【第2部13章】少年はいま、大人になる (10/16)【乱入】
【径庭】←
「……?」
フロルは、自分の背中が小刻みに揺れるのを感じていた。死が眼前に迫る恐怖で、全身が震えているのかと思う。どうやら、違う。
振動しているのは、自分がもたれかかってる古木だった。揺れは、次第に大きくなっていく。奇妙なことは、ほかにもある。
さほど長くもない自分の人生にピリオドを打つはずの鉄槌が、いつまで経っても降りおろされない。フロルはいぶかしみながら、おそるおそる、まぶたを開く。
目前に立つグラー帝は、己のことを見ていなかった。拳を振りかぶったまま、顔をあげていた。少年もつられて、視線をあげる。
フロルがもたれかかる古樹の中腹に、大きな虚穴があいており、そのなかからさらに巨大なものが生えている。
頭上の非現実的な光景を見て、少年はなにが起こっているのか理解するため、数秒かかった。ぎょろり、巨岩のようななにかが回転する。大きすぎるが、瞳のような形をしている。
「──ドラゴンッ!?」
フロルは、ようやく状況を認識する。大木の虚穴から首だけ出しているのは、樹よりも巨大な龍の首だった。
『急ぎ駆けつけてみれば……これは、なんぞ?』
ドラゴンは、岩の塊のような瞳をぐるぐる動かして周囲の様子を確かめる。華奢な少年を一瞥し、アメジスト色に輝く髪と双眸の偉丈夫に目を止める。
『気に喰わんぞ、その目つき。これでは、どちらが見下ろしているのか、わからん──ドウッ!!』
「ぎゃむ──ッ!?」
フロルは、とっさに両腕で顔面をかばう。グラー帝の体躯にぶつかるように、空気が破裂する。そうとしか言いようのない突風が、一瞬だけ吹き荒れる。
皇帝は一言も発することなく、少年から見て後方へと吹き飛ばされていく。丈の短い灌木が、爆発の巻き添えになってみじんと化す。
フロルは、本国のデータベースで見たドラゴンの生態について思い出す。多くの龍は、吐息<ブレス>と呼ばれる能力を持つ。いわゆる、炎や氷、雷を放つ魔力を帯びた呼気だ。
だが、いまグラー帝を吹き飛ばした吐息<ブレス>は違う。人知を越えた肺活量によって圧縮された、純粋な空気の弾丸だった。
『……出口が小さいのも、気に喰わん。どこまでも虫の好かん次元世界<パラダイム>ぞ。こんな辺境に追いやられたカルタが、不憫でならん』
フロルの背後で、がつんがつん、と古樹が激しく揺れる。ドラゴンは虚穴から出ようとしているが、肩がつかえているようだ。
そもそも大木と言える幹の直径よりも、首から類推できる巨龍の胴体のほうが、はるかに大きそうではあるが。
『ドウ──ッ!!』
「──ぎゃむ!!」
フロルは、悲鳴をあげる。ドラゴンが力をこめると、古樹が内側から粉々に砕け散る。案の定、そのサイズは岩山ほどもある。
──ズウゥゥ……ンッ。
双翼を一回だけ羽ばたかせて、巨龍が大地へ着地する。風圧と、なにより圧倒的な重量で地面が鳴動する。
ドラゴンは、少年に対して興味を抱いていないようだった。結果的にフロルをかばうような形で、グラー帝と向かいあう。
仰向けに倒れていた皇帝は、脚の力だけで悠々と立ちあがる。装束の破れめが増えただけで、その身には相変わらず傷ひとつついていない。偉丈夫と巨龍の視線が交錯する。
「龍よ。汝……何者である、か?」
『──ドウッ!!』
グラー帝の誰何をさえぎるように、巨龍はふたたび呼気をぶつける。空気のかたまりが偉丈夫にぶつかって破裂するも、その体躯は今度は揺らがない。
『ずいぶんと頑丈な人間ぞ……ならば、手みやげ代わりに名乗ってやろう。オレの名は、ヴラガーン。フォルティア西方の荒野に棲まう龍』
「フォルティア……いずれ、我が版図の一部となる次元世界<パラダイム>の名である。ここ……アーケディア同様に」
『ウヌこそ、どこの馬の骨ぞ? 誰の許しを得て、この地で暴れている?』
「余はグラトニア帝国皇帝、グラトニオ・グラトニウス。いずれ、すべての次元世界<パラダイム>の頂点に君臨する者……蛮龍、ヴラガーンとやら。汝が、このアーケディアの『管理者』か?」
グラー帝は、つまらなそうに名乗り、そして問う。ヴラガーンは、不機嫌そうに瞳をぐるぐるとまわす。
『シュー、シュー、シュー。オレは、問答は好まんぞ……人間ッ!!』
ヴラガーンは左右の前脚を持ちあげ、大剣のごとき爪を振るう。グラー帝は、迫り来るギロチンの刃をまえにして、いまさらのように腕組みをほどく。
『ぐ……っ!?』
うめき声をあげたのは、体躯で勝るドラゴンのほうだった。長く鋭い龍爪が、偉丈夫の胴体を両断する寸前で進まなくなる。
グラー帝は左右の前腕をかかげ、無造作に龍の爪の一撃を受け止めていた。皇帝の腕は斬り裂かれることも、ひしゃげることもなく、それどころか血の一滴すら流れない。
「蛮龍よ。汝が何者であるか、余はつかみあぐねているが……我が覇道のまえに立ちふさがる以上、一言以ておおうのならば……敵手である」
『く……グッ!』
偉丈夫は、少しばかり両腕に力をこめる。それだけで、ヴラガーンの龍爪ははじかれたがごとく押し戻される。
ガードの開いたドラゴンの胴体へ向かって、グラー帝は瞬間的に踏みこむ。龍の動態視力でも捉えきれない身体<フィジカ>能力をまえに、ヴラガーンは目を見開く。
「──グオラッ!」
『ムグウ……ッ!?』
巨龍の正中線へ、皇帝はすくいあげるようなボディブローを打ちこむ。十分の一ほどしかないはずの相手の一撃で、ヴラガーンの体躯は宙に浮く。
フロルは、とっさに両手で頭を押さえる。少年の真上を、ドラゴンの巨体が一回転しながら飛んでいった。
→【圧倒】
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