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【第2部13章】少年はいま、大人になる (11/16)【圧倒】

【目次】

【乱入】

『く……グッ』

 フロルの後方から、巨龍のくぐもった悲鳴が聞こえる。同時に、隕石が落下したような衝撃が、原生林を揺らす。

「ぎゃむ……ッ!?」

 少年は、前方のグラー帝の姿が揺らぎ、風圧が迫ってくるのを感知する。異形の剣を抱きしめながら、とっさに横方向へと回転し、フロルのいた場所を破滅的な足跡が通り抜けていく。

 皇帝の狙いは、巨龍の起きあがりぎわだ。ヴラガーンと名乗ったドラゴンが、周囲の大木をながら、岩のような瞳を見開く。

「グオラ──ッ!」

『……ドウッ!!』

 瞬間移動のごとき踏みこみで巨龍へ迫るグラー帝は、大きく腕を振りかぶって、右ストレートを放つ。対するヴラガーンは、相手の拳へぶつけるように龍尾を振るう。

『ご……が、グゥア!?』

 フロルは、己の目を疑う。力負けしたのは、巨龍のほうだった。尻尾は拳撃に押し返され、ヴラガーンの体躯はコマのように回転し、周囲の古樹をなぎ払う。

『ク、ぐウ……ッ。どこへ行った、人間め……』

 どうにか自身の体の制御を取り戻した巨龍は、偉丈夫の姿を見失い、長い首を巡らせて周囲を探る。

「……真下だよ! 胴体のッ!!」

 とっさにフロルは声をあげる。グラー帝は、ドラゴンの死角でもある腹の真下へ潜りこんでいた。ヴラガーンが状況を理解するよりも早く、鉄拳は走る。

「グオラァ!!」

『ごガぐぅアッ!?』

 皇帝は天を突くかのごとき動きで、真上の相手に対してアッパーカットを撃ちこむ。岩のようなドラゴンの表皮に拳が突き刺さり、ヴラガーンの巨体が宙に浮く。

 巨龍の体躯が軽々と宙を舞い、少し離れた場所へ墜落する。大地を揺らしながら、原生林はさら地に変わっていく。

「龍相手なれば、手加減は無用である。しかし……内蔵を破裂させるつもりで撃ちこんだが、これは……一言以ておおうならば、なかなか屈強……」

 悠然とヴラガーンのほうへ向き直りつつ、ぶつぶつと皇帝はつぶやく。ドラゴンはもがきながら、小さな敵をにらみつける。

 巨龍が血の混じった胃液を吐きだすと、へし折れた樹の幹がじゅうじゅうと音を立てて煙をあげる。

『ご、が……ゲホッ。なるほど。少しは、わかったぞ。巨体は……的が大きくなるぶん、不利……』

 ヴラガーンは、自分へ言い聞かせるようにうめく。すると、ドラゴンの全身の表皮から岩のようなものが剥離して、地面へ脱落していく。

 腕組みし、つまらなそうに眺めるグラー帝のまえで、巨龍の姿は人間のものへと変じていた。栗毛の髪を持ち、瞳の奥に怒りの炎を宿した、屈強なる壮年の男がいた。

「シュー、シュー、シュー……人化の法なぞ、なにに使うものかと思うていたが……こんな意味があるとは、な!」

 岩のごとく筋肉の盛りあがった褐色の肌の人間態となったヴラガーンは、えぐれた地面を蹴る。自身がされたように、グラー帝へ肉薄しつつ、拳を振るう。

「ドォウッ!」

「グオラッ!」

 皇帝は、人間態となったドラゴンの拳に拳を重ねて、カウンターを撃ちこむ。互いの拳が、顔面にめりこむ。

「ご……ガ……ッ!?」

 身が揺らいだのは、ヴラガーンのほうだった。グラー帝は、相も変わらず涼しい表情を浮かべている。

 腹立たしげに息を吐いた人間態のドラゴンは、体勢を崩しつつも回し蹴りを放つ。ヴラガーンのつま先が、偉丈夫の頸を捉える。

「汝。図体のみならず、少しは頭がまわるかと思うたが……一言以ておおうのならば、愚直である」

 人間態のドラゴンによる渾身の蹴りを受けて、なお、グラー帝は直立した体勢がわずかも揺らぐことなく、ヴラガーンを見据える。巨龍は、よどんだ怒りをたたえた瞳でにらみ返す。

「げほ、ごほ……ッ!」

 激しくせきこんだフロルは、異形の剣を杖のようにして身を支えつつ、どうにか立ちあがる。皇帝と人間態のドラゴンは、ゼロレンジでの殴りあいを再開する。

 少年は、この場にいるもう一人の敵を確認する。装甲オープンカーに陣取ったままの『魔女』だ。グラー帝の勝利を確信しているのか、動く様子はない。

「……なにをしているんだよ?」

 フロルは、いぶかしむ。グラー帝の最側近である女は、グラトニア帝国軍の進む方向を眺め続けている。その表情は、深紅のローブに隠れてうかがえない。

 なにを考えているかわからない『魔女』は不気味だが、少年はもうひとつの懸案──前線の兵員が呼び戻される可能性を検討する。

 しかし、いまのところ、その様子はない。最側近である女はそれすら必要ないと考えているのか、あるいは前線部隊になんらかのトラブルがあったか。

「ともかく……いまは、皇帝をどうにかするんだよ!」

 フロルは、あらためて人間態の巨龍とグラー帝の殴りあいへと視線を向ける。お互いノーガードで、嵐のごとく拳がぶつかりあっている。

「ご……ガッ、ぐゥあ……ッ!」

 だが、ひいき目に見ても優勢なのは皇帝のほうだ。ヴラガーンの拳は偉丈夫の身に傷を負わせることができず、グラー帝が殴りつけるたびに人間態の巨龍の肌に裂傷が増えていく。

 ヴラガーンが一歩、あとずさる。全身から飛び散った龍の血が、じゅうじゅうと音を立てて溶岩のように地面を焼いている。それでも巨龍の瞳に宿った怒りとないまぜの闘志は、いささかも萎える気配はない。

「あのドラゴン、最初からいままで全力だよ。つまり……死んで構うもんかと、確定されない観念にもとづく……」

 フロルは、一瞬、いっさいの雑念無くグラー帝へ立ち向かい続けるヴラガーンの姿に魅入られる。人間態のドラゴンは身をひねり、野太い龍の尾を現出させる。

「ドウ──ッ!!」

 空中で縦方向に回転しながら、ヴラガーンは偉丈夫の脳天へ向かってドラゴンの尾を叩きつける。命中の瞬間、人間態の巨龍の目元がゆがむ。

 グラー帝は無造作に右手をかかげ、巨人が振るう鞭のようにしなる龍尾をつかんでいた。ヴラガーンの着地に先んじて、手首をひねると地面に向かって振りおろす。

「く、グぅ……ッ!!」

 人間態の巨龍の身が、したたかに大地のうえへ叩きつけられる。ヴラガーンは、苦しげにうめく。起きあがることが、できない。

 両の拳の具合を確かめながら、グラー帝はゆっくりと倒れ伏すドラゴンのもとへ歩み寄っていく。とどめを、刺す気だ。

「──ッ! なにか……なにか、僕にできることはないのかよ!?」

 どうにかして巨龍に助力できないか、フロルは必死に思考を巡らせながら、周囲を見まわす。

「ギャア、ギャア、クギャアーッ!」

 耳障りで甲高い鳴き声を聞きとめ、少年は霧にかすむ空を見あげる。戦いの喧噪と血の臭いに惹かれて、無数の翼竜<ワイバーン>が集まっていた。

【重量】

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