【第2部31章】落ちてくる、この空の下で (7/24)【上昇】
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『ルガアッ!』
グラトニア帝国の上天に、光条がほとばしる。龍態のクラウディアーナの放った吐息<ブレス>だ。並の生物であれば蒸発するであろう白熱の奔流を、グラー帝は羽虫でも払うような動作で、軌道をねじ曲げる。
「これで、5発目だが……まるで学習していない。フォルティアの龍皇女と言えば、聡明な統治者と聞いていたが……よもや、トカゲ程度の脳しか、持ちあわせていないのではあるまいな?」
つまらなそうな声音で言い放たれた皮肉に、白銀の上位龍<エルダードラゴン>は、ぎりりと歯ぎしりをする。トカゲ呼ばわりは、ドラゴンにとって最大の侮辱だ。
吐息<ブレス>のまばゆい輝きが晴れると、強い光の向こう側に身を隠していたリーリスが、諸肌をさらす偉丈夫とのわずかな交錯の瞬間、両目を見開いて視線をあわせる。
「グリンッ!」
グラトニアの専制君主は、びくんと背筋を伸ばす。精神感応能力を応用した、人の深層心理まで破壊する強毒性の幻覚を見せた。ゴシックロリータドレスの女が持つ、奥の手だ。
「気味の悪い技を、使う……だが、それだけである」
リーリスは、眉間にしわを寄せる。自身に使える最大の攻撃をぶつけても、グラー帝の動きを1秒未満、止めるのが精一杯だ。
「なんなのだわ、コイツ……外側も、内面も、まるで歯が立たないじゃないッ!」
『身体や精神のどこかが堅牢なのではなくて……存在の強度そのものが、大きすぎる。世界そのものを、相手取っているようなものですわ!』
「グリン! 龍皇女……あなた、千年まえに自分の次元世界<パラダイム>を壊しかけたんじゃないのだわ!?」
『そもそも好きで壊そうとしたわけではないし、あれは兄弟姉妹とフォルティア中のドラゴンが暴れまわった結果ですわッ!!』
「かしましいぞ、女、それに龍。余は、騒音を好まぬ……一言以ておおうならば、耳障りである」
つばを飛ばしながら声を張りあげあうリーリスとクラウディアーナに対して、宙に浮くグラー帝が、わずかに態勢を前方へ傾ける。
軌道を目視することすら困難な攻撃が、来る。身体<フィジカ>能力に劣るゴシックロリータドレスの女をカバーするように、白銀の上位龍<エルダードラゴン>が前へ出る。
「……ム?」
息を呑むふたりに対して、しかし、諸肌をさらす偉丈夫は動かない。敵対者どもから視線をそらし、まったく無関係と思われる足元を見やる。なにか、ワイヤーのようなものが、きらりと蒼銀の輝きを放つ。
「グリン……アサイラッ!?」
テレパシーで何事かを察知したリーリスが、グラー帝によって地に墜とされたはずの男の名を、反射的に叫ぶ。偉丈夫と龍皇女は、その言葉の意味するところを即座に理解する。
「一言以ておおうならば、生き意地が汚い……こうも、余の手を煩わせるとは……」
なにかが、急上昇してくる。グラトニアの専制君主は、足首にからみついた『なにか』の振動で察知する。戦場復帰を果たそうとする男を迎え撃とうと、右の拳を握りしめ、振りかぶる。
『させないですわ……『閃光』のッ! 魔法<マギア>!!』
「ぐ……ッ」
龍態のクラウディアーナの眉間から、鮮烈なストロボが四方にほとばしる。常人が直視すれば失明しかねない輝きを目にして、うめきつつもグラー帝は数度、まばたきするだけで視力を回復する。
「グリン……目潰しをしかけるなら、龍皇女! 先に言うのだわッ!?」
『そんなこと口にしている暇なんてないことは、そなたもわかっているはずですわ! 『淫魔』ッ!!』
偉丈夫はもちろん、白銀の上位龍<エルダードラゴン>の影に身を隠して、どうにか閃光の影響をまぬがれたリーリスの目にも、いまや、はっきりと一直線に昇ってくるアサイラの姿が視認できる。
「助かる余地は、ないと思っていたが……結果は、変わらぬ。なにも、学んではおらぬ。一言以ておおうならば、愚劣のままである」
「──……ゥゥゥラアアッ!」
黒髪の青年の雄叫びが、耳に届く距離まで近づいてくる。驚異的な速度ではあるが、それは復帰としては、に過ぎない。グラー帝から見れば、ふたたび拳を叩きこむには、止まった的も同然だ。
「グオラッ」
諸肌をさらす偉丈夫は、鉄槌のごとく拳を振りおろす。戦場にいるほかの者たちには、刹那としか感じられない拳速。黒髪の青年の頭部は、骨と血肉と脳漿をまき散らしながら、破裂する。はずだった。
「ム……?」
腕を伸ばしきった専制君主は、いぶかしむ。手応えがない。男の身体が、霞のように消滅していく。
「間にあった……のだわッ!」
グラー帝が殴りつけたのは、リーリスの作り出した幻覚だ。かき消えた虚像の向こう側から、本物のアサイラが飛翔する。
「ウラアアァァァ──ッ!!」
「ぐ……あ……?」
まっすぐ天へ向かって伸ばした黒髪の青年の左足が、体勢を崩した偉丈夫の顎をアッパーカットのごとく捉える。戦いが始まって初めて、グラー帝の身体が揺らぐ。
一瞬の間に繰り広げられた戦況を見極めようと、ゴシックロリータドレスの女は目を凝らす。アサイラの握っている『龍剣』、柄と鍔のみで刀身が見あたらない。代わりに、ワイヤーのごときなにかが、光を反射しながら使い手の周囲を舞っている。
「刃を……細く、長く、強靱な糸のようなものに作り替えて……巻き取ることで、空を登ってきた。これが……アサイラの龍剣解放だわ」
『まあ、なんという僥倖。このような光景を、目にできるなんて……わたくしの剣が、まぎれもなく我が伴侶のものとなった証ですわ』
眼前の光景を呆然と見つめながら、リーリスはつぶやく。生死の境を綱渡りしているのも忘れて、クラウディアーナは感極まったような声音をこぼす。
「──あやとれ、星辰蒼尾<ソウル・ワイアード>」
黒髪の青年の声に応じて、糸状に変じていた刀身が、青銀に輝く刃へと戻る。
「ウラアッ!」
「……ぐッ」
アサイラは、グラー帝の真上で一回転すると、その後頭部を剣の柄尻で殴りつける。偉丈夫に大したダメージを与えられとは、思っていない。黒髪の青年は、打撃の反動を利用して、『塔』へ向かって跳躍する。
超巨大建造物の壁面に足を突き、ひざを大きく曲げたアサイラのほうを、グラー帝は振り向く。
「さあて、ここからが本番か……なあ、裸の王さま!」
黒髪の青年は、諸肌をさらす偉丈夫に対して、不適に笑う。青銀に輝く刀身の剣を振りかぶり、『塔』の側面を蹴って飛びかかろうと、両脚に力をこめた。
→【領有】
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