【第10章】工房にて (1/3)【龍骨】
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『聞こえているか、クソ淫魔──……』
自室のソファに身を沈め、サイダーを瓶に直接、口づけして飲んでいた『淫魔』は、脳内に響くアサイラの声を聞く。
「あー、聞こえているのだわ。その様子だと、上手く手に入れたみたいね」
『……扉を開いてくれないか。重くてかなわん』
「んん……ちょっと待つのだわ」
『淫魔』は、アサイラと視覚を共有する。ノイズ混じりではっきりと視認できないが、アサイラが担いでいる『目的物』は、予想より大きい。
「そのままリビングに持ち込まれたら、部屋がぐちゃぐちゃだわ。『扉』は別の場所につなげるから、少し待機!」
『アイ、アイ』
あきれたようなアサイラの声が、脳裏に反響する。『淫魔』は、ソファから立ち上がる。キッチンの冷蔵庫から、サイダーの瓶を三本、取り出す。
きんきんに冷えたガラス瓶をぶら下げて、『淫魔』は部屋の螺旋階段を下に向かって進む。かつては、物置として放置していた空間だが、いまは違う。
階下へと降りると、金属同士のぶつかりあう音が聞こえてくる。暗がりのなかに、太陽のごとく輝きを放つまばゆい光がある。煌々と燃える、炉だ。
炉から放たれる橙色の光芒に照らされて、ふたつの人影が浮かびあがる。
「よい出来だな……」
人影のうちのひとつ……狼の耳と尾を持つ獣人の娘、シルヴィアが、蒼白い輝きを反射するコンバットナイフの刀身をまえにして、眼を細める。
戦士の眼差しで刃を凝視する表情は、シルヴィアのミニスカートのメイド装束と、なんとも不釣り合いでアンバランスだ。
「……お褒めいただき、恐悦至極なのよな」
もうひとつの人影が、にい、と口角をあげて、狼耳の娘のつぶやきに言葉を返す。
声を交わしながらも、その視線は自らの手元に注がれ、揺るがない。金属音の出所も、その膝元だ。
もう一振りのナイフが鉄鋏で固定され、幾度となく鎚が振り下ろされる。まばゆいほどの輝きを放つ炉のまえに立つのは、一人の女鍛冶だった。
作業の邪魔にならぬよう、長い黒髪はポニーテールのように後ろにまとめられ、目元は遮光ゴーグルで保護されている。
炉を中心とした暗がりのなかには、金床や予備の鎚、研石に水の張った桶が一見すると無造作に、しかし、使い手にとって最適な場所に転がっている。
『淫魔』の部屋の地下──そもそも次元の狭間に浮かぶ小空間に、地上も階下もあったものではないが──は、現在、女鍛冶の工房に改造されていた
「精が出るのだわ、リンカ」
『淫魔』が、女鍛冶の名前を呼ぶ。ちょうど作業が一段落ついたのか、リンカはゴーグルをはずしつつ、立ち上がる。
豊満な胸に、安産体型の腰つきをした女鍛冶の肢体が、炉の炎に照らし出される。
手にしたサイダーの瓶を掲げつつ、『淫魔』は微笑む。炎のように赤い瞳を持った女鍛冶の目尻がゆるむ。
「のんべんだらり。ちょっとした肩慣らしなのよな、家主どの」
「キッチンの包丁も、研ぎ直してもらっちゃって。怖いほど、よく切れるのだわ」
「応。その白魚みたいな手を、おろしちまわないよう気をつけるのよな」
水滴が結露した瓶を、メイド姿の獣人が受け取る。シルヴィアは、鍛え直されたばかりのナイフの柄を器用に使って、栓を抜き、リンカに渡す。
女鍛冶は、よく冷えたボトルを握りしめると、炭酸の清涼飲料水を仰ぐ。
「かあーッ! 美味いな!!」
満足げにのどを鳴らしたリンカは、腕で口元をぬぐう。
女鍛冶の身を包んでいるのは、白装束だ。普段は着流しの和服を好むリンカだったが、炉に向かうときは、どんな小さな仕事でも白装束に着替えている。
「いつも悪いのよな、家主どの。こんなに立派な鍛冶場まで用意してもらって。それに、しゃこうごーぐる、って言うのか。こいつも便利だ」
「リンカの次元世界<パラダイム>には、なかったのだな」
「想像したこともなかった。こいつがあれば、目が潰れる刀鍛冶も減ろうものよな」
「目、潰れるのか……大変な仕事だな」
「おお、大変も大変。なんせ、煌々と燃える炉と向き合ってばかりなのよな。若いうちは平気だが、何十年も続けていると、なあ……」
メイド姿のシルヴィアと言葉を交わしつつ、リンカはボトルを仰ぎ、なかに残ったサイダーを一気に飲み干す。
「冷蔵庫には、ビールも冷えているのだわ」
「あの黄金色の澄酒か! こいつは、仕事あがりが楽しみなのよな!」
「それはそうと、アサイラのやつも、例のモノを調達できたみたいなのだわ。工房に直接、運びこませるわよ」
『淫魔』の言葉を聞いて、リンカは身を乗り出し、シルヴィアはスカートの裾からのぞく尻尾を立てる。
作業スペースとは反対側の空いた空間に、ゴシックロリータドレスの『淫魔』は向き直り、手をかざす。
暗闇のなかに、電光が走り、ノイズ音が響く。やがて、古風な木製の『扉』が忽然と空間に現出し、左右に開かれる。
「──この『扉』、サイズを変えられないのか? 不便だな」
「文句は言わないのだわ! リンカも、お待ちかねよ!」
『扉』の向こうから聞こえる男の言葉に、『淫魔』が大声で返事をする。
「……まるで、夫婦漫才なのよな」
「クゥ~ン……」
リンカはにやにやと揶揄するように笑い、シルヴィアは不満げに頬を膨らませる。
やがて、『扉』の向こうから、声の主よりも先に、太く長い物体が現れる。樹齢何百年の大樹の幹のような円柱状だが、色はくすんだ白だ。
少し遅れて、太く長い物体を担いだ青年──アサイラが、ひざを曲げて『扉』をくぐる。周囲のスペースを確認すると、青年は肩のうえのものを床に転がす。
「純粋な力仕事も、ずいぶんとしんどい……か」
アサイラは、荒く息をつき、額の汗をぬぐう。『淫魔』がサイダーの瓶を差し出すと、受け取り、歯で栓を抜き、中身を一気に飲み干す。
二人の横を通り抜け、リンカは白い円柱体のまえにかがみこむ。まずは目視で表面の材質を観察し、次に手触りを確認し、最後に鎚でたたいて打音を検分する。
「本物。それも、かなりの上物だ……よく手に入れたものよな!」
女鍛冶は、感動を隠さぬ様子で、歓声をあげる。
アサイラが持ち込んだ物体は、龍の骨……翼竜のものでも、恐竜のものでもない、正真正銘のドラゴンの、肋骨部だった。
→【鍛刀】
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