ。体術と言えるほどにも洗練されていない無骨な蹴りに、黒髪の青年は翻弄され続ける。

「なめて……いるのかッ!?」

 アサイラは、苛立つ。これでは、戦いとすら呼べない。まるで子供が集団で、戯れに小動物をなぶっているかのような有様だ。

「愚者ごときに、振るう拳は無し。一言以ておおうならば、汝自身を知るがよい」

「なるほど……そうさせて、もうらう、かッ!」

「ム……?」

 次に黒髪の青年の背後へ専制君主が回りこんだとき、戸惑いの声をあげたのはグラー帝のほうだった。アサイラは、突き出された脚を脇に挟むようにして、両腕でつかむ。

「ウラアッ!」

 鉄骨のごとく太く堅い脚をひねりつつ、黒髪の青年は後方へ向かって踏みこみ、背中から偉丈夫へと全体重をぶつける。

「ふむ……テツザンコーなどとも呼ばれる体術、であるか」

「グヌウ……」

 うめき声をこぼしたのは、攻撃者であるはずのアサイラのほうだった。並以上の相手であっても、股関節を破壊されると同時に胴体へ大きな衝撃を受け、戦闘不能に陥るであろう必殺の一撃。にもかかわらず、グラー帝は微動だにしない。

「……チイッ!」

 黒髪の青年は、体当たりの反動を利用して、グラトニアの専制君主との間合いから離脱しようとする。相手を正面に捉えようと身をひるがえしたとき、すでに偉丈夫は攻撃態勢に入っている。残像を伴ってはっきり視認できないが、回し蹴りだ。

「グヌッ!」

 とっさにアサイラは、左右の腕を盾のように前面へ掲げる。ほぼ同時に、大砲の弾が直撃したような衝撃が襲う。袖の下に仕込んだ魔銀<ミスリル>の手甲がなければ、両腕がへし折れていた。

 黒髪の青年の身体は、それでも大きく吹き飛ばされる。『塔』の屋上を越えて、空中に放り出される。右手側に、『シルバーブレイン』の船影が見える。遠い。カバーは、期待できない。

「グヌヌゥ……」

 アサイラは、悔しげに歯ぎしりする。次元世界<パラダイム>の天頂をこする、超巨大建造物の高さから落下していく。なにもできずに、このまま死ぬ。相手も、それをわかっている。ここにはいないはずの、聞き覚えのある声が聞こえた気がする。

『──我が伴侶! 大事ありませんこと!?』

 どんっ、と音を立てて、黒髪の青年の身体が受け止められる。6枚の翼と白銀のうろこ、尾は根本から切断された上位龍<エルダードラゴン>──龍皇女クラウディアーナだ。

「……ディアナどの! どうして、ここに!?」

『仔細は、あとですわ! いまは、これを──ッ!!』

 白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、首を動かし、口にくわえていたもの──かつてクラウディアーナからアサイラへと譲渡された、大剣型の『龍剣』を投げ渡す。

「感謝する……ディアナどのッ!!」

 黒髪の青年は、大剣の柄を両手でつかむ。導子力──自身の存在のエネルギーを、『龍剣』へと注ぎこむ。身の丈ほどある刀身から、蒼い輝きが噴出し、剣そのものの数倍ほどある光の刃を形成する。

「今度こそ……覚悟してもらおうか! 裸の王さまッ!!」

 アサイラは己の『龍剣』を振りかぶり、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の背を蹴って、『塔』のうえに立つグラー帝に向かって飛びかかった。

【捻転】

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