190908パラダイムシフターnote用ヘッダ第10章01節

【第10章】工房にて (1/3)【龍骨】

【目次】

【第9章】

『聞こえているか、クソ淫魔──……』

 自室のソファに身を沈め、サイダーを瓶に直接、口づけして飲んでいた『淫魔』は、脳内に響くアサイラの声を聞く。

「あー、聞こえているのだわ。その様子だと、上手く手に入れたみたいね」

『……扉を開いてくれないか。重くてかなわん』

「んん……ちょっと待つのだわ」

『淫魔』は、アサイラと視覚を共有する。ノイズ混じりではっきりと視認できないが、アサイラが担いでいる『目的物』は、予想より大きい。

「そのままリビングに持ち込まれたら、部屋がぐちゃぐちゃだわ。『扉』は別の場所につなげるから、少し待機!」

『アイ、アイ』

 あきれたようなアサイラの声が、脳裏に反響する。『淫魔』は、ソファから立ち上がる。キッチンの冷蔵庫から、サイダーの瓶を三本、取り出す。

 きんきんに冷えたガラス瓶をぶら下げて、『淫魔』は部屋の螺旋階段を下に向かって進む。かつては、物置として放置していた空間だが、いまは違う。

 階下へと降りると、金属同士のぶつかりあう音が聞こえてくる。暗がりのなかに、太陽のごとく輝きを放つまばゆい光がある。煌々と燃える、炉だ。

 炉から放たれる橙色の光芒に照らされて、ふたつの人影が浮かびあがる。

「よい出来だな……」

 人影のうちのひとつ……狼の耳と尾を持つ獣人の娘、シルヴィアが、蒼白い輝きを反射するコンバットナイフの刀身をまえにして、眼を細める。

 戦士の眼差しで刃を凝視する表情は、シルヴィアのミニスカートのメイド装束と、なんとも不釣り合いでアンバランスだ。

「……お褒めいただき、恐悦至極なのよな」

 もうひとつの人影が、にい、と口角をあげて、狼耳の娘のつぶやきに言葉を返す。

 声を交わしながらも、その視線は自らの手元に注がれ、揺るがない。金属音の出所も、その膝元だ。

 もう一振りのナイフが鉄鋏で固定され、幾度となく鎚が振り下ろされる。まばゆいほどの輝きを放つ炉のまえに立つのは、一人の女鍛冶だった。

 作業の邪魔にならぬよう、長い黒髪はポニーテールのように後ろにまとめられ、目元は遮光ゴーグルで保護されている。

 炉を中心とした暗がりのなかには、金床や予備の鎚、研石に水の張った桶が一見すると無造作に、しかし、使い手にとって最適な場所に転がっている。

『淫魔』の部屋の地下──そもそも次元の狭間に浮かぶ小空間に、地上も階下もあったものではないが──は、現在、女鍛冶の工房に改造されていた

「精が出るのだわ、リンカ」

『淫魔』が、女鍛冶の名前を呼ぶ。ちょうど作業が一段落ついたのか、リンカはゴーグルをはずしつつ、立ち上がる。

 豊満な胸に、安産体型の腰つきをした女鍛冶の肢体が、炉の炎に照らし出される。

 手にしたサイダーの瓶を掲げつつ、『淫魔』は微笑む。炎のように赤い瞳を持った女鍛冶の目尻がゆるむ。

「のんべんだらり。ちょっとした肩慣らしなのよな、家主どの」

「キッチンの包丁も、研ぎ直してもらっちゃって。怖いほど、よく切れるのだわ」

「応。その白魚みたいな手を、おろしちまわないよう気をつけるのよな」

 水滴が結露した瓶を、メイド姿の獣人が受け取る。シルヴィアは、鍛え直されたばかりのナイフの柄を器用に使って、栓を抜き、リンカに渡す。

 女鍛冶は、よく冷えたボトルを握りしめると、炭酸の清涼飲料水を仰ぐ。

「かあーッ! 美味いな!!」

 満足げにのどを鳴らしたリンカは、腕で口元をぬぐう。

 女鍛冶の身を包んでいるのは、白装束だ。普段は着流しの和服を好むリンカだったが、炉に向かうときは、どんな小さな仕事でも白装束に着替えている。

「いつも悪いのよな、家主どの。こんなに立派な鍛冶場まで用意してもらって。それに、しゃこうごーぐる、って言うのか。こいつも便利だ」

「リンカの次元世界<パラダイム>には、なかったのだな」

「想像したこともなかった。こいつがあれば、目が潰れる刀鍛冶も減ろうものよな」

「目、潰れるのか……大変な仕事だな」

「おお、大変も大変。なんせ、煌々と燃える炉と向き合ってばかりなのよな。若いうちは平気だが、何十年も続けていると、なあ……」

 メイド姿のシルヴィアと言葉を交わしつつ、リンカはボトルを仰ぎ、なかに残ったサイダーを一気に飲み干す。

「冷蔵庫には、ビールも冷えているのだわ」

「あの黄金色の澄酒か! こいつは、仕事あがりが楽しみなのよな!」

「それはそうと、アサイラのやつも、例のモノを調達できたみたいなのだわ。工房に直接、運びこませるわよ」

『淫魔』の言葉を聞いて、リンカは身を乗り出し、シルヴィアはスカートの裾からのぞく尻尾を立てる。

 作業スペースとは反対側の空いた空間に、ゴシックロリータドレスの『淫魔』は向き直り、手をかざす。

 暗闇のなかに、電光が走り、ノイズ音が響く。やがて、古風な木製の『扉』が忽然と空間に現出し、左右に開かれる。

「──この『扉』、サイズを変えられないのか? 不便だな」

「文句は言わないのだわ! リンカも、お待ちかねよ!」

『扉』の向こうから聞こえる男の言葉に、『淫魔』が大声で返事をする。

「……まるで、夫婦漫才なのよな」

「クゥ~ン……」

 リンカはにやにやと揶揄するように笑い、シルヴィアは不満げに頬を膨らませる。

 やがて、『扉』の向こうから、声の主よりも先に、太く長い物体が現れる。樹齢何百年の大樹の幹のような円柱状だが、色はくすんだ白だ。

 少し遅れて、太く長い物体を担いだ青年──アサイラが、ひざを曲げて『扉』をくぐる。周囲のスペースを確認すると、青年は肩のうえのものを床に転がす。

「純粋な力仕事も、ずいぶんとしんどい……か」

 アサイラは、荒く息をつき、額の汗をぬぐう。『淫魔』がサイダーの瓶を差し出すと、受け取り、歯で栓を抜き、中身を一気に飲み干す。

 二人の横を通り抜け、リンカは白い円柱体のまえにかがみこむ。まずは目視で表面の材質を観察し、次に手触りを確認し、最後に鎚でたたいて打音を検分する。

「本物。それも、かなりの上物だ……よく手に入れたものよな!」

 女鍛冶は、感動を隠さぬ様子で、歓声をあげる。

 アサイラが持ち込んだ物体は、龍の骨……翼竜のものでも、恐竜のものでもない、正真正銘のドラゴンの、肋骨部だった。

【鍛刀】

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