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【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (6/24)【下降】

【目次】

【内念】

「……グヌッ」

 アサイラは、小さくうめきつつ、目を開く。寝ぼけているように、意識は明瞭さを欠く。風切り音が、やたら大きく耳に響く。

 1秒ほど思考して、黒髪の青年は自分の置かれた状況を思い出す。超高々度からたたき落とされ、真っ逆さまに落下している最中だ。

 千切れた雲と『塔』の壁面が、ものすごい勢いで足元へ向かって流れていく。それでも、いっこうに地面へ衝突する気配はない。

「無限ループでも、しているんじゃないのか……?」

 アサイラは軽く頭を降ると、墜落するまえに自分のいた空の果てへ目を凝らす。遙か視界の先に、せわしなく動きまわる黒点と光点が見える。リーリスとクラウディアーナが、まだ、いまもグラー帝と戦い続けている。

 じょじょに意識が覚醒していくにつれ、耳の奥にはめこんだ導子通信機からのララの声と、脳の奥へダイレクトに響くリーリスの念話に気づく。同時に響いてきて聞き取れないうえに、落下の風音とハウリングして、やかましいことこのうえない。

「ふたりとも、なにを言っているのか、さっぱりだが……とりあえず、俺は無事だ。これから、自力での復帰をはかる。とにかく、各々の身の安全を第一に考えてくれないか……」

 アサイラは、通信機と念話に対してまとめて返事をする。ふたりのレスポンスが重なって、これまた聞き取れない。余計な喧噪が止んで、ようやく自分以外の風切り音が聞こえることに気がつく。複数、それも、じょじょに近づいてくる。

「キシャアァァ……」

 甲高い人外のうめき声が、耳に届く。天に向かって流れていく雲の切れ端の隙間から、急接近する不気味な影を視界に捉える。

 巨大なムカデに、カゲロウのような羽を生やした異形の蟲が3匹、落下するアサイラへ追いすがってくる。牙と爪から、毒々しい粘液をまき散らしている。

 左手の甲に、雫が触れる。ぴり、としびれるような感覚がある。なるほど、麻痺毒を含んだ体液か

「どう見ても、まともな次元世界<パラダイム>の生き物じゃあないな……あの裸の王さまが、召喚の魔法<マギア>のような小細工を使うタマとは思えないか……」

 おそらく、そういうことをするのは、真紅のローブをかぶった女のほうだ。死に体のアサイラに対して、念には念を、とけしかけたのだろう。魔法<マギア>ではなく、バイオ技術<テック>の産物の可能性もあるが、どちらでも大差はない。

 あと数メートルで、蟲どもの牙が黒髪の青年の四肢に届く。アサイラは、置き去りにしていた触覚に意識を向けて、自分の全身の状態を確認する。左手は、頼みの綱である『龍剣』を、しっかりと握りしめている。

 さらに、グラー帝によって木っ端みじんに砕かれた利き腕のほうへ注意を向ける。ギプスのように巻きついていた伸張した黒い体毛が、するするとほどけていく。内側から元通り、完全に再生した右手が姿を現す。

 アサイラは、握っては開くを数回、繰りかえす。握力も、触覚も万全だ。黒髪の青年の口元が、にやりと笑う。

「なんだ……やれば、できるじゃないか。居候ども」

「キシャアーッ!」

 先頭の蟲が、アサイラの足首に毒液まみれの牙を突き立てようとする。黒髪の青年は大剣の柄を両手で握りしめると、腹筋の要領で身を起こし、全身のバネのみで空中回転する。

 ざんっ、と『龍剣』の柄から手応えが伝わってくる。有毒の体液の飛沫が前髪をかすめつつ、アサイラは顔をあげる。ななめ方向に胴体を両断された羽ムカデが、肉片をまき散らしながら、離れていく。ほぼ狙い通りに、身体が動く。

「まずは……1匹ッ!」

 次の蟲が、身をくねらせながら接近してくる。黒髪の青年は、自由落下しながら側転するようなアクロバティックな動きをとる。羽ムカデの頭部に、アサイラのかかとが肉薄する。

「2匹め……ッ!」

 ぐちゃり、といやな感触が足裏に伝わてっくる。牙を広げる蟲の頭部を、蹴り潰した。黒髪の青年は、反動を利用して、真横方向……『塔』のある側へと跳躍する。

「次で……最後かッ!」

 アサイラは、超巨大建造物の壁面に大剣を突き刺し、刀身を足場にして落下を止める。生き残りの蟲が、正面から一直線に突っこんでくる。

「得物を使えなければ、楽勝だとでも思ったのか? そもそも蟲ごときに、そこまで考えるような頭はないか……」

「キシャアァァー!」

 黒髪の青年は腰をひねり、自分の背後へ向かって、利き腕を指の先まで真っすぐ伸ばす。螺旋の回転運動ともに、手刀を振りかぶる。

「ウラアァァーッ!」

 アサイラの首に巨大な牙を突き立てようとする羽ムカデに対して、アサイラは真っ正面から右腕を振り下ろす。黒髪の青年のチョップが、鋭利な刃物のごとく、蟲の胴体を背筋に沿って左右に両断していく。

「──ラアッ!!」

 アサイラの手刀が、振り抜かれる。2枚におろされた羽ムカデは、勢いあまって『塔』の壁面にぶつかり、極彩色の体液の染みを残すと、そのまま重力方向へ落下していく。

 黒髪の青年は、利き腕の拳を握りなおす。蟲が滴らせていた麻痺毒性の体液は、一滴たりとも肌に触れていない。手刀を振り抜く『圧』によって、吹き飛ばした。

「さて……邪魔者は取り除いた、か」

 アサイラは、超巨大建造物の天頂方向を見あげる。薄雲のヴェールにおおわれて、はっきりと見通せない。だが、主戦場は間違いなくそこにある。旅の仲間たちが、まだ戦っている。戻らねばならない。

 だが、どうするか。数百メートル、下手すればキロメートル単位で落下した。『塔』の壁面をよじ登るか、内部へ入りこんで階段を使おうなどナンセンスだ。たどりつくまえに日が暮れて、戦いは終わってしまう。

『──アサイラお兄ちゃん、回収を手配する?』

 導子通信機から、ララの問いかけが聞こえる。母船でもある次元巡航艦に拾いあげてもらうのが、もっとも現実的だろう。

「だいじょうぶだ。自分で、どうにかする……か」

 黒髪の青年は、首を横に振る。グラー帝や『魔女』が、『シルバーブレイン』による回収を、黙って見過ごしてくれるとも思えない。なにより、いまのアサイラは、もっとも冴えた一手を見据えている。

 黒髪の青年は、足場としている『龍剣』の刀身のうえにひざを突き、右手で柄をつかむ。己の内側にある世界を、そこに身を寄せる哀れな居候たちに意識を向ける。静かに目を閉じて、語りかけるように唇を動かす。

「失われゆく魂は、蒼き星なる我が手とともに。その光を解き放ち、久遠の闇を照らし出せ。眠りの底なす縁となし、身を削り、一条に集いて天を結ぶ。生々流転なす灯を標とし、約束の航路を先駆けよ──」

 アサイラは『塔』の壁面に突き刺した己の『龍剣』を、勢いよく引き抜く。

「──龍剣解放、『星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>』ッ!」

 天を突くように振りあげた大剣の柄の先に、刀身の姿はない。代わりに、線のように細い蒼銀の輝きが、わずかにきらめく。持ち主であるアサイラの身体は、重力に逆らって、上空へと昇っていった。

【上昇】

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